魔術師の庭|ショートストーリー
ガラスに覆われたその植物園は、街外れにある。
中に入ると、草木と土のかおりが全身を包み込み、外の寒さが嘘のように暖かく、陽だまりのような光が天井から降り注ぐこの場所は私のお気に入りだ。
以前の管理人が亡くなってから、あまり人が寄り付かなくなってしまったこの場所に、私は毎週手紙を届け、サンドイッチを食べて帰るのがルーティンになっている。
届け人は、テオという青年で、彼は以前の管理人のお孫さんらしい。物静かで、癖のない綺麗な黒髪が印象的な青年だ。
彼を訪ねると決まって植物たちの様子を見ており、それはそれは優しげな手つきで、まるで家族の話を聞くように話しかけているので、わたしはすこし話しかけるのが惜しくなってしまう。
彼のすぐそばには相棒の黒いラブラドールレトリーバーのラルフがいる。
「やぁ、テオ」
彼は弾かれたようにこちらを見やる、彼の目は紫掛かった不思議で綺麗な色味をしている。
「郵便屋さん、こんにちは」
「はい、今日はこれ、宛名が無いんだが君宛てに来ていたから。」
「ありがとうございます」
彼は手紙を受け取るが、毎回違う人物、遠いどこかの街から手紙が届いている。私は手紙の返事を受け取る。
ベンチに座り、生き生きとした植物たちに囲まれ、家から持ってきた分厚いハムとレタスのサンドイッチを頬張っていると、テオが珍しくお茶を淹れ、持ってきてくれた。
「いただきます」
私は、鼻をすうっと抜けてゆくハーブの香りにぼんやりと癒され、つい微睡んでしまった。
ふと目が覚めると、先程よりも体が軽い。
「テオ、ありがとう。今日は失礼するよ」
わたしは帽子を被り直した。
「はい、お気をつけて」
にこりと微笑み彼は言った。
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「あとは…彼の生きる力と、周りの家族のサポートによるかな…」
郵便配達の彼の孫から受け取った手紙を開きながら、テオは呟いた。彼はため息をついて、薬を煎じたポットを見つめる。郵便配達の彼は病を抱えており、その病に効く薬を煎じて飲ませたが、どうだろうか。
テオの一族は、代々魔術師だった。
傷や病を癒すその血筋は、いつしか彼一人になってしまった。そして、テオの代までになると魔術師の血は段々と廃れ、僅かに力を発する程度になっていた。
今はかつて魔術師が作り上げたこの魔術の込められた植物園の草木を使い、少しだけ魔力を込め、薬を煎ずる事しか、テオには出来ない。
この魔術師の血は、きっと途絶えてしまうだろう。
細々と営んでいるこの薬屋には、毎月、遠くの方から噂を聞きつけた人々から手紙が来ていた。彼らに合った薬を配合し、返事の手紙を書くのがテオの日課になっていた。元々は祖母が営んでいた薬屋だが、彼女はもう居ない。
「テオ、あなたはこの植物園にずっと居なくても良いのよ。人も世界も、変わるものだし、すべての事柄には終わりが来るものよ。だから、貴方のしたいことをしてね」
それが祖母の遺言だった。
「僕は…」
何をしたいんだろう。祖母の残してくれた、この植物園は好きだ。
だけれど祖母が亡くなって、すべての事柄には終わりというものがあると知った。終わりがあるからこそ、世界は美しくただそこに佇んでいる。
植物に触れ、魔術の長い歴史を学ぶうちに、自分の人生の短さに気がついた、そしてこれからどうすべきか考えねばならないと知った。
「…そうか…」
立ち上がり、彼は荷造りを始めた。
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「あれ、テオさん。お休みするんですか?」
翌朝、テオは植物園の入り口に長期休暇のお知らせを貼り付けていた。
「はい、植物たちは知り合いが面倒を見てくれるのですが、旅をして他の珍しい植物でも集めてみようかと思いまして。」
「寂しくなるな」
「また、暫くしたら戻ってきますよ」
テオは大きなリュックを背負いながら言った。
「帰ってきたら、またよろしくお願いします。これ、ブレンドティーです、良ければ飲んでください」
「あぁ、ありがとう。」
「ラルフ、行くよ」
大きな黒い犬が、まるでテオの守り人のように寄り添って歩いている。
植物園のあるこの街の外に出るのは生まれて初めてのテオは、おそるおそる、だけどもしっかりとその一歩を踏み出した。
One today is worth two tomorrow.
《今日という一日は、明日という日の二日分の値打ちがある。》
アメリカの政治家、外交官、著述家、物理学者、気象学者である、ベンジャミン・フランクリンの名言。今日という日を生きている中で、明日という日が誰にでも来るという保証はない。だからこそ二日分以上の価値があるのかも知れないそして同時に思う。今日一日が満足できるように明日に先延ばしせずに、今日できることを少しづつでも確実にやって行こうという意味。