【詩】靄の中で  

「みんないなくなって
俺だけが生き残ってるんだ
あれは正夢かな」
 
折れ曲がった眼鏡のつるを押さえながら
歩行訓練を終えてきた父が
若い医師に話しかけている
 
応えようもない夢の話を背中で聞きながら
海沿いにひろがる町に降りてくる夕暮を
七階のこの窓から眺めている
 
午後の駅に降りたとき
あんなにも海辺でさわいでいた
カモメもカラスもとうに何処かへ消えてしまった
 
年中快晴な男であったというのに
突然昏倒した父が夢のなかで一人きりになったという町へ
町に忘れられた頃に帰ってきた
 
さきほどまでの光にかわって
海からの靄が少しずつ
町を浸しはじめている
 
同室の三人の老人に倣って
力なく口を開けたままの父も
夢のつづきへ入った模様
 
馬鹿げた幻を商いして破裂していた弟は
無言と微笑で迎えた兄と二人
医師の説明を聞いた
 
やがては父もいなくなるだろう町並を
濃い靄が墓地の方へと向かいはじめ
ガスのなかをクルマや人の影が行き交っている
 
リハビリの時間が必要なのは父だけではないのだろう
影さえもさだかではない靄のなかを
ゆっくりとクルマの灯が動いている
 
そしてドアを開けてふわふわといま
歩きだした夜の回廊を
靄がもう這いはじめている
 







*たしか二〇〇四年頃に書かれた作です。

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