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安定してパフォーマンスを出せる人は「低意安定」だと思う

もうすぐ4月。新生活がはじまる季節ですね。

新しいことをはじめるときって、最初はモチベーションが高いものだと思います。「がんばろう!」って思いますよね。

でも、それはちょっと危険かもしれません。

なぜなら、高いモチベーションが原動力になっている場合、そのモチベーションがなくなったら即終了だからです。

私も社会人になったとき、まさにモチベーションが高い状態でした。

就職活動をきちんとやって、希望の仕事に就くことができた。その仕事を通して誰かの役に立てると思ったらすごくワクワクしました。

とにかく最初は下積みだと思って、当時の自分なりに仕事をがんばったり、勉強してみたり。何事も経験だと思って、いろんなプロジェクトに顔を出したりしていました。

そのモチベーションは、2年は続きました。

でも3年目にぷっつり切れてしまったんです。

ある程度下積みが終わって求められる能力が変わったときに、うまくパフォーマンスが出なくなってしまって。

それで、いろんなことへのモチベーションが一気になくなってしまいました。仕事のペースも一時的に落とさせてもらい、少し時間のゆとりをつくりました。

そのときに「モチベーションが高い状態はダメなんだな」と思ったんです。

社会人は「マラソン」である

当時の先輩の言葉で印象に残っているものがあります。

10歳くらい年上の先輩が「社会人は長距離走。マラソンみたいなものだから、続けることが何より大事だよ」と声を掛けてくれたんです。

短距離走であれば、一時的なモチベーションで多少無理しても乗り切れると思います。

でも「意識して高い意識を保つ」という状態に疲れてしまうと、もう走れなくなる。それどころか、もし体や心の健康を崩してしまったらしばらく立ち止まることになってしまうかもしれません。

高い意識がなくても、一定のパフォーマンスを出せる状態にしておく。これを「定常状態」にしておくことが大切だと気づいたんです。

65%くらいの意識で続ける

常に120%のモチベーションでがんばれることに越したことはないですが、続いてもせいぜい数年。些細なきっかけで0%になりかねないし、運が悪いとなかなか再起できなくなります。

だから120%でがんばり続けるのではなく、65%くらいの意識レベルで出せるパフォーマンスをいかに上げるかが勝負だと思います。

ようするに、低位安定が大事です。「低い意識」を強調するなら「低意安定」という表記でもいいかもしれません。

中には「高意安定」でいける人もいます。いつ何がどうなるかわからない世界だから、常に120%でがんばり続けないと後悔する、という気持ちもわからなくはないです。

でも、やっぱり私には真似できないなと。

低い意識でやれることを続けるほうが自分には合っているし、結果的にまわりの人のためになると思っています。

プロフェッショナルにモチベーションは必要か?

働きはじめたころは「プロフェッショナルのモチベーションとは◯◯でなければならない」とわりと厳格に思っていた時期もありました。

でも何年か経って、プロフェッショナルであることとモチベーションの量や質はあまり関係ないと思うようになりました。

たとえばパン職人が毎朝3時からパンを焼くモチベーションは「優れたパン職人になりたいから」ではないし、「街の人の生活を支えたいから」というのもたぶんちょっと違う。

そこにはモチベーションなんてものは存在しなくて「自分の職業はパン職人だから」という理由しかない。

プロフェッショナルってたぶんそういうものだと思います。

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