世間と社会
先日、和食店でランチを摂った。カウンターに座ると、少年とベテラン店員がオーダーを聞きにやってきた。どうやら中学生の職場体験らしい。幼い顔が4名ほど見える。店員さんたちも大変だ。人手が多いほうが良いわけでなく、目配りする分負担が増える。何のお手伝いもできないが、せめて気持ちの良い客でいよう。
「お待たせしました」と右側から声をかけられた。右に顔を向けると、ベテランの店員さんが立っていて「いえ、向こうです」という。後方左に少年が立っていて、静々とお盆を置いてくれた。何も両側に立たずとも、と内心苦笑しながら「ありがとうございます」と受け取る。教える側も教わる側も、慣れていないから大変だよねえ。
隣とのアクリル板の突き当りに、七味や醤油が置かれているはずなのだが、醤油がない。キョロキョロ見回すと、左隣の女性が私物化している。つまり、自分が使った後に戻していないのだ。いきなり手を伸ばすのも不躾なので、「すみません、醤油いいですか?」と声をかけた。
しかし、無言で無反応。埒が明かないので、アクリル板の後ろから彼女の盆に向かい腕を伸ばし、醤油をつかんだ。正直、他人のテリトリーに手を入れるのは好きではない。こっちに渡してくれればいいのに、と思ったが、やはり無言で無反応。なんだか動物に話しかけている気分になった。
最近、こういう人が増えている。世間とはコミュニケーションするが、社会には無関心。
社会の人に目配りした場合「見るハラ」と取られるケースもあるらしい。ますます他者との関係は冷え込んでいくのだろう。
――別に精神的に引きこもって「関わりたくない」と思うのはかまわないのだが。「社会の人」に接触されたくないなら、最初から共有のものは戻しておいて欲しいのだ。
職場体験の生徒たちに目をやると、みんな一生懸命に働いている。気が利く子は、言われる前に客が帰った後にお盆を下げ、消毒をし、忘れ物まで確認している。言われたことを、やっとこなす子もいる。笑顔の子、無表情の子、声かけができる子、終始無言の子…いろいろだ。
この先の社会は、今以上に厳しいものになる。
成人後、彼らは「社会の人」に優しくなれるだろうか。