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ジョン・クロウリー「消えた」書評(評者:古賀芽衣)

 先週の4回生ゼミはジョン・クロウリー「消えた」でした。とらえどころの難しい短篇の解釈に、皆さん苦労されたようでした。

ジョン・クロウリー「消えた」(『古代の遺物』国書刊行会)

評者:古賀芽衣

 日々の生活の中で起こる出来事は、それらとは関係のないことにもしばしば変化を与える。食べ物の好き嫌いや人間関係など、全く繋がりがないと思われることであっても、見つめ直し考え直す機会を得ることもある。ジョン・クロウリーの短編小説『消えた』でも、未知の存在との出会いが愛の復活のきっかけをもたらしている。
 本作では、シングルマザーのパット・ポイントンと、地球にやってきたエルマーと呼ばれる謎の存在との交流が描かれている。エルマーたちは各家庭を訪問しては芝刈りや皿洗いなどの雑用を行い、意味不明の内容が記された「善意のチケット」を差し出してくる。初めは政府の指示通り断っていたパットだが、気まぐれで窓拭きを頼んだことをきっかけに、ついにはチケットを受け取ってしまう。
 物語が進むにつれて、パットが元夫のロイドに対して抱く「愛」の形は変化していく。序盤では彼を拒絶しており、子どもを連れ去られたことで彼女の憎悪は頂点に達したと思われたパットだが、終盤には彼に電話をかけて対話を試みていた。このような変化は全て、エルマーが現れて善意のチケットを与えた後に起こった。しかし、彼らは真の要因なのだろうか。彼らの行為が直接的に彼女の心情を変化させたとは考え難い。彼らはただ家の雑用をし、善意のチケットを配り、そして消えた。善意のチケットについても、特別な力があるわけではない。チェックすれば「以後、愛はすべて順調」と書かれているが、それはエルマーが彼女に約束するものではなく、彼女が自分自身に約束するものだった。あくまで彼女が「以後、愛はすべて順調」の言葉を信じたから、彼女の心情に変化が起きたのである。エルマー自体は何か重大な役割を担ったわけでも、大きな影響を与えたわけでもない。彼女が変化するための小さなきっかけに過ぎなかったのだ。もしエルマーが何でも叶えてくれる強力な存在だったなら、彼女の子どもを奪還していただろう。そうしなかったのは、それが彼女の「愛」のために必要な行為ではないからだと考えられる。エルマーによって子どもを連れ戻せたなら、彼女のロイドに対する想いは変わらないままで、むしろ憎悪が深まるばかりだっただろう。エルマーが彼女に深く介入せず、ただ向き合うきっかけを与えたことで、最終的にパットは愛を深める方向に進むことができた。
 エルマーたちは平和と協力の良さを実証するために地球に派遣されたが、目的を果たすために雑用の代行と善意のチケットの配布しかしなかった。人の心を変化させるには、それだけで十分だと知っていたのかもしれない。重要なのはいかに衝撃を与えるかではなく、いかに考えさせるかである。地球上のあらゆる場所で雑用をこなしたエルマーは、結果として怠けた人とより一層仕事に励む人とを生み出した。エルマーによる日常生活の変化にどう対応するかは一人ひとり違う。結局は他の誰でもない自分次第なのである。日々直面する大小様々な出来事をどのように捉え、どのような変化に繋げていくかもまた、我々自身に委ねられているのである。

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