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時間をどう使うか自分で決めるしかない。

自分の顔をみてふと思った。なんか、下向きやなぁって。
前からこんな感じやっけと、何年か前の自分の写真を見返す。
そしたら今よりめちゃめちゃいい表情の自分がいっぱい出てきた。
目力とか口角の上げ方とか、空気感とか。
自己表現も周りに沢山してるなぁって写真からでも感じた。

今と何が違うって、自信があるかどうか。上手くいくって信じられているかどうか。今は失敗しても、これからこれからって、続けられる前向きさ。
可能性への期待感。

だんだんとなくしてしまった。
なくしたことも、自分の人生の一部やから、否定したくはない。
でも、その自信とか期待感とか、根拠のない前向き観を取り戻すなら、実行するしかないと思った。
時間を、自分の身に付く何かに、コツコツ変えていくことしかないと思った。

良い表情の時は、自分から誰かに好きって示せるし、挑戦的な事であってもやりたいことをやりたいって言える。枠を取りに行ける。少しくらいなら競争にも参加したいと思える。それに好きって言ってくれる人もいる。


昔から、自分は要領でなんとかしちゃうから、なんとなく頑張って80点をとれるんだと思っていた。
でもたぶん違う。要領でなんとかしちゃうと自分で評価していた時間分、自分はしっかり頑張っていた。自分が頑張った分が過不足なくそのまま結果になっていた。たまのラッキーはあれど。
それを認めていなかった。勘違い。
頑張らない時間を過ごす自分を、そうやってフォローしているつもりになっていた。かけた時間にしては、できたほうなんじゃない?って感じで。自信過剰なのか自責したいのかわからん。上手く言語化できないけれど、自分が逃げるいいわけというか拠り所になっていたような気がする。
でも違う。
自分はあの頃も80点分に到達する頑張りをやっていた。
だんだん自分よりできる人が増えて、求められる水準も上がって、どんどん置いて行かれて、負けるのが嫌いすぎて、嫌になって逃げた。でも逃げてもどんどん自分がくすんで、下向きになってくだけ。

ただ、これからも良い表情で笑いたい。だから時間を大事に使おう。
自分の時間だから、自分で自由に使う。
もうそろそろほんとの大人になりたい。
何に時間を使うか選んで満足できるように。

80点分やってた頃の自分は、親とか先生とか制度とか、いろんな人やものに、おぜん立てしてもらっていた。抑圧や制限を受けていた、強制されていたともいえるけど、それに従うことで、80点分頑張るための時間を使えていた。
その制限や圧は消えていくけど、長い間、それと自分の歩調とがかみ合っていなかったのかも。最近やっと自覚した。自分がとても甘ったれということ。圧を嫌がる割に、圧に生かされてきた人間ということ。大人のくせに全く大人じゃない。
自覚してからスタートだから、これからできるようになっていく。

誰かに用意してもらった環境と選択肢と、モチベーションはもうない。
それを必死に探しても、ないもんはない。探すのやめな。
急になくなってびっくりしただけ。
自分の中にしかない!
このことを喜んで、自由にする。文句を言ってくれる人もいなくなる。
というか他人に文句を言わせない自分で。他人にも文句を言わない自分で。
それが最高。
人に対して礼儀と最低限の義務さえ守っていれば、大抵は大丈夫。

行動がめっちゃ大事。
頭の中で考えてるだけじゃもったいない。
スマホにもだまされない。簡単に聴覚と視覚を喜ばせられるし、ゲームをすれば疑似的に生産性を感じられる。動画をみたり、ゲームのスコアが上がったりすれば、自分が磨かれてくような感覚を得られるけど、スマホを手放して2秒で消える。身には何も残らない。時間は消えたのに。
うそ。自己嫌悪が残る。
虚構。仮想。夢。幻。疑似体験。
そこにずっと浸かってたくなる気持ち、フワフワして楽な気持ち分かる。
現実がつらくて厳しいならなおさら。
でもそれでも、いい表情でいたい。だったらそこに逃げ込む時間は少しでも減らしていく方がいい。
フィクションも自分の頭の中の世界も、心地よく、ありがたく、嗜みたい。これ以上、浴びるように、ごまかすように、扱いたくない。
具体的にどうしたらいいかは、まだわからん。
自分の身体と気持ちと脳みそに合わせて、見つけていく。

イメージ画像。
自分の中で時間といえば、ポケモンの映画、
「ディアルガvsパルキアvsダークラァァィ」なんです。
ダイパって検索したら出てきた。笑
幼き日の青春。
世代ばれだ。



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