Like a lemonade, bitter than kiss.

 そのコテージは湖のほとり、町から車で五、六分かかるくらいの距離にある。白い土壁にビリジャンの蔦が美しく蔓延っていて、全体に瀟洒な造りである。小さいながらもダイニングキッチンと寝室、書斎、客室を備え、しかしそこに住んでいるのは白人の女性一人だ。アイルランドの血が濃いそうで陶器を思わせる澄んだ肌に艶やかな長い黒髪と、嘘みたく青い瞳を持っている、彼女と知り合ったのは今から一週間ほど前の話。僕は町のベーカリーでアルバイトをしている大学生で、山を少し登ったところにある別荘地に住む人々はそこのお得意先であり、僕は彼女宛ての配達を担当することになったわけだった。木製の黒のドアが開いて中から彼女が出てきたときの動揺は少なからざるもので、というのも僕はこんな美人についぞ出会ったことがない。
「ええと、ご注文の品です、セシリアさん」
「どうも」口調は顔に似合わずやや乱暴なものだった。「ご苦労さん。そんで代金は?」
「あ、しめて千二百円です。一人でこんな食べるんですか?」
「ああ。だが昼食も込みだぞ、朝だけで全部食うように見えるか?」
「あ、いえその、お友達とか呼ぶのかなあって」
「生憎とお一人様を満喫中でね。んじゃ、また明日」
 僕の未練をよそにドアは閉まり、仕方なくその場を後にする。配達用のバンを転がしのろのろと店へ戻りながら、僕はさっきの彼女の出で立ちを夢見心地で反芻していた。鎖骨が覗くデザインの白いブラウス。スクエアの襟ぐりは幅の広いレース模様になっていて生地は多分リネン。長い髪が肩から垂れて胸の豊かな曲線に沿い、そこからきゅっと絞ったようなくびれ、ハイウエストのスキニーはスタイルの良さを強調し、足元に大きなターコイズで飾られた革のサンダル。ある一定の度を超えてきれいな人に出くわすともはや下心の湧く余地はなくひたすら惚れ惚れとするばかり、でもつっかえつっかえ会話を交わしただけだというのに僕は爪の先まで多幸感で満たされていた。彼女いつまでここにいるだろう? 僕のバイトが終わるまで、つまり夏休みの間はずっといてくれたら最高なんだけどな。閉め切っているはずの窓から爽やかな風が吹いていた。柔らかく萌える若葉の中を僕は車で降りていく。
 以来、望み通りに毎日、僕はパンの配達をしている。彼、じゃない彼女は会うたびに毛色の異なる格好をしていてそれもまた僕の心を瑞々しくさせた。ある時はボヘミアン風のトップスで毛先をしっかりと巻き、ある時は柄物のオールインワンで髪をまとめて、そして今日は薄手のTシャツにデニムのホットパンツを合わせ髪を一つにくくっている。いつものように品物を受け取り小銭と紙幣を渡してから、しかし彼女はふと思いついた風で僕をまじまじと見つめて、言った。
「お前、ヒマ?」
「へっ? あ、多少」
「したら、茶でも飲んでくか。中で」
 その提案はあまりにも僕の願望に適っていたので、一瞬妄想と現実の区別が曖昧になり惑ってしまった、固まる僕を気にも留めず彼女は部屋へ上がっていき、正気に返った僕もまた、恐る恐る後を追う。外観と同じく内装もまたすっきりと整った、居心地のよい空間だった。紺色のカーテンは窓の両端に寄せられて、ガラスの向こうに夏の明るさがさんさんと漲っている。
「なに飲む? アイスコーヒーか? レモネードもあるけど」
「あ、じゃあその、レモネードで、」
 頷くと彼女はダイニングに併設されたキッチンへ赴き、水色の冷蔵庫を開けて透明なジャーを取り出した。表面に輪切りのレモンがぴったりと貼りついていて、山吹色の液体のうちに氷もいくつか浮かんでいる。中身を注ぎながら彼女はソファーへ座るように言い、僕はにわかに噴き出し始めた汗を気にしつつ腰掛けた。まもなくグラスを二つ持って彼女が現れ、立ち上がりかけた僕を制して一つ手渡す。
「ったくクソ暑ィってのに大変だな。大学生か?」
「はい。あ、でも、車の中は涼しいので、そんなに」
「それもそうか。じゃあ今は夏休みなんだな、いいバイト見つけたじゃねーか」
 やはり涼やかな容姿から発せられるにはあまりに粗野な、そのくせ下卑た感じはしない、のはおそらく彼女の振る舞いや声音の影響なのだろうけど、ともかく彼女の話し方はどうしたって彼女自身に不釣り合いでそわそわさせられる。きっとそうであるに足る理由が存在するのだろうが、彼女だって言う気はなかろうし僕も強いて聞く勇気はなくて、腰を落ち着けることのできぬまま視線をそらせば彼女の裸の両脚が瞳に映えた。なめらかな素肌に覆われた脚は程よい肉づきですらりと伸びて、締まったお尻がデニムの裾にちらりと膨らみを見せている。と、彼女の人差し指がその内側へ潜り込み、裏地を引っ掛けるようにして位置を直した。僕は慌てて、自身の膝に目を遣る。
 彼女は何も言わなかった。ただ頭上で笑う気配がした。
「恋人かなんか、いるのか?」
 からかう調子で彼は、いや彼女は、僕に尋ねた。キッチンとの境、幅十センチほどの台の隅にちょこんと置かれたラジオの前へ歩を進め、細長い指でつまみをいじる。耳障りなノイズがやがていくらか輪郭を持ち始め、そのうちニュースを朗読するキャスターの声に変化した。夏日を記録した本日は全国各地で気温が三十度を超え——
「い、いえ、いないです、けど」
「なぁるほど、んじゃあつまんねーな? カワイイ娘の一人もいねえ夏休みなんざシケたもんだろ。それとも、」
 俺がいるから、楽しい?
 心臓を直接、つつかれたような心地だった。いたずらな指でつん、つん、と。胸が騒ぐばっかりで僕はなんにも返せない、言葉の消え失せた脳内にラジオの声だけが流れ込む、十五日に発見された女性の遺体は昨日山中で、不審者の目撃情報もあり、警察は慎重に捜査を進め、次のニュースです、TS病の患者数が二百万人を突破しました、未だ有効な治療法は、時間経過による自然治癒がみられ、次のニュースです、小学生二人を含む六人の死傷者が、
「いつまで黙ってんだよ」
 カラン、と氷が鳴る。鳴ったのは彼女の氷か、それとも僕の氷だったのか、おずおずと見上げれば彼女は愉快そうに小首を傾げて僕を見下ろしていた。風が、庭の蔦の葉を揺らしている。濃く薄く透ける緑が僕の脳裏に木漏れ日を落とす。
「お前、好みの女は?」
 どうしてそんなことを聞くのか、意図が全く理解できない。気があるわけでもなかろうに、なぜ、
「俺みてえなのか?」
「あ、えっと、そう、」
 しどろもどろに答えるほかなく僕は縮こまる。すると彼女は、……ああ、まるで、トドメを刺さずに嬲ってた虫に爪を振り下ろす猫みたい。
「そうか、そりゃあ残念だ。お前は知る由もないが、俺は恐らくご期待に添えるような“女じゃないよ”、青年?」
 くくくと喉を鳴らして彼はラジオのスイッチを切る。彼?——急に頬が熱くなって僕は再びうつむいた、なんて意地悪な、なんて意地悪な! 吐息を漏らすような笑み、そのあと帰宅を促す台詞。グラスの中身を一気に飲み干し僕は速やかに部屋を出た、靴を履くのもそこそこに転がり出て数秒、ぱたん、と、扉の閉まる音がする。
 彼が出したレモネードは涙が出るほど酸っぱかった。ごくりと呑んだ唾の奥にまだ、皮の苦味が残っている。

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2017/05/21:TS病パロ。にょたカーティスと見知らぬ青年。

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ソヨゴ
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