「センスない」って、なんだろう。好きならよくない?
こんにちは、すがどんです。
今回は、「センスない」って、なんだろう。好きならよくない?というテーマで書いていきます。
学生時代によくありそうなのですが、着ている服に対して流行っていないのを着ているとそれダサイとか、聞いている音楽がメジャーなものだとセンスないとかいう会話をすることがあると思います。
僕は学生時代にそういうことを言われては、たじろいでいたのですが大人になって思います。好きなら別に良くない?と。
誰に迷惑をかけるわけでもなく、好きでその服を着ていて、好きでその音楽を聞いている。そして、その好きは人によって違っている。
人それぞれで、周りの目を気にすることなく自分の好きなものに没頭することは楽しくて素敵なことだと思っています。
「センスない」といった実体の見えにくい言葉をかけられた人の、その人らしさが無くなってしまうのは悲しくてもったいないことだなと感じます。
「好き」はセンスを超える。
「好き」によって突き抜けている人って、魅力的です。
その好きなことについて話すときに目がキラキラして情熱を込めながら話す様子は見ているだけでこちらもワクワクしてきます。
そして、その好きな何かを持っている人がセンス云々を気にしているとはとても思えません。
話を聞いている側としても、センス云々はどうでも良い話です。
もし、あなたが特定の分野で「センスないね」なんていう言葉をかけられたら、心から好きなことでもって堂々としていたら良いと思います。
一つの好きなことで突き抜けて、発信をしていたら同じ感覚を持っている人が集まってきます。
「センスないね」って言ってきた人より心が開きやすくて親しみやすい人が集まってきます。
だから、あなたがすごく好きなことがあるのなら、誰に「センスないね」と言われようが好きなことを好きでい続けてほしいなと思います。
その飛び抜けた好きなことによって、誰かの役に立てたり、自分に幸せがもたらされることがあります。
「好き」は最も大切にした方が良い感覚の一つです。「好き」をさらに実現したいことまで昇華させていたら最強だと感じます。下記記事でも書いています。
宇多田ヒカルを聴くのはセンスないの?
中学の頃、僕は音楽が好きでバンドもしていました。
洋楽はほとんど聞かなくて、J-POPをよく聞いていました。
当時、学校ではGOING STEADYなどのパンクバンドを聞いたりコピーするのが流行っていて僕もその一員でしたが、正直なところでは、メロディラインに特徴のあるJ-POPの方が好きでした。
ある時、学校で最近どんな音楽を聞いている?という話題になったときにクラスで目立つタイプの男子が
「宇多田ヒカルなんて聞いてないだろうな?」
と言ったんですよね。
僕はめっちゃ聞いていました。J-POPが好きだったので、宇多田ヒカルももちろん聞いていました。
今思うと、その言葉って何なんだろうなと思います。まるで、「宇多田ヒカル」を聞くのがダサイみたいに。
ダサイ音楽があんなに日本中で売れないと思うんです。宇多田ヒカルの才能は、僕は本当にすごいなと感じています。
花束を君に、で久しぶりにシングルをリリースしたときに、何度も1曲リピートをして泣きました。アルバムのFantômeもよかったです。
自分が良いと感じるものは他人がどう思おうが関係なく良い。
誰かに好かれようと思って、無理に好きでないものを好きで思おうとする必要も無い。
センスないね、という実体の無い言葉に惑わされる必要はどこにもありません。
それから、「使えない」と言われても気にする必要はどこにも無いと思っています。
ものを生み出している作り手は、すごい。
音楽でも何でも、何かものを作って提供している人はすごいです。ましてや、それでご飯を食べていっているなら相当にすごいことです。
ものを作っても、正直売れるかどうかなんてわかりません。
でも、そこに懸けてリスクを取ってでも作り手側の人生を歩んでいる人がたくさんいます。
僕は、そのような方達を本当に尊敬しています。
僕自身、音楽、脚本などものづくりを志していたことがありましたが、どうしてもそれでご飯を食べていくイメージが出来ませんでした。プロフィール記事でも書いています。
だからこそ、ものづくりをしている人たちを尊敬しているところがあるのですが、そのような厳しい市場の世界ではセンスないといった実体のない言葉を使わなくても、売れないものは売れないことで厳しく評価されています。
一方で、多くの人には売れていなくても特定の人にとっては、すごく良いものであるかもしれません。
センスない、という言葉は言われてあまり気持ちの良いものではないですし、何より作り手側へのリスペクトが欠けているように感じます。
センスない、は今後使われなくなってもいい表現かなと思います。もっと穏やかで優しい表現が作品に対して使われていくといいなと思います。(批評することは必ずしも厳しい言葉で非難することではないと思っています。)
おわりに
今回は、「センスない」って、なんだろう。好きならよくない?というテーマで書いてきました。
例えば、オタクと呼ばれる人たちがいますが、何か好きなことがあってそこに没頭しているというのは素晴らしいことだと思います。
たとえ、周りから引いた感じの態度をとられても好きな気持ちと一緒に楽しそうにしていたら、周りもそのうち何も言ってこなくなります。
自分から何かの区切りを感じて、好きで没頭する対象を切り替えるのはいいと思いますが、誰かから言われた「センスない」の一言であなたの好きなことが好きなことでなくなるのだけは、無くなってほしいなと思います。
みんながありのままの自分を受け入れて、「好き」の気持ちに毎日水をあげながら楽しく過ごす時間が日本中で広まっていったらいいなと思います。
僕は今後もセンス関係なく、自分の「好き」に水やりをしていきます。
それではー。
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