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ケン・リュウ「紙の動物園」書評(1)(評者:田中太陽)

 先週から新三回生のゼミが本格的に始まりました。初回の読書会はケン・リュウの名作「紙の動物園」を読みました。ジェンダー的観点からの読みなど、大変活発な議論がかわされ、とても楽しい読書会となりました。
 今回は3本の書評を紹介します。まずは田中太陽さんの書評です。

ケン・リュウ「紙の動物園」書評(『紙の動物園』早川書房)

評者:田中太陽

 この物語はアメリカ人の父と中国人の母をもつ主人公が過去を振り返るという形で展開されていく。主人公の母親は折り紙に命を吹き込むという不思議な力があり、主人公は幼い頃から老虎(ラオフー)をはじめとする折り紙の動物たちに囲まれて育った。
 しかし、主人公の家族がアメリカの片田舎から都市部へと引っ越しをしてから状況が変わり始める。自分が中国人とのハーフであることから差別的な言動や態度をとられたことに耐えかねた主人公は自身の中国人の要素の根幹である母親を拒絶するようになり、彼女の作品である老虎らの紙の動物たちも箱に閉じ込めて屋根裏部屋に押し込んでしまう。
 そうして彼が母親とわかり合えることはないまま時は過ぎ、彼が大学生の頃に母が重篤な癌であることが判明する。母親は病床で主人公へ「中国の春節の季節になったら屋根裏の箱を開けてほしい」と懇願するが、主人公の態度は冷淡なもので、それから程なくして主人公の母親は亡くなってしまう。
 その後自宅の整理をしていた主人公は屋根裏部屋から老虎らを押し込んだあの箱を発見する。紙の動物たちは制作者の死に伴ってその命を失って動かなくなっていた。しかし、ある日突然老虎が動き始める。それは中国の春節に当たる日であった。懐かしむ主人公の膝の上で解けた老虎の内側には母親からの手紙が中国語で書き記されており、中国人観光客の女性の手を借りて解読してもらうと、そこには主人公の母親が家族を失ってアメリカ人の父に嫁ぐことになるまでの壮絶な経緯と周囲にアメリカ人しかいない孤独の中でも故郷の家族や自分の面影を受け継いだ主人公のおかげで耐えられたこと、そしてその主人公に拒絶されたことがいかにつらかったかなどが記されていた。
 主人公は自分が母親を拒絶していたことを後悔し、その手紙の下に「愛」の漢字を何度も何度もなぞり書きする。そして折り跡に沿って老虎をたたみ直すと、喉を鳴らす老虎とともに帰路へと歩き出すのだった。
 私はこの物語のテーマを受容と拒絶、そして継承であると考える。
 この物語において主人公は自身が差別的な言動や態度をうけたことを自分の中にある「中国人」の要素が原因だとして母親や彼女の産物である紙の動物たちを拒絶するが、これは同時に、自分に対して差別的な周囲の人々を受容したともとれる。
 自身にとって当たり前に感じていた家庭での習慣や決まり事が、周囲からしてみれば非常識なものであったことに気づき、そこから周囲の「普通」に適応するために従来の家での習慣や決まり事を拒絶したという経験はここまで劇的なものではないにせよ大なり小なり誰にでもあるのではないだろうか。
 あるものを受け入れるならば、それとぶつかり合う別のものを拒絶せねばならない。主人公の場合は生まれなじんだ母親との中国的な慣習の継承を拒絶し、今おかれている環境で多数派のアメリカ人的価値観を受容したのである。私はこのことを間違っているとは思わない。確かに、主人公が拒絶の過程で自身の母親へとった態度は許しがたいものである、しかし、わざわざ今おかれている環境に逆らってまでこれまでの自分を貫くというのは並大抵のことではない。まだ主人公が子供であったことを考慮すると尚更である。しかし、老虎が近所に住む少年マークの玩具を壊してしまった際に主人公はまず謝ることもせずに老虎と一緒になって笑っており、マークは激昂して主人公に殴りかかって老虎も破られてしまうという一幕がある。これに関しては主人公には彼がもつ中国的な要素とは一切無関係な点に問題があるが、主人公は自身のうけた差別とこの一幕の原因を同一視し、ちゃっかり壊れたマークの玩具を父親に補填してもらっている。この一幕では中国的要素の拒絶に際して、主人公はそうした要素とは切り離した個人的な至らなさや落ち度までも母親や中国的要素へと責任転換していたように思える。それが母親と向き合うことを主人公が避け続けた原因の一つではないかと私は考える。
 このように主人公が周囲の環境を受容し、母からの継承を拒絶したのに対して主人公の母親は祖先からの継承を選んだ、あるいはそれしか選べなかったという点で対比構造がとられている。だが、主人公が母親からの手紙を読んで彼女への態度を後悔してから、手紙に「愛」の漢字を何度もなぞり書きし、老虎の形へと折り直すと老虎が再び動き出した描写からは、主人公がそれまで拒絶してきた母親や彼女が継承してきたものを受け入れ、自分もまた継承していくことを受け入れたことを表していると感じた。
 「人間は二度死にます。まず死んだとき。それから忘れられた時。」という永六輔氏の言葉がある。これは、逆接的に人は自分の要素を誰かに継いでもらうことで生き続けるともとれる。ともすれば拒絶されていた主人公の母親は最後に自分の要素を主人公へと継承することができた。きっとそれは主人公からまた別の人間へと継承され脈々と継がれて生き続けていくのであろう。私は最後に主人公に折られて再び動くようになった老虎はそうした拒絶を越えた受容と継承の象徴なのだと考える。

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