爪を1枚落としてもハッピー。
「ナポリの男たち」というゲーム実況者グループをご存知だろうか。わたしは彼らが週に一度配信するラジオのようなものの大ファンだ。
今日はかれらの展覧会に行ってきた。
かれらの展示会の展示はファンでなければ訳の分からないものばかりだ。メンバーのパジャマ、3歳頃の写真、私服の際首に巻いていたねじねじ状のなにか、とか、もはや訳が分からないでしょ。
でもどれもラジオ(生放送)でネタにされていたもので、みるひとがみれば、面白くってたまらない。わたしはそれはもう笑ったし、一緒に来ていた友人も笑っていた。人を笑わせるというのはこの世にある才能の中でもっとも豊かですてきなものだ。
ふしあわせであったことなどないとぼんやり思う。
展示会の帰り、わたしは友人と少しお茶をした。彼女は看護学生なので、私のしていた介護の仕事の話を、うんうんとよく聞いてくれる。
ねぇ、団塊の世代が後期高齢者になったら、どうしようね。もう既に破綻し掛かっている、そんな介護の場所で、まだ基本的に家族が見なければならない、そういう前提にある仕組みの中で。ね。どうしようね。どうなるんやろうね、わたしたち。
そういう不安を、まだティーンみたいな口ぶりで語って、ケーキを食べたりした。
「ぜりーちゃん、爪、めっちゃ可愛ええね。秋っぽい。」「ほんま?ありがとー。」「私も爪、やろかな」「結構簡単やで、」
「わたしら子供、きっと産めへんやん?そしたら、どうやって死ぬんかな。がんで死にたいな。痛いのは嫌やけど。」「ぜりーちゃん、今どきがんで死ねるなんてゆうんは時代遅れやで。膵臓なんか、きったらすぐしまいやもん。全然生き残れてまうで。」
「昨日服買いすぎてん。」「増税前に買えばよかったのに!」「やって、月末、忙しかってんもん。ね、みてこれ。ズボンめっちゃ可愛いやろ。」「かわいい!これは買いやね」「ね!」
考えてもせんのないことや、ただ辛くなることを、なんとかどうでもいいような幸せとミルフィーユみたいにしようとしているふたりは、改札で「つよくいきようね!」と笑って別れた。
結局しあわせなんだろうと思う。私の気持ち1つで世界の見方が変わるなんて思っていないけど。気持ちが前向きになったからって口座残高が増えるわけじゃないから。
でもまあやったんで、とか、まあええか、とか、そういう気持ちを、もうおしまいや、とか、しんでしまいたい、みたいなのと、ミルフィーユしていく作業というのは、必要やね。ひとりでそれができるようになりますように。
などと考えていたら、小指のつけ爪をひとつ無くしたことに気がついた。あちゃあ。また近いうちに、作らんとなあ。
明日はまたハローワークに行く。履歴書を書く。サイトで求人を探す。そして、小指のつけ爪をひとつだけ、つくる。
激混みの京阪電車のなかで、それでとりあえずはいいんでないかしらん、と、おもった。
白檀のかおりは君をおもいだす生まれ変わったら何になりたい/菅沼ぜりい
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