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逃げ恥みた

最近の生きがい:逃げ恥

生きがいって、「今日家に帰ったらなにしようかな~」で浮かぶもののことを言うんだとずっと思っています。最近は逃げ恥を見ることが浮かぶので、逃げ恥が生きがいです。
「今日家に帰ったらなにしようかな」という思考にそもそも至らない時期というのがたまにあって なにも楽しみがなくて、スマホをいじっていたら気づくと就寝時間になってるみたいな、惰性で生きているときがそうなんですが
こういうときは生きがいがなくなっているってことなので、実はかなり深刻です!みんなも気を付けてねー
帰宅後のことって一番近い未来だから、帰宅後の楽しみを考えられるのって未来に希望が持てていることの表れでもあります。
実際、台湾から帰ってきたあたりから、家帰ったら何しようを考えられるようになった気がする。希望をありがとう台湾!

さて、逃げ恥の話です。(ちょっとネタバレ注意)

逃げ恥が放送していたのは私が中学生のときでした。
流行っていたので、ガッキーと星野源のラブコメだっていうこととか、エンディングでみんなが可愛いダンスをしてくれることとか、そういうのは知ってたし、親がドラマを見ているときにちょっとだけ見たこともありました。
でも内容まではよく知らなくて、ちゃんと見始めたのはつい先日です。

今更だったけど、むしろ今見始めてよかったなーと思っています。
ラブコメだっていう印象しかなかったけど、それと同じくらい、お仕事の要素が色濃いお話だからです。
アルバイト経験や就活を経て、お仕事についてある程度知識を持った状態で見れてるからこそ、より楽しめている気がしてます。

逃げ恥が私にもたらしてくれた新たな視点は、「恋も就活も、”選ばれる”作業」でもあるっていうことです。おこがましいことに、私は、恋も就活も、”選ぶ”作業だと思い込んでいました。
私が恋や就活で、「選ぶこと」に悩まされているのに対して、逃げ恥では、「選ばれないこと」の苦悩が一貫して描かれているのです。

女性経験のない平匡さん(星野源)が、女性から「選ばれなかった」自分を、就活で全敗して就職先に「選ばれなかった」みくりに重ねているシーンがあったり。

決定打は、みくり(ガッキー)の妄想劇の中で、恋人になることが、選挙で当選することに例えられていたことです。
これを見たとき、「もしかして、恋って”選ばれる”ことなの・・・?!!」と雷が落ちました。衝撃でした。
その発想はなかった・・・というか、だいぶ前にそういう視点を忘れていたような気がします。

要するに逃げ恥って「選ばれなかった」二人が、お互いに「選ばれる」。だから燃え上がる、そういう仕組みのラブなんですわ・・・よくできてる!


選ばれない側の気持ちがまったくわかんないわけじゃなくて、選ばれなくて自信を無くした経験も全然あります!アルバイト連続で落ちたりとかね。
でも、選ばれるターンの前に、選ぶターンがあるじゃないですか。
就活だって、どこでも受けるわけじゃなくて、ある程度自分が就職したい企業を絞って、選んでから受ける。選ばれるか選ばれないかはその後の話なんです。
私は選ぶことがすーーーごい苦手で、選ぶターンでずっと止まっています。
自分が何を好きか、何が向いてるか、そういうのが直観でわからないから、選ぶのにすごく時間がかかるのです。
だから選ぶことの苦悩と比べると、選ばれない側の苦悩はあんまりわかんない。そこまでたどり着いてないから。

(スカウト制度とかもあるから、選ぶ→選ばれるの矢印が正しいって一概には言えないけどね。実際、「選んでもらった中から選ぶ」が、選択の中で一番タイパいいと思います。私は選ぶの苦手なくせに自分から選びたいと思っちゃうからあんまりできたことないけど・・・)

ちょっと話はずれるけど、今の私の就活状況を恋愛に例えるなら、合コンに行くばっかりで全然その先に進んでないって感じです。
たまにデートに行ってみても、なんか違うなあと思って、それ以上進展がない。
選り好みしすぎかなと思うけど、下手したら一生涯添い遂げるかもしれないんだから、そのくらい慎重なくらいがちょうどいいような気もしています。
妥協で選んだら相手側にも失礼だし。もう少しデートのハードルを下げてもいいのかなとは思うけど。。
ただ就活と恋愛で決定的に異なるのは、来年の今頃には交際(内定)してなきゃいけないってことです!うおーん😭ゆっくり選ばせてほしい

でもたしかに、こうやって時間をかけて選んだ相手に自分が選んでもらえなかったら、それはそれは悲しいな。
そういうことが続くと、自分が価値のない存在に思えて、自分を選んでくれるならどんな人でも、どんな就職先でもいいと思っちゃうかも。。。気を付けてえな

逃げ恥、かわいい!きゅん!と思いながら見てるけど、どこか冷静に見ている自分がいて、それって二人の恋が偶然性に欠けるからかもしれないです。
お互いに選ばれないこと続きだったから、正直、みくりじゃなくても、平匡さんじゃなくても、選んでくれる人だったら誰とでも結ばれる可能性があったんじゃないかと頭のどこかで考えてしまっています多分。
まあまだ7話までしか見てないので、これからの二人の行く末を見守ります。

追記。 最後まで見ました!
私が二人の恋に対して「選んでくれるならだれでもよかったんでは・・・?」と思ってたのを、見事にみくりも平匡さんも同じように考えていて、劇中でその疑問を解消してくれました。よかったー!
当事者だとなおさらそういうこと考えちゃうよね。自分「だから」よかったんじゃなくて、自分「でも」よかっただけなんじゃないかと・・・

最初こそそうだったかもしれないけど、お互いを知っていく中で、好きになって、最終的にはお互いじゃなきゃだめになって・・・
っていう過程をドラマの中でちゃんと描いてくれたので、納得できました。
ほんでもしかすると世の中の恋愛の多くがそういうパターンなのかもしれないと思いました。

私は実家で犬を飼ってます。
中学生のとき父とペットショップに行って、父が一目ぼれして飼うことになりました。
私はそのとき、飼うことにあまり乗り気じゃありませんでした。
安い買い物(命にこういうこと言うのはよくないけど)じゃないし、何万匹といる犬の中からこんなに簡単に一匹を選んじゃっていいものなんだろうか、後悔するんじゃないだろうか、と思ったからです。別のペットショップで見た犬の方がかわいいと思うって言ったこともありました。
でも、一緒に過ごしていく中で、犬のかわいいところとかやさしいところとか、いろんな部分を知って、今ではこの世でいちばん大事で大好きな存在になりました。それは私が何万匹と存在する犬の中からたまたま世界でいちばん好きになれる犬を引き当てたんではなくて(それも多少はあるんだろうけど)、一緒にいる時間がそうさせたんだと思います。
みくりのお母さんに言わせるなら、「運命の相手なんてそんなのいなくて、運命の相手に”する”の」ってことです。
もう他の犬のほうがかわいいとかマジで思えません。客観的な相対評価ができないくらい飼ってる犬がいちばん好きです。飼ってる犬は顔もかわいいし、性格もかわいいけど、もしもっと顔がかわいくて性格のかわいいわんこがいたとしても、飼ってる犬がいちばんかわいくていちばん好きです。

逃げ恥も多分そんな感じで、最初は「みくりだから」「平匡さんだから」というこだわりはなく、自分を選んでくれる人ならだれでもよかったのかもしれないけど、それから二人で過ごす中で、お互いを知って、好きになって、最終的には「みくりじゃなきゃ」「平匡さんじゃなきゃ」同士になれたんだと思う。
最初からいちばんいいと思える相手を選んでいたわけじゃないけど、気がつくとお互いをいちばんだと思えるようになっている、世の中の恋愛の多くはこのパターンなのかもと思いました。

私は逃げ恥で言うと結構風見さんタイプで、ロマンチストな方だと思います。
だから偶然性の強い恋ほど燃えるし、逆に必然性の強い恋はなんか冷めちゃいます。
でもこうやって考えてみると、自分で運命の相手に”する”、そういう必然的な恋のほうがもしかしたらロマンチックなのかもしれないです。

好きな言葉に「塞翁が馬」っていうのがあります。
物事の幸不幸、善し悪しはいつでも変わりうるものであって、予測することはできないという意味の故事です。
それがいちばん正しい選択かどうか自信がなくてなかなか踏み出せないことってよくあるけど、そのときいちばん正しいわけじゃなかったかもしれない選択が、結果的にいちばん正しい選択になることがあります。犬がそう。なんならいちばん正しい選択に”させる”ことも、多分できます。
だから選択を前に「正しい選択をしなきゃ!」と気負いすぎる必要はないのかも。


それから、逃げ恥は「嘘をつくことは罪悪感を自分だけで背負うことでもある」っていうことも教えてくれました。
私は、嘘つかれるのが苦手で、でも世の中結構嘘であふれていて、なんでみんな嘘つくんだろうと思ってたけど、嘘はある意味やさしさなのかもしれません。
私はあんまり隠し事とかできなくて、すぐほんとうのこと言っちゃうんですけど、なんでかって、嘘ついてるのが辛くてほんとうのこと言うと楽だからです。
嘘つかない人は誠実、嘘をつく人は不誠実みたいに言われがちだし、自分もずっとそう思ってたけど、嘘つかない人の方が自分本位なのかもしれない。。

書いてて気づいたけど、私は「~だと思ってたけど、もしかしたら
~かもしれない」構文をよく使います。
自分の中のあたりまえが破壊されて、別の可能性を発見する作業が好きなんだと思います。
哲学ってそういう学問なので、今、自分が哲学ゼミ(厳密に言うと違うんやけど)の肩書を持っていることがめちゃくちゃうれしいです。
正しい選択をしなきゃ精神があまりに強く、哲学ゼミを選んだことをずっと「これでよかったのかなー」と思ってました。授業何言ってるか全然わかんないし。
でも自己紹介をするときに「哲学ゼミ所属です」っていうだけで、自分がこうやって考えたりするの好きな人です!っていうのを簡単に伝えられるので今は気に入ってます。
塞翁が馬ですね。

何が言いたいかわかんなくなってきたのでまとめます!

とりあえず、逃げ恥は恋やしごとをメインテーマに「選ばれないことの苦悩」を描いた作品で、「選ぶこと」に悩まされてきた私にとってめちゃくちゃ新鮮でした。
「選ぶ側」と「選ばれない側」、両者の苦悩の原因はちがうようで根本は同じで、選ぶという作業を「それがいちばん正しいものだ」と決めつける作業だと思いこんでることに起因している。
数多くのものからただひとつ、いちばん正しいものを選ぶ作業だと思うから、選ぶのは難しいし、
自分は正しくない、価値がないと言われているようだから、選ばれないと自信を失うんだ。
だけど、実際には選ぶ作業で「それがいちばん正しいものだ」と決定するわけじゃない。それが正しいか決まるのは、選んだり、選ばれたりしたあとの話だから。
だから、選ぶ側は選ぶ時点で「いちばん正しいものを選択しなくちゃ!」と気負いすぎる必要はないし、
選ばれなくても「自分が正しくなかった」なんて思わなくていいのだ。
まじで、すべては塞翁が馬🐴🐴🐴

馬に被せて言うなら、「選ぶ」=「馬券を買うこと」くらいに思っていてもいいと思う。ある程度予想はできるけど、実際どの馬が勝つかはわからない。選択も同じです。

ところで逃げ恥を見終えてから生きがいがなくなってしまいました😭
しいていえばnote書くことかしら。
ドラマでも漫画でも映画でもゲームでも、生きがい候補があったら教えてね。

なにか生きるヒントになったら嬉しいです、読んでくれてありがとうおやすみー🌙

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