児童虐待を成功させる方法
幼い頃、家族に虐待されていた。
といっても、私自身が暴力を受けていた、というよりは、上の兄弟が主な被害者だった。
父は色々とわきまえていたので、直接殴ったり蹴ったりすることは少なく、(体に傷が残らないようにするために?)とにかく大声で罵声を浴びせながら目の前でものを叩き壊すという陰湿なものだった。
この辺が私の子供の頃の人格形成、延いてはその後の人生に大きく影響したと思う。
一例を挙げる。
ある時、私は食後に自分が使った食器を洗わなかった。母がやってくれていたからだった。
しかしある時父がこれに怒り、自分で洗えと言った。
ここまではいい。
まあ、ある一定の年齢に達したのだから、自分で皿ぐらい洗うべきだろう。
しかし、ある時私はたまたまトイレ掃除をしていて、皿を洗うのを忘れてしまった。
父はほったらかしにされた皿を見て烈火のごとく怒り、私の皿を叩き壊した。
よく蛇に睨まれたカエルとか言うが、私は戦慄のあまり文字通り体が凍りついてしまった。
そしてここからが問題だ。
以後、恐怖に駆られた私は食後にきちんと自分の皿を洗うようになった、と思った方もいらっしゃると思う。
しかし私は逆で、いかにして皿を洗わないようにするか、ということを考え出した。
母は料理の入った皿を冷蔵庫に入れていたのだが、私はあえていつも全てを食べ切らず、わざと少し残して、再び冷蔵庫に戻すようになった。
こうすれば皿を洗わなくてよくなり、父もおかずが残っている皿を叩き壊すことはない。
このように、理不尽な暴力をもって子供を教育しようとすると、結局子供はただその苦しさから逃れようとして、違う形でラクをしようとするだけ——目先の暴力への恐怖から逃げることを最優先して成長しなくなり、自立できなくなる。
児童虐待で何が起きるかというと、それは実は子供を思い切り甘やかすのと大差ないのかもしれない。
「子供への教育」という理由をもって児童虐待は正当化はされない、とはよく言うが、それが具体的に子供をどういうふうにダメにするのか、というこれはほんの一例である。
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