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自分のカタチ

自分のことを
一人で逡巡していても、ぐるぐると
おんなじ道をループするばかりで
自分ではなく道しか見えないけれど
外から声を掛けてもらえると
下を見ていることに気づく

そうして自分の見ているものへの対話を
投げかけてもらうとその言葉やモノゴトに
心と頭が動いて自分という素材が削られて
ああ、いまの自分はこんなんだなと
自分の思い込んでいた自分との差異がわかる
自分のカタチが視えてくる

人間ってなんで間が入ってるのかなと
思っていたけれど、自分の間に人が入らないと
自分のことは自分ではよく見えないし
位置も経過も価値も選択も
自分との間に何かを置かないと発生しない
自分ってコトバの自らを分けるってその意味も
そうやって分別しつづける存在なんだなと

ただ往々にして自ずを忘れてその間ばかりに
囚われすぎて不自由になってることが
多くなっていたらしいと心底ハッとする

それが自分の処世だったともいえるだろうけど
もうそれもしなくてもやっていけるよと励まされ
痩せ細ってしまった自ずを太らせている

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