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「耳学問」のススメ(補筆)

 おはようございます、須恵村すえむらです。
 普段は在宅で反訳(音声の書き起こし)の仕事をしていまして、その傍ら趣味の小説を書いたり、ブログを書いたり、ここnoteでは仕事に関するエッセイを書いたりしています。

 今回、もともと別のところで書いたもの+αという意味で「補筆」としてありますが、多分大半の方は初めて読むのではと思いますので、あまり意味のない添えモノ的に捉えていただければ幸いです。

 あくまで「書き起こし」の仕事に役立つ観点の一つとして書いているので、日常生活上のバーバルコミュニケーション的にはピンと来ない箇所もあると思います。ご了承くださいませ。


誰かの口から出るコトバ

 音声書き起こしの仕事を始めてから、自分なりにやりやすい方法を模索したり、さまざまなことに関心を持ってインプットを増やすように努めたりしてきましたが、どれだけ回数を重ねても、「まだまだやれることがある」と思わせるところが、この仕事の魅力の1つです。

 今回は「耳学問みみがくもん」という、平生へいぜいはあまりポジティブな意味で使われないコトバについて書きたいと思います。

耳学問の類語・言い換え・同義語
情報が人から聞くなどしたもので中途半端なさま
聞きかじりの  耳学問の  生半可の  あやふやの
聞いて知った事柄が多いさま
耳学問の  耳年増の  聞いた知識の多い


Weblio類語・言い換え辞書

 メディアで記事を読んで文字面を目にしただけでは、言葉が頭に定着しにくいものです。
 「その言葉を誰かが口にのぼせているのを聞くこと」も大事なので、そういう意味で「耳学問」という言葉をあえて使いました。

 特殊な新語や、なかなか聞く機会がない言葉については、正確な読み方や広く知られている読み方を調べます。それが含まれた文章を朗読してみるのも手です。そういう方法でも、とりあえず「耳に入れる」ことはできます。
 正確なイントネーションが分からなくてひっかかりを覚えるようなら、むしろそのひっかかりのおかげで印象に残るという可能性が高くなりますしね。

 ちなみに正確なイントネーションを覚えることは「さほど重要でもない」と個人的には思います。
 なぜなら、全ての人が正しいイントネーションで言うとは限らないので、
固定イメージを作るより「こういうふうに聞こえる可能性がある」というサンプルをたくさん持っておいた方が、あらゆる状況での聞き取りがスムーズになります。
 可能ならば、ご家族や周囲の方に、事前知識なしで文字だけ見てもらって読み上げてもらうのもお勧めです。漢字表記の言葉の場合、読み誤りのサンプルを増やせる可能性もあります。

自分は信じる、他人は疑う!

 ところで、正確なイントネーションやアクセント云々については、南東北人のオマエがそもそも云々するな!というツッコミは甘んじて受けますが、イントネーションやアクセントがおかしいばかりに、正しく聞き取れない、あるいは正しく漢字変換できない(または仮名表記なのか漢字なのか、そもそも何語なのか分からない)という経験は、文字起こし作業に限らず、どんな方にでもあるのではないでしょうか。

 さらにさらに、片仮名表記だったりすると、文字を入れ替えてしまうというミスはしばしば発生します。

実際に自分の周囲で聞いたことのある言い誤り
〇カテゴリ(ー) ×テカゴリ(ー)
〇プレパラート ×パラプレート
〇マリトッツォ ×マトリッツォ
〇イラマチオ ×イマラチオ

 ミスは誰でもするものですから、自分が絶対に正しいと過信するのは禁物ですが、「自分の耳は信じる、人の発言は疑う(内容ではなく表面的なアイテムとしての「言葉」という意味で)」という強気の態度がいい結果を生むことも多いものです

おまけ

 読書至上主義――なんてものが本当に存在している(あるいは「していた」)かは分かりませんが、何となく、「それ、誰かから聞いきーた」より「それは〇〇(本・新聞)で読んだことがある(キリッ)」の方が説得力があるような気がするのは確かです。
 そのせいか、20年くらい前だったと思いますが、ラジオでこんな話をしていた方(学校の先生だったはず)がいました。

 ざっくり言うと、「近頃は電子辞書が普及しているが、進学校の子たちはまだまだ紙辞書派が多い」的なお話です。

 その数年後、長女が地区の進学校に入学し、学校指定の辞書類を嬉々としてガッサガサと買い込んだのですが、彼女は入学後間もなく、とある書店のワゴンセールで半額になっていた電子辞書を、ためていたお小遣いをはたいて購入していました。
 彼女的には「辞書を引く時間と手間をカットできれば、勉強が捗る」とのことです。

 いやいや、そりゃ確かにゴモットモだわ。

 くだんの先生の意見だと、「手でページをめくる」という行為が大事なのだというニュアンスでしたが、娘なりに、最近の言葉でいえば「タイパ悪っ」と感じたのでしょう。
 もちろん紙の辞書にはいい点もたくさんありますし、その存在自体を否定するものではありませんが、「紙を見つめることにこだわる」のもおかしな話です。

 多分ですが、進学校の(多分成績もいい)子たちは、紙辞書をこだわって使っているわけではなく、使用に慣れているから特に時間も取られないし、不自由していないというだけではないかと。
 電卓は便利だけれど、そろばんの方が慣れているからって程度で、そういう子がたまたま勉強のできる子に多かったというだけです。

 耳からの情報という点では、ちょっと話がそれていましたが、何となく思い出したので書き足してみました。
 

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