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心穏やかに

こんにちは、まさやんです。

最近時間に余裕が出来て考えるようになったこと。それは、これからの自分についてです。これから自分はどうしたいのだろうか、何になりたいのか、ここの所ずっと考えていました。

1.過去の自分


今までの自分は、他人に迷惑をかけまいと周りに合わせていました。自分の考えは二の次です。いや、そもそも考えていませんでした。そして、相手の機嫌を損なったりしたら、あの時こうすればよかった、どうしてしっかり返せなかったんだろうなどと一人反省会をしていました。しかし対策など練れず、ネガティブな思考ばかり。自分はダメ人間だと責めたりしていました。


どうして、そうなってしまったんだろう...小学生の頃は比較的明るかったのに...
中学生になったあたりから、どんどん暗い内向型になってしまいました。
原因が全く分からず、その状態に苦しんでいました。元々クリスチャンホーム(母方のみクリスチャン)の家庭で育ち、少なからず信仰心を持っており、神様にお祈りするといった習慣がありました。先ほどの原因についてお祈りしたのですが、何も解決せず、それどころか『死にたい』『生きている意味がない』などと思うようになりさらに悪化してしまいました。家族との交わりも全くなく、友達もいない...ほぼ孤独な状態でした。

2.転機


しかし22歳になった頃、ここでようやく転機が訪れました!
キリスト教関係のお話しになりますが、聖書に書かれているある箇所によって考え方が変わり、そして長年苦しんだ原因も解るようになりました。
聖書にかかれているその箇所というのは、マタイの15章です。

『イエス様が水の上を歩いていて、弟子たちはそれを見て恐れたが、ペテロは船から出て、水の上に立っているイエス様の方に向かい歩いて行った。しかし、そのほかの弟子たちは船に留まった。』

一見、ただの物語の一部に過ぎないんじゃないかと思われるのですが、ここで私の考え方はガラリと変わりました。簡単に説明すると、弟子たちが船に残ったということは、安定を求めて居心地のよい場所に留まる、という事。また水の上なんて歩けるはずはないと、目の前にある問題を注視して、神様に目を向けない姿であると語られました。このような姿は信仰がなく、奇跡なども当然見る事はできないと。

その意味を知り、まさに自分はこの状態だと気づかされました。確かにそこから一歩踏み出さないと奇跡を見る事は出来ないし、それどころか神様から離れてしまい、自分の問題ばかり見つめ続けて、ますます悪い方向へと陥いってしまう…。この箇所は何度も聞いておりましたが、ようやくその意味がハッキリしました。自分は今まで神様に身を委ねられなかったのだと。
神様はずっと側にいてくれたのにも関わらず、背中を向け、ただただ問題しか見ていなかったのだと。だから問題ばかり抱えていたんだと思い知らされました。そして、今の現状から抜け出して、本気で神様を求めたいと思うようになりました。
ここから少しずつ良い方向へと変わっていったわけですが、肝心なお話が残っていましたね。汗

3.暗くなった原因と気づけるようになったこと


中学生から暗くなっていった原因...それは、父親からの否定的な言葉です。

『お前は何もできない』、『頼んだのが失敗だった』『どうせ無理だろ』などと色々言われました。その時、自分はダメな人間なんだなと思うようになりました...というよりは無意識にそうなっていきました。所謂刷り込みですかね。

しかし、父親はただ単に否定的な言葉を放った訳ではありませんでした。その真相について、母親から教えてもらったのですが、自分が強くなってほしいという思いでそのような言葉を言ったそうです。否定的な言葉を言うことで、反感を買って奮い立たせ、努力してほしい。そのような意味を込めて、言い続けていたそうです。
涙を流しながらそのように語ってくれた母親に、自分も涙を流しました。
思い返せば、父親から色々と尽くしてくれたことがたくさんありました。
美味しいものをご馳走してくれたり、自分が喘息持ちで夜中に発作が起きた時、車を出して病院へ駆けたり、夜遅くまで仕事をして疲れているのにも関わらず、帰ってきた後面倒を見ていたり(母親曰く、幼少期の頃)など...大事に愛されていたのだと気づきました。

あと、これまた母親から言われたのですが、父親は小学生の頃に祖父(自分からみた関係)を亡くしておりました。また家庭も複雑だったようで、全く愛情を受けていなかったのとのこと。そしてそのまま大きくなっていき、いざ父親になった時、どう接すればいいのか分からず、僕に対して否定的な言葉でしか言うことが出来ませんでした。(実際、それが過去との因果関係は不明ですが...)
ですので、自分はどんどんネガティブになっていき、大人になるまで家族の本当の愛に気づくことが出来ませんでした。

4.「HSP」


しかし、このような経験をして良かったなと思いました。なぜなら、他人に共感できるようになったからです。おこがましいかもしれませんが、そのおかげでいろんな人の悩みや本音を引き出すことが出来ました。『あなたのおかげで前向きになれたよ』『今まで誰にも話さなかったけど、あなたにだけ話せた』などそのような言葉もいただきました。
あとから知ったのですが、どうやら自分は『HSP』という傾向があるそうです。(軽い診断で行った結果ですが...)
簡単に言いますと、とても繊細で敏感すぎる人。ネガティブに受け取りがちですが、ポジティブにも捉えることが出来まして、共感能力が高く、どんな些細なことにも気づき感じ取ることができる。そのような特性を持っているのが「HSP」です。
思えば、相手が過去の辛い経験を話しながら泣いていた時、その内容がものすごく共感したといいますか、自分も涙を流していました。まだHSPについてあまり深くは知らないので、それに関係しているか定かではないですが、とりあえず自分についてもっと知り向き合っていこうと思うようになりました。

5.まとめ

自分を少しずつ知っていくと、心が穏やかになっていくような気がします。今までの自分は常に不安が付き纏い、心に落ち着きがありませんでした。それは自分がなんなのか分からなかったからです。
その分からないモヤモヤをこれからは少しずつ取り除いて、心が晴れて穏やかになれるように色々と行動していきたいと思います。

...とまあ、これにて記事はここまでですが、またまた完璧主義が発動しかなりの時間を要しました。まずは出来ることから始めていきたいと思います。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました!

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