30代の道に踏み込んだわたしが、NakamuraEmiを聴く理由
【副題】
少し先を行く彼女が、小さな身体をもって見せてくれたもの
※このテキストは、2019年5月9日に「音楽文(powered by rockinon.com)」掲載された記事の転載です。
「30代ってこんなはずじゃなかった」
「30代……まあ、こんなもんか」
「めっちゃ楽しいよ、30代!」
30代の人たちは、人それぞれいろんな考えを持っているはず。
わたしはどちらかというと最初の「こんなはずじゃなかった」派だ。
まだ30代の入り口に足を突っ込んだばかりだけれど、30歳ってわたしの父や母がわたしを産んだ年とほぼ変わらないし、幼い頃のわたしは30代ってとても大人だと思っていた。
当たり前のように結婚して子どもを産んで、それでもやりたい仕事を続けて……みたいなことを考えていたりもした。
実際に蓋を開けてみると、結婚こそしたものの、仕事に関しては定職に就きながらも、「これでいいんだっけ?」って自問自答しながらふらふらと。
まだまだ遊びたい!って思ってしまうし、何も成し遂げた感がないのに子どもを産むなんて大それたことできる?なんて思ってしまっていたりする。
子どもの頃に描いていた30代にはほど遠い。
そんなほど遠いところにたどり着いてしまったせいで(もっぱら自業自得なのだけど)、30代の人生をどうしたらいいのかわからなくなってしまっていたわたし。
そんなわたしに最近指針を示してくれるのが、NakamuraEmiの音楽だ。
NakamuraEmiのことは、2014年のオーガスタキャンプのオープニングアクトに出たときから知っていた。
そのときのわたしは25歳。
まだ30代を「少し先の未来」として認識していた頃、その小さな身体でたくましく、自分を大きく見せるステージングにかっこよさを感じていたし、あんな風に自分を貫いて生きられる強さを持てたらなぁ……なんて思ったりもしていた。
そんな日から、気がつけばもうすぐで5年。
この5年で5枚のアルバムを出し、毎年お便りのように「自分の今」を伝えてくれるNakamuraEmiの変化は、楽曲を聴いていると如実に感じ取ることができる。
出会ったばかりの頃は、強くたくましい女性だなと思っていたけれど、知れば知るほどそればっかりでは決してなくて、弱さも脆さも人並みに、いや、ともすると人以上に持ち合わせている彼女。
困難に直面しているであろう時、何か高い壁をひとつ乗り越えたであろう時、口にする時もしない時もあるけれど、作り上げられる歌やライブの時に放たれる言葉から、「何か」があったことを察することができる。NakamuraEmiは、それぐらい人間味に溢れる多彩なシンガーだ。
『NIPPONNO ONNAWO UTAU』
NakamuraEmiが“NakamuraEmi”として歌う道を選び始めてから、ずっと掲げている看板。
日本の女性の強さや美しさを表現し、そして自分も「そのようになりたい」とライブのMCなどで彼女は語っている。
女性は多彩だ。どのように生きるか、どんな道を選ぶかで見える景色がまったく変わる、とわたしは感じている。
そして、女性はひとりひとりそれぞれ違った多面性を持っている。強い部分もあれば弱い部分だってある。
本当は泣いてはいけないところで泣いてしまう自分。甘えたい時に甘えられず、変に強がってしまう自分。口では「大丈夫だよ」って言ってるけど、本当は不安だらけな自分。
器用なように見えて全然器用じゃない。外から見た「自分」と、自分自身が見る「自分」との乖離に悩んでしまう。多面性があるからこそ、そんな悩みを抱えてしまうことって、女性にはあるんじゃないかな、と思う。実際に、自分にはある。
そんな悩みを持った心に、NakamuraEmiの音楽はとても沁みるのだ。
きっと、NakamuraEmi自身がリアルタイムでさまざまな経験をして、さまざまな気持ちを抱いて、そしてその時に感じた気持ちをそのまま「歌」にしてくれるから、「女性」として生きていて感じたことをそのまま歌ってくれるから、乾いた心を潤してもくれるし、容量いっぱいで溢れそうな心の水甕から汚れだけをすくい上げてくれたりもするし、寄り添って一緒に泣いてもくれるから。だから、自分の進む道を示してもらいたくて、助けを乞うようについ今日も再生ボタンを押してしまう。
NakamuraEmiの最新作『NIPPONNO ONNAWO UTAU Vol.6』の中に『痛ぇ』という曲がある。
所属事務所オフィスオーガスタの先輩 竹原ピストルのライブを見て受けた衝撃をこの歌にしたためたと彼女は言うが、この曲には私がNakamuraEmiのライブを見て毎回感じる気持ちが綴られていた。
“縫い目だらけの心はほどかれてく”
“その目その言葉 見透かされて 素っ裸だった”
“「もっと頑張れ」なんて一言も「大丈夫だ」なんて一言も
言われてないけど腹の底から涙が溢れる”
“あなたを見てると自分が情けなくて あなたを見てると疲れちゃうんだけど
あなたを見た後はいい目をしてて あなたに出会えて良かったと思って”
NakamuraEmiのライブには、嘘がない。
かっこいいところもかっこ悪いところも全部、「そこまで曝していいの?」って思うぐらい。
だからこそ、ステージへ視線を送るわたしたちだって嘘はつけない。
社会の荒波に揉まれ、気づけば常に纏ってしまっていた鎧も、ライブが始まり声が身体に響いた瞬間に、そして目が合った瞬間におろさざるを得なくなってしまう。
真正面から正直に、素直に向き合ってくる彼女の目を見ていたら、そんなもの身に纏っていることが恥ずかしく思えてくるから。
ステージで自分らしく振る舞うNakamuraEmiの姿を見ると、虚栄を張っている自分が馬鹿馬鹿しく思えてきちゃうから。
「なんでかっこつけているんだろう」って我に返ったらその虚しさに涙が出てくるし、でもそんなわたしのことを否定するんじゃなくて、「わかるよ、わたしもそうだったから」と同調しながらも、素直になって矢面に立てるよう、そっと背中を押してくれる。
20代は「強い自分」を装っても良いけど、そればっかりじゃ30代は辛いよって、30代の過ごし方を、アクセルの踏み方を、そして進むべき道を彼女は示してくれている。
これがとっても、心強いんだ。
女の30代って、どんな道が待っているんだろうって不安に思っていた。
スタート地点から思っていた場所にいなかったから、なおさらその先の光景を見るのが怖かった。
でも、NakamuraEmiを見ていると、ちょっとばかり……いや、とても楽しみなんだ。
彼女ほどに、自分の生き様を人様に示すようなことはできないかもしれないけれど。
わたしにはわたしにしかない道を、決して最短ルートじゃなくてもひたむきに進んでいけば、「あの頂上の旗」を握ることができるかな。
甘っちょろくて迷いまくっていた20代を越え、最近自分でもやっと登れそうな山が見つかった気がする今日この頃。
NakamuraEmiの音楽を聴いていなかったら、きっとまだ道に迷ってしまっていたから。これからも見失わないように、その背中を追っていきたい。追いつける気はしないけれど、ずっとずっと追いかけ続けたい。
だからわたしは、今日もNakamuraEmiの曲を聴く。明日も明後日も、その先も。