見出し画像

古いコンポを床の間に飾る。思い出とはノイズか。

押入れに長い間眠っていた古いステレオコンポをついに処分しようと決めた。前々から夫に「捨てたら」と言われていたが、言われなくとも捨てた方がいいことは重々承知していた。そこにミニコンポ2号、及び3号も加わっていて明らかに余分である。

レコードからCDへ。ステレオコンポ(1号)

いやはやステレオやCDが無くてもいつでもどこでも音楽が聴けるようになるとは、あの頃の私は予想だにしなかった。高校生の私は、お手頃価格で好きなレコードが借りられるレンタルショップに胸をときめかせ、レコードプレイヤーにラジカセを接続して聴いていた。

CDが登場した時、私はどうしてもどうしてもステレオが欲しくなった。コンパクトなCDラジカセで良いではないかという母の意見を振り切り、就職して初めてのボーナスで購入したのが当該ステレオコンポだ。CD、カセット、アンプ、チューナー、イコライザー、大きいスピーカー2個の完全装備である。
更には、職場にセールスに来た人からクラシックのCD80巻セットまで購入し、狭い部屋でガンガン音楽を流した。レコード&ラジカセとは比べ物にならない高音質。レンタルショップにもCDが登場し、流行の音楽をカセットテープにダビングして楽しんでいた。

結婚して引っ越す時も、勿論持って行った。ステレオコンポとCD80巻、大量のカセットテープは私の嫁入り道具のひとつだ。そんなに軽々しく「捨てたら」などと言わないでほしいと思う。

*
思い返せば小さい頃から音楽が好きだった。
親戚のおさがりのオルガンに夢中になり、TVから流れるCMソングなどを耳コピして弾いていた。小学1年生の時の音楽の教科書を今でも大事にとってある。あんなにワクワクした教科書はほかに無い。高校の部活は弦楽部でバイオリンを練習した。楽器は学校にあったので自分で購入しなくてもよかった。夏休みのアルバイトで稼いだお金は全額キーボード購入にあてた。

母はいまだに言う。「ピアノでも習わせられればよかったんだけど……」
そうだね、そうすれば今ごろ音楽家になってたかもね!と笑うのだが、ホントに申し訳なさそうに言うので少し可哀そうになる。いやいや(笑)

カセットテープからMDへ。ミニコンポ(2号)

式場に就職した私は、披露宴の音響の仕事が大好きだった。それまでは先輩が作ったカセットテープを使って演出曲をかけていたのだが、平成になりMDなるものが登場した。デジタルのまま高音質で複製ができる夢のような新兵器である。しかも曲の切り貼り編集もでき、頭出しもバッチリとあって、社長から「披露宴で使う音楽をMDにまとめよ」とお達しが出た。

ちなみにその頃はまだジャスラックも緩かったと思う。個人の結婚式でかける音楽について逐一、著作権などのチェックが入ることはなかった。

先輩が作ったカセットテープは、頭出しができるように20分テープの表裏に1曲ずつ入っていて、演出のシーンごとに20巻1セットで披露宴ができるようになっていた。しかもクラシック・洋楽・邦楽・JAZZなどいろいろなバージョンがあって壁一面テープだし、新しい曲も随時追加されてどんどん増えていた。自分で好きな曲を持って行くこともあった。

披露宴MD作りのギャラは10万円だった。子どもがまだ小さかった私は、家でそれをやっても良いと許可を得て、しかし肝心の機材がないのでMDつきのコンポを購入した。曲を聴きながら切り貼り編集ができ、MDからMDへのコピーもできるものだ。まるまる2か月かかって4会場分を作った。

このMDミニコンポ(2号)はいまだ現役だ。最近は電源を入れる機会も減ってしまったけれど。

役目を終えた保護コンポ(3号)

時は過ぎ、ウェディングの形も音楽の好みも多様化してきた。披露宴でかける音楽もリストから選ぶのではなく好きな曲をリクエストしてもらったり持ってきてもらうようにした。みんな違ってみんないい。私はむしろ多様化を推奨し後押ししていた。式場とは違う個性的で自由な結婚式。レストランには専用の音響機材もなく、壁のスピーカーに繋がっているアンプとマイク2本だけがワイン箱の上に乗っていた。CD/MDコンポとDVDを設置してもらい、アンプの小さいツマミでボリュームを調整していた。自由とは不便なのだ。

家のコンポ(2号)で編集し、会場のコンポで音を出す。
PCでコピーしたCDは音が飛んだりして信用ならなかった。さらにiPodやスマホはいろいろ恐ろしすぎて問題外。オーディオコンポへの信頼度は謎に高く、手間暇かけてMDに編集していた。しかし段々とMDは店頭から消えネットでも入手困難となりCDにシフトしていった。私が『老後の楽しみ』と名付けた思い出のMDやCDは、気が付けば数百本になり、現在の押入れ圧迫問題に繋がっている。

3年前、レストランがコロナ禍で閉店すると決まった時、行き場を失った会場のミニコンポをうちに保護してきた。自由で不便なレストランウェディングを支えた功労者だ。お勤めご苦労様。これが3号。

思い出とは人生のノイズか

先月、久しぶりに式場の音響の仕事を引き受けた。披露宴で使う曲は会場のPAの上にポンと置いてある小さなUSB1つに全て入っている。一分の隙も無い。

普段聴く曲はWEB上に五万とある。イヤホンで聴くから生活音が一切混じらない。バランスも微調整された”高音質”過ぎるクリアな音楽を、一定の音量で湯水のように聴き流す。この水は純度100%、殺菌消毒済みの透明なH2O。生き生きとイメージできるだろうか。クラシックには抑揚があり、オルゴールは耳を澄ませて聴くものだということを。

窓を開ければ生ぬるい風がチリンチリンと風鈴を鳴らす。
下手なバイオリンのキコキコした音や、テープを巻き戻すキュルキュルという音、大きいスピーカーからズンズンと響く空気。
開かずのCDトレイ、シールを貼ったMD、あの曲どこにいったかな。
押入れとココロのスペースを占領する思い出は、他人から見たらノイズでしかないのかもしれない。

宝物とガラクタの間

今捨てようとしているコンポ1号は、とにかくデカくて重い。電源は入るがCDのトレイが開かない。しかし捨てる前に1度オーディオ買取店に行ってみようと思い立ち、車に積み込み持ち込んだ。「初めてのボーナスで買ったんです」などと訴えたが、引き取ってもらえなかった。やはり鉄くずスクラップ確定か。せめて捨てる日まで眺めようと和室の床の間に飾ってみた。

飾ったとてカッコよくないし、しまう場所はもうない。
役目を終えたガラクタだ。そっと埃を払い電源を切る。ブチッ。

思い出とは、愛すべきノイズ。

あぁ 思い出より
あたらしい日々 美しくあれ

斉藤和義『ウェディング・ソング』


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?