THE BIG GIG 40th Aniversary。
今から40年前の今日、1983年8月7日には西新宿5号都有地で甲斐バンドのライヴ「THE BIG GIG」が行われた日なんですよね。
この日の模様はテレビ放送で観た記憶があります。
正直、1983年ですから、私の興味はムーンライダーズ周辺のミュージシャンに移っていましたが、手に汗握りながらテレビ中継を見たのでした。じゃ、行ってみよー。
・「BEATNIK 1981-1986」(音楽専科社)
石田伸也「甲斐バンド40周年嵐の季節」(ぴあ)
甲斐バンドのライヴ盤は割と持っている私なんですが、この日の『THE BIG GIG』は買ったことがないのでした。不思議なことに。。
あと、当時の愛読誌「ミュージック・ステディ」が月刊誌になった号に写真が載っていたし、ライヴよりちょっと後にシングル「東京の一夜」のレビューが載っていたとかも覚えてますね。
甲斐バンドのレコードを聴くと、ストーンズ・フォロワーの感じが弱くなってきて洗練された音作りをしているのは、ラジオ番組「サウンド・ストリート」で知っていた私です。
あ、甲斐バンドをまた聴くようになったのはARBを脱退した田中一郎さんが加入したのが大きいですね。間違いなく。
「ミュージック・ステディ」がチューリップや甲斐バンドを取り上げるようになってましたから、ラジオや貸しレコード屋でチェックするようにしてました。
1986年に私は大学に入りまして、大学生ですから、音楽専科社に興味がある友達が色々できたわけですよ。
その中に甲斐バンドがとにかく好きだった人と仲良くなったんですね。
当時の甲斐バンドのプロモーター、ディスクガレージはムーンライダーズも担当していたのです。
ライヴの優先予約をお願いして、ムーンライダーズのホール・ライヴ(日本青年館)で初の最前列もその友達のおかげでしたね。
その友達の家に遊びに行って、甲斐バンドやアースシェイカーのレコードを聴いたり、パンフレット読ませてもらったりましたね。ありがとう。
「ミュージック・ステディ」に話を戻すと、甲斐バンドやサザンオールスターズは萩原健太さんがインタビューを担当していたのでした。
健太さんが書いたはっぴいえんどの本も大好きでしたから、甲斐バンドやサザンオールスターズもまた聴いてみるかとなったのでした。
甲斐バンドはエンジニアがボブ・クリアマウンテンがやっていた時期でしたから、参加したミュージシャン含めて気になる存在でした。
大学を卒業してしばらくして、2000年前後にまた甲斐バンド好きな友達ができたのです。
ちょっと珍しいタイプの甲斐バンドファンで、PANTAさんやムーンライダーズも聴く人だったし、ハロー・プロジェクトにもはまっていました。
とにかく音楽好きだったのが、私との一番の共通点でしたね。
甲斐バンドをもう少し分析して聴くようになったし、参加ミュージシャンが山下達郎さんと共通していたなどなど面白いことに気付くきっかけをくれたのでした。
そして、水道橋博士のツイキャスに参加していて、博士がこの「THE BIG GIG」に知ったのです。
去年の段階では博士と「THE BIG GIG」40周年イベントやれたら面白いとか考えてましたが、なかなかそう上手くはいなかったのでした。残念。
甲斐バンドについてはまた書きたいと考えてます。お楽しみに。
ではまたー。