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3年前私達はある選択をした。その時、何を選択したか覚えていますか?
大陸の方で変な病気が流行っているとMariちゃんからの報告を受けてからも、「クラブ・フローラ」は通常営業を続けていた。
お店は20時開店、24時閉店。
しかし、周りのお店の状況は少しずつ変化を見せ始めていた。
「アキさん、お店このままでいいんですか?」
最近、仕事のコツを掴んだユウカには、指名もよく入るようになっていた。自然と出勤日も増えていた。
「なんでこのままじゃいけないの?」
「……居酒屋とかも時短営業を始めたみたいだし、さっき歩いてたら新地のお店の半分が閉めてました。政府からもなんか通達が出てるってMariちゃんが言ってたし」
「それで?」
「え、だから、まずいんじゃないかな、って。だって政府からの通達でしょう?」
「あんたは、その通達がどんなものかわかって話してるの?」
「いや、詳しいことはわからないですけど、守らないと罰金を支払わないといけないかもってMariちゃんが」
「ほんと、あなたの情報源はいつだって半径1メートル以内ね。たしかに、時短営業要請はだいぶ前から出てるし、正当な理由がない場合は罰金を課せられるみたいだけど、関係ないわ」
「正当な理由、フローラにはあるってことですか?」
「ユウカ、正当な理由って何?」
「え、それは政府が決めた正当な理由でしょう。ニュースみてないからわからないですけど」
言ったそばからあまりに無知な自分が恥ずかしくなり、アキに突っ込まれる前にユウカはスマホでGoogleの検索エンジンを開いた。
「飲食店・時短営業・正当な理由」と入れてみる。
でてきたのは、いくつかの事例だった。
【近隣に食料品店がなく、住民生活の維持が困難になる】
【周辺にコンビニや食料品店がない病院に併設の飲食店で、医療医療提供が困難になる】
ユウカが思い浮かべたのは、田舎町にある簡素な食堂。地域で古くから愛されていて、御年80みたいなお婆ちゃんが割烹着で鯖の塩焼き定食なんかを出してくれる感じ。すごくいい。そういうのをちゃんと認めてくれる政府はさすがだと思った。
これこそが、正当な理由だ。
じゃあ、フローラは?
そもそもフローラは、生死に関わる食事を提供している店ではない。
目当ては、自分好みの女の子と酒。いわゆる娯楽だ。こんなに世界が喫緊の課題で迫られている中、呑気にお店を開いている場合ではないんじゃないか? そんな気持ちがユウカの中で肥大していった。
「アキさん、フローラは正当な理由に当てはまらない気がします。フローラがないと生きていけない人はいないと思うし、それこそお店で感染者が出ちゃったら、お客さんにもキャストにも世間にも迷惑かけることになっちゃうじゃないですか」
「ユウカ、あなたはフローラの役割ってなんだと思う?」
「それは、仕事とかで疲れたお客さんを癒すことじゃないですか。みんなここでは心を解放してくれてる気がするから。それで明日からもがんばろう! って思えてもらえたらいいな、って私は思ってやってます」
「そうね。ここに来てくれる人は、日常で解放できないなんらかの気持ちを抱えているわ。職場や家庭では出せない自分だったりね。だからこの新地に、青森から飛行機に乗ってでも通ってくれるお客さんもいる。昨日だって来てくれたわよね、和田さん。こんな時でもここに来てくれるのって、なんでだと思う?」
「え……」
青森から月に数回このフローラに訪れる常連がいることをユウカは知っていた。アキがまだこの店に来る前からの古くからの知り合いだと聞いていたけれど、それ以上深く考えたことはなかった。お金と時間があるから、ただアキに会いに来ているおじいちゃんという印象しかなかった。そして、確か、この伝染病は高齢者の方がリスクがあると言われている。わざわざそのリスクを犯してまでここにやってくる理由はなんだろうか?
「ユウカ、人にはそれぞれ事情がある。目には見えない、他人には理解されないようなことも含めてね。あなただって、他人には理解されなかったけど、正当化したい事情が過去にあったんじゃないの?」
アキにそう言われると、過去の痛い思い出がユウカの脳裏に去来した。
不倫騒動で会社を辞めた時、
ストーカー騒動で地元を離れた時、
もっと小さなことを含めたら、”正当化したい事情”は山ほどあった。
「政府は政府で事情があるし、飲食店ってひとことで言っても、それぞれ事情はみんな違うのよ。結局、”正当な理由”なんてものは本当はどこにも存在しない。立場が変われば事情も変わるんだから。
ユウカ、あなたはどう思うの? あなたはどうしたいの? そのことをしっかりと考えなさい。
ほら、あと5分で開店の時間よ。じゃあ今日もいつも通りよろしく頼むわね、ユウカ」
そう言って立ち去るアキのざっくり開いたイブニングドレスから除く背中はとても美しかった。
ユウカは、自分がどう思うか、自分がどうしたいのか……そんなこと一ミリも考えたことがなかったことに気づいた。
そして、今もなお、その答えをアキに委ねたい自分がいることに気づき、もんもんとした気持ちのまま、バックヤードを後にした。