真夏のわすれもの
今年の10月ときたらそれはもう目まぐるしかった。
例年ならこの月になるくらいにはパーカーのぬくもりが気持ちいいくらいの気候のはずだ。それなのに。
2018年10月1日、ぼくは半そでに七分丈のジーパンといういでたちだった。
なぜならばこの日の気温は30度を超していたからだ。立派な真夏日である。えっおかしくないか今秋だぜ?それなのに「真夏日」?とかなり混乱しつつ周りを観察してみた。
季節感のない小学生でも普段の10月ならそんな薄着はしないだろう。だがこの日ばかりは老いも若きも皆薄着であった。街の風景を切り取って写真だけを見れば、立派な夏である。平成最後の夏はこんなにもしぶといのか・・・。
この後も結構暑い日があったりなかったりしたせいで、ぼくはすっかり夏の終わりを見失ってしまった。正直10月が終わりそうな今でも夏が完全に終わった気がしない。だからなのか、それともただ単にめんどくさいからなのか、ぼくの部屋の窓際には未だに風鈴が掛けっぱなしだ。夏に風に揺られ涼しさを演出していたそれは、何とも言えない懐かしさともの悲しさを漂わせて、時々「ちりん、ちりん」などと鳴っては大人しく佇んでいる。
季節外れの風鈴はふしぎな魔法を使う。気まぐれな秋風に揺られては透き通るような音を鳴らし、夏を追憶させる。そしてぼくのこころを懐かしくさせ、誰かに会いたくさせる。夏には懐かしく感じるものがたくさん詰まっているのだ。心の中にある夏の扉を風鈴の音は優しくノックする。
そろそろ11月だ。また来年のために真夏の忘れ物をしまっておかなきゃな。
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