突然主治医が変わりました。
突然の変化が立て続けに起こっていて、ついていけない。
自分のこと以外の変化はどうしようもない。
ただ受け止めて受け入れるしかないのだが、それも難しい。
感情が麻痺している。
ゆっくりと時間をかけていくしか方法はないのだ。
主治医が長期療養に
大病を患っている主治医さんがとうとう長期療養になった。
診断から1年3ヶ月程だった。
目に見えた変化もあったし、わたしはそれを受け止め咀嚼して今までやってきたつもりだった。
でも心の準備ができていなかった。
どこかでまだ診てくれるだろうと甘えがあったのだと思う。
しかし、病院に行くと張り紙があり、突然の主治医の交代があった。
主治医さんとは10数年の付き合いになるだろうか?
毎回、診察室にいて距離感を保ちながらも、信頼関係はあったと思う。
主治医さんがわたしのことも信じてくれている部分もあったと思うし、わたしは心から信頼していた。
主治医さんは少しコミュ症なところがあったが(病院内のコミュニケーションが辛うじてと本人は言っていた)、誠実な人だった。
対象恒常性のある人だったから安心ができた。
「わたしはパパゲーノ」の取材を受けたのも主治医さんに観て欲しかったから受けた。
放送がされてサイトが公開されたことを知らせても、DVDを渡しても番組名を伝えても、「忙しくてちゃんとまだ観ていない」と返事をしていた主治医さん。
本当はもっと早くにちゃんと観ていたんではないかとあとから思った。
主治医さんは「趣味は勉強」と言っていた。
それを聞いたわたしは「大人になってからの勉強って楽しいですもんね」と返したが、主治医さんの勉強はすべて患者のための勉強だった。
たくさんの患者を抱え、患者と結婚したような人だった。
たぶん本人は自覚しているのだと思う。
診察室内で解離が起きたときや現実感がないとき、主治医さんと紙を丸めたボールでキャッチボールをした。
すると現実感が帯びてきて、解離が治まっていった。
病院内でキャッチボールをする診察室は主治医さんの診察室以外はなかったのではないだろうか。
わたしにとって、安全で安心できる父親役のような存在だった。
前兆はあった。
前回の診察の時はとても体調が悪そうだった。
心配したところで主治医さんが元気になるわけでも病気が治るわけでもない。
だから自分のできることを探して進んでいった。
主治医さんが長期療養になったことを知っても、病院では泣かなかった。
しかし、帰り道に涙がボロボロと流れていった。
それでも主治医さんが元気になって戻ってくるわけではない。
心を平穏にできることをやっていく
周りの人のことに自分ができることなんてたかが知れている。
ただ、自分ができることをやっていく他ないのだ。
確かに、母の死について主治医と話したかった。
どう捉えればいいのか聞いてみたかった。
でもそれは叶わなかった。
主治医だったらどう言っただろうか?
想像してみる他ない。
最近、周りの人が変化していくことが増えたように思う。
自分ではどうにもならないことが多くなった。
でもそれは自分が歳を重ね、安定してきた証拠なのかも知れない。
変化に心が揺さぶられてしまう。
大きく揺さぶられて、不安定になってしまう。
昔は周りのことまで持てなかったが、少し周りのことを背負えるようになったのかも知れない。
それは喜ばしいことだと思う。
人生はつらいことのほうが多い。
でもその中で嬉しいことや安心できること、喜び、笑顔になれることを少しでも体験できればいいなと思う。
そのために自分は周りの人の中で何ができるのか?
どう生きていくのか?
今のわたしにはそれが問われているのかも知れない。
できる限り、平穏に過ごしていけるようになりたいと思っている。
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