早起きは三文の得
目が覚めるとまだ早朝で、鳥の声が聞こえる。
私は昔から旅に行くと、その日の朝は早く起きてしまう。
同居人に話を聞いてみると、結構こういう人は居るみたいだった。
昔、まだ私が小学生だった頃、
家族旅行に行ったときも、ひとりだけ先に目が覚めて、
早くみんなに起きてほしいと思いながら、リュックに詰め込んだゲームボーイのカービィをやっていた。
みんなが起きないようにゲームの音を消していると、鳥のさえずりが聞こえてきたのを覚えている。
はじめて一人で京都に行ったときも、
早朝の5時に目が覚めて、前日に買ったパンを食べてすぐに出かけて、
雨が降っていたけど、そんなの気にもとめずにバスに飛び乗って、
行く予定のなかった嵐山に行った。
早朝ということもあって、人が少ししか居なかった。
渡月橋を渡ると、屋根のある休憩所を見つけたので、温かいお茶を買って休んでいると
「雨すごいねぇ」
と地元のおじさんに話しかけられた。
「そうですねぇ、けど静かでいいですね」
私がそう言うとそうだねぇと返してくれた。しばらくそのおじさんと話をしてからさよならをして竹林の方に向かった。
嵐山を見終わってバス停で待っていると、地元に住んでいる親子が私の横に並んだ。まだ小さな女の子だった。
「傘ぴかぴかだから雨ふっても嬉しい!」
「そうだねーこの間買ったけど雨全然降らなかったもんね」
思わず和んでしまった。
それまで私は京都は観光地だというイメージがついていたけれど、
それが『人の住む街』に変わった。
早起きは三文の得というけれど、
そもそも誰が、どんなことがあってこんな言葉を考えたのだろう?
調べてみると、中国の散文「早起三朝當一工」が起源らしい。
おもに農家に伝わることわざで、陽が高くなる前に起き出して働けば仕事がはかどるという意味で、そこから奈良にうつって今の「早起きは三文の得」という言葉に変わったらしい。
「三朝」が「三文」になった理由には諸説ありますが、そのうちもっとも有名なのが奈良の鹿にまつわる話です。鹿は春日大社の神獣(神鹿:しんろく)で、江戸時代の奈良では鹿奉行が餌代として年三千石を預かり管理していました。町人が鹿を殺めてしまうと、当時絶大な権力を誇った仏教寺の敷地内で斬首の上、さらし首の刑です。家の前に鹿の遺骸などあろうものならたいへんな騒ぎになるため、町の人は早起きして表を確かめたということです。
調べてみると案外知らない事だらけだった。
ちょっとびっくりした。
ところで最近、目覚まし時計が壊れてしまった。
けどなぜだか7時45分には目が覚めるようになった。
昔は朝起きるの、すごく苦手だったのになとなんだか不思議な気持ちだ。