【読書感想文】キム・フィルビー かくも親密な裏切り
※この記事は、結末までの内容やネタバレが書かれています。
手に取ったきっかけは、出会いは覚えていないけれどBBC版『SHERLOCK』にハマってベネディクト・カンバーバッチ(とマーティン・フリーマン)出演作品を追いかけて『裏切りのサーカス』に行きつき、勿論原作の『Tinker Tailor Soldier Spy(菊池光氏訳版)』も読み、そこで登場人物のモデルとなった『キム・フィルビー』というスパイに興味を持ったので、関連の書籍を読み漁っていた時に見つけました。
『Tinker ~』の原作作者であるジョン・ル・カレがあとがきを書いているということもあり、購入待った無し。出版年が一年以内の本を読むのは久々です(単行本は2015年刊行ですが)。
大雑把には、キム・フィルビーと彼を取り巻く人間の群像劇みたいな感じです。
文体が評論と小説風を足して二で割ったような感じなので、人によっては読みにくいかもしれません。しかし、事実に基づき、神の目視点で淡々と『出来事』を述べているので、個人的には内容にとても合っていると思います。作者の感想(主観)が入りすぎていないのも良い。
多くの人物名(しかも長い)が出てきますが、本文前にある写真資料である程度は振り返ることが出来るので、面倒でなければ新しい人物が出てきたら写真を確認することをお勧めします(解説文でネタバレもしてしまいますが…)。
■感想
副題にもありますが、一般的に言われる『裏切り』とは何を指しているのでしょうか。
思うに、フィルビーは『裏切り行為をしている』という意識は無かったように感じます。
MI6に入るより前から彼は共産主義に傾倒しており、正体が発覚し、亡命した後も「扱う人間の問題だ」と自身が信じたモノを曲げませんでした。彼にとっての『裏切り行為』とは、『自身が認めた思想を否定すること』なのでしょう。
『騙す』と『裏切る』は違います。だからこそ、友人たちにとっては『裏切られた』という意識があるけれど、フィルビーからすれば『情報を収集しただけ』に過ぎず、騙していたという自覚はあっても「それについてはひどくすまないと思っている」程度の感想になるのです。
全て読み終わって思い浮かんだのは、漫画『ブラック・ラグーン』のタケナカと、映画『裏切りのサーカス』のモグラのセリフでした。
モグラの科白はうろ覚えですが…。とかく、勝手な想像で言わせてもらえば、この二つの科白にあるモノ(タケナカの信念の本質とは違うでしょうが)自分は間違っていないという絶対的な自信とプライド、そして名誉欲がキム・フィルビーの根底にあるように思いました。
若い頃に傾倒した思想に殉じる潔癖性は「自分が間違いを犯す筈が無い」という過剰なまでの自信の表れのようにも見え、中毒的なまでに多くの人間(しかも、国内きってのエリート達)を欺き続けたことや、二番目の妻であるアイリーンの虚言癖に振り回された時に怒りを露わにしたのも、その一端のように思えます。
このことから、キム・フィルビーの人物像は、『自分のことが最も好きだった』の一言に尽きるでしょう。それは二面性や二重人格性ではなく、ただただ理想の姿であるよう生きただけなのではないだろうかというのが正直な意見です。
友人だったニコラス・エリオットは、「あらゆる点で自分と似ているのに、何故これほど違う道を進んだのかと考え続けた」と語っていますが、食べ物や服の好み、恋人に求める条件からデスクの整頓具合まで自分と似ているからと言って、私室の様子まで同じとは限りません。
私室を片づけられない人間が片づけを苦にしない人間から多くの共感を得ることは難しく、逆もまた然りです。
きっと、エリオットとフィルビーは本当に似ていたのでしょう。しかし似た点が多かったのは偶然に過ぎません。『なぜ私室を片づけない点だけが違うのか』ではなく、『なぜ私室を片付けようとしないのか』を考えない限りは、正解に辿り着くことは出来ないように思います。
大部分はサスペンス的とも冒険活劇的とも言えるような、キム・フィルビーのスパイ発覚まで、どうピンチを潜り抜けるか、どんな感情で生きていたか等々、そんなワクワクテカテカな物語を読ませてくれます。
しかし、終章のこれまでにフィルビーを敬愛してきた人物―――イコール、フィルビーに騙され続けていた人物―――の後日談的な部分には、やはり虚しさばかりが広がります。
フィルビーからスパイ術を学んだジェームス・アングルトンは、この裏切りにより、元より強い猜疑心がさらに悪化し、CIAを弱体化させるまでの影響を及ぼしました。
三番目の妻であるエレナーは、亡命先のモスクワへ追いかけたにもかかわらずフィルビーの不倫が発覚し離婚、その三年後に亡くなりました。
エリオットの、最初の裁判後の困窮を助けたという大恩ですらフィルビーが二重スパイを辞める理由にはなり得ませんでした。
どこまでも信頼への裏切りは続き、一片の友情すら消え失せ、どこを見ても悲劇の痕しかありません。最後の最後にはその傷も癒え、懐かしく振り返ることが出来るようになったことが救いでしょうか。
フィルビーについては、晩年はモスクワ暮らしにも慣れたようですが、友人たちと過ごした毎日を思い返すことはあったのでしょうか。誰にとっても、何の救いにもならなくとも、せめて「政治を抜きにすれば、あの頃が一番楽しかった」と思ってほしいと思わずにはいられません。
おまけ
それにしても、ノンフィクションのズルい点は、『運』によるピンチ回避があっても誰にも非難されないところです。
本書にも書かれていますが、フィルビーは運にだいぶ助けられています。
これが完全フィクションだったなら、『ご都合主義』として一刀両断される(多分私もする)のに、事実は事実なのだからと、この主人公様ムーヴな展開がまかり通る。まあ、この『運』が無ければありえなかった出来事なので、絶対必須なエッセンスではあるのですが(´_ゝ`)
■事前読了済の関連?書籍
本書の内容に触れていたり触れられていたりですが、別の読み物として読んでも面白い作品かと思います。
『キム』に関しては、直接的な関係はありませんが、フィルビーが「キム」と呼ばれる元となった少年の物語ということで読んでみました。前書きで物語の中の文化的背景が書かれているので、登場人物のよく分からない行動も「そういうものなのか」と納得して読み進められます。
『地下道の鳩』については、随分前に読んだ本なのですが、ある一節が『汝の名は~』でも取り上げられているので、よっぽど寄宿舎学校に通う生徒の本質を捉えているのだろうなぁ。お父様がエキセントリック過ぎる。
同じく、マッキンタイア―氏の作品は、こちらも面白かったです。
同じく資料を基にして書かれたような文体の作品ですが、ちょっとコミカルな冒険活劇風で、違うベクトルで面白かったです。よくこんな素っ頓狂な作戦を国家レベルで実行しようと思ったなと。グリンドゥール・マイケル氏よ、安らかなれ…。