【小説】納豆炒飯の歌
時々作る納豆炒飯が、今まで成功したことがなかったのに今日は美味しくできてしまった。
成功しないのに何故作り続けたかといえば、投稿サイトで見つけたレシピの写真が美味しそうだったからでも、無理難題にいつの間にやら意地になっていたからでもない。ただ、たまごと納豆とごはんはいつも冷蔵庫にあったからだ。しかも、たまごかけ納豆ごはんにできるほどたまごが新鮮でない、という前提つきで。
その2つが揃う機会は節約生活の中で大いにあったので、その都度思い出しては、この納豆炒飯を作っていたのである。それが、今日、とうとう完成した。
小口切りにしたねぎをごま油で念入りに炒めたのがよかったかもしれない。味つけを鶏ガラスープの素から創味シャンタンに変えたのが決め手かもしれない。最後にごま油をもうひと回し入れたのが香ばしさを増したのかもしれない。しかしとにかく、いつもより美味しくできたこれのことを、私は無性に誰かに話したくなったのだ。
遊びに行くと手料理を振る舞ってくれる友人? 私の食生活を心配して食材を送ってくれる母親? 時々挨拶をする隣の部屋の住人? 違う違う、と頭をふる。わかっている。私が話をしたいのは、あの日の私だ。
これあんまり好きじゃない、と当時の彼氏が言ったとき、私もこれはあまり美味しくないなと思っていた。しかしご面倒なことに自分で思うのと人に言われるのとではやはり受けとめ方が異なって、じゃあもう食べなくていいよ、と突っぱねた。無理して食べなくていいよ、という意味を、私は全然へんてこりんな言葉で伝えてしまった。静かな喧嘩になった。
彼氏が帰った後の1人きりの部屋で、2人前の炒飯をもそもそと食べた。美味しくないなと、今度は確信をもって、また思った。彼氏のこともあまり好きではなかったな、と今になって思う。それでもその日の私は何だか惨めで、冷蔵庫内の条件が揃っても、しばらく納豆炒飯を作らなくなった。
しかしいつの間にやらその決意も彼氏も消え、私はこうして納豆炒飯を完成させた。長い戦いに終止符を打ったのだ。
実に誇らしいはずなのに、私は途中で箸を置いた。美味しいけれど、でも、私は納豆炒飯自体あまり好きなわけではないらしかった。あの日彼氏に作った納豆炒飯は、たぶん、私自身を知ってほしかったのだ。美味しくない料理でも、2人で笑って食べてみたかったのだ。
1リットル入る保温ポットのほうじ茶をマグカップに注いで、再び納豆炒飯に手をつける。すっかり冷めたそれは、もう美味しいのか美味しくないのかわからなくて、流し込むように熱いお茶を啜った。
私はきっとまたこれを作る。忘れた頃に作るそれは美味しかったり美味しくなかったりして、その度に私は後悔する。もちろんもう二度と誰かには作らないし、しばらくは作る気にならないだろうけれど、作る。
そうすると必然的に、この宇宙の中で私の納豆炒飯を食べたことのある人間は私と当時の彼氏の二人だけになる。もう顔も思い出せない彼に、今日の納豆炒飯はけっこう美味しかったんだよと、ほんの少しだけ、伝えたかった。
空になったフライパンから焦げた匂いがして、次はごま油をもう一回し追加したらどうかしらと、カップの残りをぐいと飲みきった。