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今日の一枚〜オフコース『LIVE』

 オフコースの東芝EMI時代のアルバムはSHM-CD、つまり2009年発売シリーズで揃えているんですが、来月発売予定のコンプリート・シングルス(ファンハウス移籍後も含む)もSHM-CDということを知ってよかったと思ってます。
数年前に発売された1982年6月30日の武道館ライヴも買ってないので、今月中にはなんとか。
じゃ、行ってみよー。

・オフコース『LIVE』(TOCT-95040-41/EMIミュージック)

 基本的にはオフコースのアルバム『Three and Two』ツアーからの音源がメインの内容でして、アルバム発売前の1980年元日にNHKFMで放送された内容と重複しているんですよねー。
当時、エアチェックして聴きまくっていたわけなんですが、あの頃聴いた印象が未だに残っているわけです。
オンエアされた中で収録されなかった「潮の香り」が(彼らの曲で)一番好きだったので、アルバム買った時ガッカリしたことも思い出したりして。

 逆にオンエアされなかった田園コロシアムでの「さわやかな朝を迎えるために」やリコーダーでの「僕の贈りもの」に感動したり、とかも。

 『Three and Two』ツアーからライヴの構成が変化して、MCが極端に少なくなってしまったり、カヴァー曲(アカペラもしくはギター一本による)も取り上げなくなったのは、おそらく『Three and Two』や「さよなら」のヒットによる自信が大きかったのかな?と。
そこに至るまでにはほぼ決まっていたアニメーション映画の主題歌がキャンセルされたこともブレイクする必然だったとか考えてしまいます。

 オフコースがメンバーを固定してからの勢いはすごいものがありまして、ハウス・ディレクターであった武藤敏史さんの功績はとにかく大きいと。
大間ジローさんや松尾一彦さんの元ジャネットの参加や、PAエンジニアに木村史郎さんを起用し続けたことはその具体例として挙げられますね。
PA卓に張り付いて指示を延々と出し続けたことでがオフコースのライヴの評価を上げる結果となった要因と推測している私です。

 個人的には音盤化されていない1970年代末期の彼ら演奏の充実ぶりを形に残してほしかったなと。
1976年の「秋ゆく街で」ではコーラスにBUZZとラジさんを加えたり、松尾さんのギターはアコースティックがメインだったりとそれまでの活動(というかレコード)の再現を重視していたのが、ライヴを重ねた結果としてバンドとしてのオフコースになる過程も見せることになったと思います。
ブレイクの結果として、オフコースが失った部分も当然あるわけでして、ちょっと否定的に彼らのことを考えてしまうのはその部分を(私は)好きだからなんでしょうね。

 オフコースについてはまだまだ語ることがありますし、コンプリート・シングルスを聴きながらとかも反芻するはずですか。今日はこの辺で。

 ではまたー。

 

 


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