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短編小説を依頼してみた<シズク>
ChatGPT に短編小説を依頼しました。
ある作品のオマージュです。解説は「あとがき」に。
序章
東京から少し離れた日本海側の小さな港町・灯浜(ともはま)。かつては漁業と観光客で賑わったが、高齢化と過疎化が進み、今では閑散とした雰囲気が漂っている。唯一の救いは、近年「レトロな海辺の町」としてSNSで話題になり、時々若者が写真を撮りに来る程度。古めかしい商店街にはシャッターが降りた店が多く、営業しているのは数軒の土産物店や飲食店、それから細々と続いている老舗の手作りキャンドル工房「紅灯(こうとう)」くらいだ。
この「紅灯」を営むのは、八十歳近くになる老人・原田大輔(はらだ だいすけ)と、その妻・原田鶴江(はらだ つるえ)。大輔は若い頃からろうそく職人としての腕を磨き、一本一本ていねいに作られた赤いキャンドルはかつて数々の受賞歴があった。かといって大きく商売を広げるでもなく、地元の小学校の卒業記念品や、近隣の結婚式場の装飾用など、細々と受注をこなしながら現在に至る。
そんな原田夫妻には子供がいなかった。若い頃に授かった命は儚く失われてしまい、その後は授からないまま夫婦二人で穏やかな年月を重ねてきた。それでも町の人々や時折訪れる観光客には優しく、波打ち際の小石を集めてはキャンドルスタンドに使うなど、創意工夫を凝らしてゆったりとした暮らしを楽しんでいる。
人生の黄昏にあるふたり。これまで通り静かに余生を送るはずだった――その出来事が無ければ。
第一章 出会い
ある夏の終わり。台風が過ぎ去った翌朝のこと。大輔はいつものように夜明け前に起きだして、工房の掃除を終えた後、海岸沿いを散歩するのが日課だった。この日は台風の影響で海岸には様々な漂流物が打ち上げられている。ペットボトルやプラスチック片、壊れた漁具、海藻の束。普段見慣れないものも多く、あちこちに散乱していた。
その中に、妙に目を引くものがあった。漁網の切れ端に絡まった何か。最初は魚かアザラシのような海の生物が打ち上がっているのかと思った。しかし近づいてみると、それは明らかに“人”の形をしている。身体の上半分は裸の少女のようで、下半分は深緑色の鱗に覆われた魚の尾びれ……いわゆる“人魚”にしか見えなかった。
大輔は思わず辺りを見回す。誰もいない。目の前にあるのは、打ち上がった“人魚”だけ。現実の光景とは信じがたいが、少女の胸はかすかに上下している。生きている。それどころか、怯えたように大輔を見上げているようだった。
「だ、大丈夫か……?」
言葉が通じるかもわからない。しかし、彼女は苦しそうに網から逃れようとしている。その表情には明らかに助けを求める必死さがあった。大輔は慌てて網の切れ端をほどき、慎重に海水の混じった砂を払い落としてやる。
すると少女の唇がかすかに震え、「……た、すけ……」という声ともつかない声が聞こえたように思えた。大輔は自分の耳が信じられない。しかし目の前にいるのは、どう見ても人魚なのだ。
身体は冷え切り、さらに打ち付ける波が傷口を刺激するのか、少女は小さく震えていた。大輔はどうしていいかわからなかったが、ともかく家に連れ帰るしかない。救急車を呼ぶにも、この姿をそのまま見せるわけにはいかない。警察や病院に連絡すれば、騒ぎになることは目に見えている。町の小さな噂ですら大きくなるのだ、ましてや“人魚”なんて世間に知られれば、どうなるかわかったものではない。大輔はもう一度、辺りをじっくり見回して誰もいないことを確認すると、少女を抱きかかえて工房へ走った。
第二章 秘密
大輔が工房に戻ると、鶴江が朝食の支度をしていた。魚の干物を焼く煙が立ち上り、台所はかすかな磯の香り。
「ちょっと、あなた、どうしたのそんな大慌てで……」
鶴江は夫が腕の中に少女を抱えているのを見て、思わず声を詰まらせる。しかも、その少女には尻尾があるのだ。
「しーっ。とにかく中へ。後で説明する」
大輔は鶴江を促して、工房の裏手にある離れの一室へ入り、そこに少女を横たえた。鶴江は最初は驚きで顔が真っ青だったが、次第に落ち着きを取り戻すと、傷の手当てをしようと動き出す。
「ど、どういうこと?」
「海岸で見つけたんだ。台風で漂着したらしい。このまま放っておいたら死んでいたかもしれない」
鶴江は驚きつつも、少女の様子を見て「本当に人魚……? 夢でも見てるんじゃないかしら」と呟いた。しかし少女が吐き出す苦しそうな息や、海水で濡れた長い髪、傷ついた鱗は確かに現実のものだ。鶴江は急いでタオルや消毒液、ガーゼを用意して、できる限りの手当てを始めた。
少女は言葉を発することはできないようだったが、ときどき申し訳なさそうな目をして、痛みに耐えるようにきゅっと唇を結ぶ。その健気な様子に鶴江は母性をくすぐられたのか、自然と優しく声をかけていた。
「大丈夫よ、痛くないようにするからね。怖くないわ」
大輔は鶴江の横顔を見て、かつて子供を失ったときのことを思い出す。あのときは悲しみで言葉にならなかった。今、目の前に不思議な“命”が横たわっている。それは夫婦にとって、運命的な出会いだったのかもしれない。
第三章 海の子
少女はしばらく声を出さなかった。そもそも人間の言葉を話せるのかどうかすらわからない。だが数日が経つにつれて、少しずつ回復してきたのか、視線で意思を示すようになり、大輔や鶴江が表情や口調で話しかけると、かすかに笑ったり、首を振ったりするようになった。
問題は“食事”だった。鶴江は「とりあえずお粥を……」と試みるが、まったく受けつけない。代わりに刺身を細かく切ってあげると嬉しそうに頬張る。どうやら海の生き物だけに、魚介が主食らしい。しかも生魚を好むようだ。大輔が近所の漁港で新鮮な魚を仕入れて与えると、美味しそうに食べている。
鶴江は笑いながら言った。 「まるで子供に戻ったみたい。昔、もし私たちの子が生きていたら、こんなふうに世話をしてあげてたのかしら」 「そうだな……」
夫婦には次第に、“彼女はまるで自分たちの娘のようだ”という思いが芽生え始めていた。しかし彼女の尻尾はやはり魚で、鱗は見るたびに神秘的に光る。しかも一度だけ、夜遅くに大輔が離れの様子を見に行ったとき、少女は苦しげにうめきながらも、水の入った洗面器を手にし、不器用な動きで自分の尾びれに水をかけていた。皮膚が乾いてしまうと痛むらしい。人間に完全にはなれない、その姿を見て、大輔は切ない気持ちになった。
夫婦は彼女を「シズク」と呼ぶことにした。深い意味はないが、昔流行った名前からなんとなく。人魚の言語や名前はわからないが、「シズク」と呼ぶと少女は笑顔を返す。夫婦にとっても呼びやすく、自然と馴染んでいった。
第四章 町おこし
シズクを保護していることは、当然ながら他人には秘密にしていた。もしSNSやテレビなどで「人魚発見!」なんて大々的に報じられたら、どうなるか想像もつかない。特にこの町は観光客を呼び込みたい気持ちが強いから、町役場や観光協会あたりが目をつけたら、祭り上げられるに違いない。シズクの意志とは無関係に、娯楽やビジネスの道具にされる可能性だってある。
そんな中、「紅灯」のキャンドル作りだけはどうしても続けなくてはならない。大輔は受注のため、普段通りに工房を開いていた。しかし近頃はSNSでバズるかどうかで売れ行きが左右される。いつもは数本の注文だけでじゅうぶん暮らせていたが、ここ数年は注文のキャンセルや値下げ交渉なども目立つ。加えて原田家も高齢で、いつまで事業を続けられるか先行きは不透明だ。
そんなある日、地元の観光協会が「キャンドルアートイベント」を企画したいと、大輔に相談を持ちかけてきた。町おこしの一環として、夜の海辺にずらりとキャンドルを灯し、それをSNSで拡散して観光客を呼ぼうという狙いだ。以前ならそんな話には乗り気でなかった大輔だが、このところの生活費やシズクのために買う魚代を考えると、どうにか収入源を確保せねばならない。鶴江と少し話し合った結果、「協力できる範囲で」とイベントに参加することを決めた。
観光協会の担当・**滝川良太(たきがわ りょうた)**は若手職員で、SNS運用にも熱心らしい。彼は熱心なあまり、カメラを持って工房や港を何度も取材に訪れた。シズクの存在がバレるのではないかとヒヤヒヤするが、幸いにも離れの方までは立ち入らなかったので、なんとか隠し通すことができていた。
第五章 願い
数か月が経ち、シズクはもうすっかり夫婦に懐いている。しかし身体にはまだ不自然なところがあり、特に下半身の鱗は乾燥すると裂けるのか、痛がることがあった。夫婦は彼女のためにバスタブを改造し、海水を汲んで入れられるように工夫した。するとシズクはその中で尾びれを動かし、少しはリラックスできるようだ。
ある夕方、鶴江がバスタブに海水を足しに行くと、シズクが小さく鼻歌のようなものを口ずさんでいた。言葉にはなっていないが、悲しげでいて優しい響き。人魚が歌う声は美しいという伝説があるが、それを思わせる旋律だった。鶴江は聞き惚れていて、水を足しに来たのを忘れるほどだった。
「シズクちゃん、それは歌なの?」
問いかけても返事はない。シズクは微笑んでいるだけだ。けれどその眼差しは、海の向こうを恋しがっているようにも見えた。
しばらくして、シズクはスケッチブックと鉛筆を手渡された。言葉のやり取りができなくとも、何か描けば伝わることもあるのではと、大輔が考えて用意したのだ。するとシズクは拙い手つきで、波打つ海と、海底のような景色らしきものを描き始めた。魚の群れ、サンゴ礁、海藻。それから自分と思しき少女の姿が岩の上に描かれ、さらにその隣にはもう少し年長らしい人魚が描かれていた。
「家族がいるのかもしれない……」
そう呟いた鶴江の声は少し震えていた。シズクが本来いるべき場所は、地上ではなく海の中なのだ。だが今の状態では、海に放り出せばまた漂流してしまうかもしれないし、傷も完治したわけではない。鶴江や大輔にとっても、シズクを失うのは辛い。でも、シズクにとって本当に幸せなのはどこなのか——二人はそのことを何度も考えるようになった。
第六章 疑惑
イベントの準備は順調に進んでいた。町おこしのため、海辺に大輔が作った赤いキャンドルを数百本並べ、夕暮れから夜にかけて一斉に点灯する。それは幻想的な光景を生み出すだろうとSNSでも話題になっている。観光協会の滝川も大張り切りで、「このイベントを成功させれば、町が一気に注目されますよ!」と意気込んでいた。
ところが、滝川はキャンドル工房「紅灯」を頻繁に訪れるうち、何かを感じ取ったようだ。あるとき、「あの……最近、離れのほうから誰かの声が聞こえたように思うんですが」と、大輔にさりげなく聞いてきた。
「はは、いや、離れは物置きになってるから、人なんかいないよ。風かネズミじゃないのかね」
大輔はすっとぼけて笑い飛ばした。しかし滝川の眼差しはどこか鋭かった。彼はSNSの取材用にカメラを構えて、工房のさまざまな角度を撮っていく。大輔はつとめて自然体で応対したが、焦りが胸を締め付ける。ここでシズクが見つかれば、すべてが台無しだ。
そんなある日、滝川が撮った写真の中に、少しだけ尾びれの先が写り込んでしまった。それもわずかな一部で、目立たないと言えば目立たない。しかし「魚の鱗にしては大きすぎる」し、「布の模様とも違う」。滝川はそれを不審に思い、データを拡大して何度も見たらしい。
そして、ついに彼は大輔を問いただした。 「原田さん、正直に言ってください。何か隠してることはありませんか?」 「そりゃあ、田舎の家なんて不要品だらけだよ。隠し事というか、見せるほどでもないものだらけさ」 「……そうですか」
滝川は納得していないようだが、表向きはそれ以上追及しなかった。しかし、その日以降、滝川が工房に来る回数はさらに増え、時折離れの扉の周りをうろつく姿が目撃される。大輔と鶴江は神経質に見張りを強化する必要に迫られた。
第七章 裏切り
イベント前夜、キャンドルの設置が終わり、観光協会のメンバーやボランティアたちが撤収した後、大輔は離れに戻った。すると怯えた顔をしたシズクが、明らかに落ち着かない様子で彼にすがりつく。どうしたのかと周囲を見ると、鶴江が顔を強張らせている。
「滝川さんが、どうも離れに入ろうとしてたみたい。私が慌てて止めたんだけど。シズクちゃん、怖がっちゃって……」
心配そうにシズクの肩をさする鶴江。シズクはまるで「このままここにいても、見つかってしまうのではないか」と訴えているように見える。大輔は苦々しい気持ちだった。シズクが見つかったら、どうなるか。町の目玉にされ、マスコミが押し寄せ、その後はどこかの研究施設に送られてしまうかもしれない。そんな未来はシズクの幸せとはほど遠い。
だが、シズクを海に帰すにはどうしたらいいのか。傷はかなり回復してきたが、元通りに泳げるかはわからない。ひょっとしたら、彼女の仲間はもう遠い海へ行ってしまっているかもしれない。それでも海に戻るのが“自然”だ。大輔も鶴江も、時間が経つほどその思いは強まっていた。
翌日、いよいよイベント当日。サンセットタイムに合わせて赤いキャンドルがずらりと並び、多くの観光客がスマホやカメラを手にやってきた。海岸には美しい赤い灯が揺れ、人々のざわめきとシャッター音が響いている。想像以上の盛り上がりだった。
だが、シズクを気にかけていた鶴江は落ち着かない。シズクを離れにひとりで残しているのだ。このタイミングで誰かが押し入ったら、防ぎようがない。大輔も観光協会のスタッフを手伝っているが、気が気ではない。
日が沈み、夜の闇が深まる頃、滝川が大輔に声をかけてきた。 「原田さん、少しお話が……」 「なにかな? 忙しいんだが」 「ほんの少しでいいんです」
そう言って滝川は人気の少ない波打ち際へと大輔を連れて行く。
「今日、町長もこのイベントに来ています。もし“人魚”を見つけたとなれば、町は一気に有名になる。観光客がどっと押し寄せ、町は潤いますよ」 「…………」 「原田さんは、赤いキャンドルの権威です。もしそこに“人魚”という目玉が加われば、人生最後の大仕事になるんじゃないですか? 町への貢献だって、ものすごいものになる。どうです?」
滝川は微笑む。その眼差しは金銭や名声をちらつかせるかのようだ。大輔は腹の底から怒りがこみ上げた。
「馬鹿げてる。そんなもの、シズク……いや、人魚が望むわけないだろう。お前は人魚をものとして見ているのか」
滝川はあからさまな侮蔑の表情を浮かべる。 「そりゃあ“もの”ですよ。少なくとも、ここでは法律に守られる“人間”じゃない。珍しい生き物、あるいは新しいコンテンツ。そう思ったほうがずっと合理的でしょう。町の将来のために利用しない手はない」
正直、今の町がどれだけ困窮しているか、大輔もわかっている。しかしシズクを犠牲にして栄えて何になる。血の通わない町興しなど、彼にとっては偽りの希望にすぎない。大輔は激しい怒りで滝川を睨んだ。
「ふざけるな。そんなこと、絶対に許さない」
大輔はそのまま滝川を振り切って、離れへと走り出す。このままシズクを連れ去られるわけにはいかない。滝川がどう動くかわからない以上、すぐにでもシズクを海へ逃がすしかない。夜の海は危険かもしれないが、時間がないのだ。
第八章 海へ
大輔が離れに戻ると、鶴江とシズクが待ち構えていた。鶴江は何かただならぬ気配を察しているようで、すでに最低限の荷物(バスタオルや水桶、スケッチブックなど)をまとめていた。シズクは不安そうだが、鶴江の手をぎゅっと握りしめている。
「お前たち、すぐに海へ行くぞ。滝川が……多分、役所の人間を連れて来るかもしれない。ここにいちゃ危ない」
大輔の声に躊躇はなかった。シズクは尻尾を揺らし、小さく頷く。鶴江は複雑そうな表情を浮かべたが、これが最善だという思いも同じだった。
三人は裏道を使って、なるべく人目を避けながら海辺へ向かった。イベントの中心地帯は反対方向なので、暗闇にまぎれながら進んでいく。やがて人気のない岩場へとたどり着いた。大輔と鶴江はシズクを支えながら、そろそろと水際に近づく。満ち潮の時間もあり、波はかなり強い。
「シズク……もう大丈夫だ。あとはお前の海だ」
そう言いながらも、シズクはひどく震えている。深い海へ戻るのが恐ろしいのか、あるいは夫婦と別れるのが寂しいのか。その表情は様々な感情がないまぜになっていた。そして、鶴江の頬にも涙が浮かんでいる。
「……行っていいのよ。あなたにはあなたの家族がいるんでしょう。私たちのことなんか気にしなくていいから。ありがとう、シズク。こんな年寄りのもとに来てくれて」
シズクは何か言いたそうに口を開くが、やはり声にはならない。ただ、涙が海水と混ざりながら鱗の上に落ち、月明かりに反射してキラキラと光る。シズクは鶴江の頬にそっと手を当て、次に大輔の方を向いて小さく微笑んだ。どこか「ありがとう」と言っているように見えた。
シズクは尾びれを強く一振りして海へと滑り込み、波の間に姿を隠す。鶴江と大輔はただその背を見守るだけだ。シズクが夜の闇に紛れて海の奥へ泳いでいく。そのとき、一瞬だけ遠くで水しぶきが上がり、それを合図にするかのように風が吹いた。夫婦にはそれがシズクの“さよなら”の合図だと感じられた。
第九章 収束
シズクを海に送り出した後、夫婦が工房に戻ると、予感は当たっていた。滝川を始めとする町の役員数人が工房の前に立っている。彼らは「見せてもらいたいところがある」などと口実をつけて離れの扉を開けようとしていた。
大輔はあえて大きな声で言った。 「勝手に人の家に入るのは不法侵入だ。あなた方、何を探しているのか知らないが、ここに“人魚”などいない。騒ぐなら警察でも呼んだらどうだ」
滝川は舌打ちし、町長らしき人物はいたたまれない様子で顔を背ける。「人魚」という証拠がなければ、彼らも強く出られない。
「原田さん……あなた、本当に何も隠してないんですね?」 「はじめからそう言ってるだろう。嘘だと思うなら、どうぞ隅々まで探してくれ。だが、何も出てきやしないよ」
離れを調べた結果、当然シズクはいない。わずかに残る水の跡や、鱗の粉のようなものに気づく者もいたが、それらを「決定的な証拠」とは言い難い。人魚を確保しようと躍起になっていた滝川は落胆し、町長や他の役員も「こんな恥ずかしい真似をして、何の成果もなかった」と気まずい空気に包まれながら帰っていった。
その後、町役場から正式に「キャンドル工房に対して無断で立ち入り調査を行った」との謝罪が入り、騒ぎは収束した。結局、人魚などいなかったということで、町には大きな変化もなかった。ただ、イベントそのものは成功して、SNS上での話題にはなり、観光客もそこそこ増えたようだ。
第十章 幻
秋が深まり、灯浜の海は日に日に冷たくなる。夜の海風は肌を切るようだが、夫婦は毎晩、キャンドルに火を灯してシズクのことを想うのが習慣になっていた。特に大輔の作る赤いキャンドルは、昔から“お守り”のような意味合いを持ち、この町では祝い事や慰霊にも使われてきた歴史がある。
ある夜、夫婦は海辺に出かけて、シズクが最後に姿を消したあの岩場で赤いキャンドルを灯した。波音が静かに響く中、キャンドルの炎があたりをぼんやりと照らし、二人の影を伸ばす。
「シズク、ちゃんと海を泳いでるかな……」 「きっと大丈夫だよ。あの子は強い」
大輔はそう言いながら、海面を見つめた。暗闇の中、波間に人影は見えない。もしシズクが元気なら、遠くの海を泳いでいるだろうし、仲間に会えていたら幸せに暮らしているはずだ。でも、この海でまた会えることはあるのだろうか。
二人がじっと海を眺めていると、不意に小さな光が海面に反射した。最初は月の光かと思ったが、よく見ると波が揺れるたびに一瞬だけキラリと光って消える。それが何度か繰り返される。
「まさか……?」
胸が高鳴り、夫婦は思わず海岸線を駆け下りて水際まで行った。しかし、その瞬間に光は消え、暗闇に戻った。まるで幻だったかのように、何も見えなくなる。
大輔は苦笑いしながら、小さく呟く。 「さすがに、考えすぎか。あれは月の反射かもしれないな」
しかし鶴江はどこか慈しむような微笑みで、 「いいのよ、幻でも。あの子が元気にしてるって、私たちが感じられたのなら」
そう言って赤いキャンドルの火を見つめた。炎は少し揺れて、また落ち着く。二人はしばらく海辺の岩に腰掛けて、波と風の音に耳を傾けた。それは寂しさと優しさの混じった、静かな時間だった。
終章 祈り
それから数週間後。シズクとの暮らしの痕跡は少しずつ消え、離れも以前の物置兼作業場に戻った。シズクが使っていたバスタブは処分され、傷に塗っていた薬品も片づけられ、唯一残ったのはスケッチブック。海底の絵や家族らしき人魚の絵が残っている。それを見るたびに夫婦はシズクを思い出す。
ある日の夕方、鶴江は工房の窓際で赤いキャンドルの仕上げをしていた。表面を磨き、フチを整え、仕上げに薄い金粉を使った飾りを施す。もともとこの赤いキャンドルは祝福の意味合いだけでなく、魔除けや航海安全のお守りでもある。照明が発達した今の時代では、キャンドルは“癒し”や“幻想的な演出”として需要があるが、昔のような“祈り”の象徴でもあった。
窓の外を見ると、冬の気配が漂う海。波は荒く、雲は低く垂れこめている。思えば、あの台風の日からすべてが始まった。ひょっとしたら、またいつかシズクのような存在がこの町にやってくるかもしれない。海は広く深く、不可思議な秘密をたくさん抱えている。人間が知るのはごく一部なのだ。
鶴江は完成したばかりの赤いキャンドルを手にとって、ふと笑みを浮かべる。そしてそっと胸の前で抱え、シズクのことを思う。
「あなたが、どこかの海で幸せに暮らしていますように」
その声は静かで、しかし深い祈りの響きを宿していた。
一方、大輔は工房の入り口で小さな看板を立て直していた。そこには古びた筆致でこう書かれている。
紅 灯
—赤い灯に祈りをこめて—
【完】
あとがき:
ご存じの方もいらっしゃるかと思います。今回の作品は小川未明作の童話『赤い蝋燭と人魚』のオマージュ作品です。
現代版にアレンジした内容ですが、終り方はだいぶ変えてあります。
ずいぶん悩みましたが “心無い人たちへの仕打ち” 的に何か現代風での事件や事故を考えてもいたのですが、想いつかず…、というか想いついても只々悲惨になるだけで自分としては納得いかず。(それが無くちゃ「戒め」にならないのですが…)
結局、「この老夫婦が納得いく終わり方」なのかなと考え、この様なエンディングにしました。
古い映画に『エレファントマン』という作品がありましたが、あのようなストーリーにしてしまうと、シズク自身が可愛そうだと思い…。でも、童話にするなら人間の汚さを見せつけるのも必要なのかもしれません。
あ、名前ですが、老夫婦や役場の人の名前は ChatGPT の案で、「シズク」はわたしの考えた名前です。いくつか ChatGPT に上げてもらったのですが、あまりピンと来なくて結局自分で考えたものにしました。
小川未明の作品は多くが青空文庫に掲載されています。『野ばら』『金の輪』『牛女』などなど素晴らしい作品が多いので、また現代風アレンジを作ってみたいです。
※イラストは ChatGPT により作成
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