とある協力隊員の苦悩。
ボランティアって、仕事を評価するのが自分しかいないから辛いんだ。
そう気づいたのは、ボランティアワークがかなりしんどくなってきてからだった。いや、気づいていたけれど言語化できていなかったのだと思う。なんせ、職場に行きたくない、と本能的に思ってからも、しんどい理由をできるだけ考えないようにしていたから。
わたしは日本の会社員あがりで協力隊に参加した。会社では仕事をすると上司がその仕事ぶりをみて半期に一回なり、1年に1回なり、評価がある。そもそも会社員は、誰かに頼まれた仕事をすることがほとんどである。その頼まれ先から、毎度なんらかのフィードバックがあり、じゃあ次はこうしよう、とか、そもそもこの仕事を受けられるようにしよう、とか、そういった努力の方向性が見えやすい。
フリーランスであっても、基本的には誰かがやりたいことを実現するための労働力となってお金を得るわけで、そこには金銭を介した自分の仕事への評価が発生する。
対して、協力隊では基本的に誰もわたしの仕事を評価してくれない。いや、厳密にいえば、配属先は隊員のことを見ているだろうし、カウンターパートから評価されることはあるだろう。あまりに行動が酷ければ、その評価によって隊員が任地変更になることもあると聞いたことはある。
けれど、JICAも、配属先も、私の仕事がどうだったからといって何も変わらない。わたしのもらえるお金も変わらなければ、みんなの私への態度もたいして変わらない。
配属先に関しては、求められる仕事をわたしが彼らの代わりにバリバリとやってあげたら、私への評価は上がるのかもしれない。けれど、私には残念ながら彼らが求めることをやる能力がない(ソーラーを買うお金をあげるとか、ネットワークをサーバーから組んであげるとか、壊れた機械を直してあげるとか、学生のプログラミングのプロジェクトの指導教員になるとか、わたしにはかなり難しいor興味もあまりないことを求められる)。
またJICA側は基本的に活動先に来ないので、わたしの活動報告レポートと四半期に一回のプレゼンテーションでしかわたしの活動を知らない。一応活動計画と評価指標を到着後半年で提出し、その後も報告書の中で自己評価はあるけれど、あくまで自己評価しかない。わたしの言い方によって、JICAが感じる印象は大きく変えることができる。わたしが満足できる活動ができているといえばそうだと思われだろうし、逆に全然よくないです、といえば事実に関わらずそう思わせることは可能だろう。
つまりここでは、わたしがいい仕事をしたかどうかは、極論、わたしにしか評価できない。これが、とてもしんどい。
なぜなら自分に嘘はつけないから。例えば、自分が怠けていても、すこしだけでも活動のログがあればそれなりの発表は作ることができる。けれど、それで悔いが残ったら結局しんどいのは自分。せっかくこんな貴重な経験ができる場に来たのに!という後悔を簡単に残せる仕組みになっている。ここでは、自分という人間の器が試されている気がする。自分にプレッシャーをかけ、しんどい思いをしながらも納得いく活動をするかどうかは自分次第。適当に遊んで楽に過ごすのも自分次第。
また、正解がなさすぎるのもしんどい。たとえわたしにもっと良い選択肢があったとしても、教えてくれる人が全くいない。これが会社の仕事だったら、あんまりにわたしの仕事の方向性が違ったら教えてくれる人が一人くらいいそうなものだ。それが全くないのは結構つらい。
そう、会社だったら、怠けていたり、失敗したりしたら自分にちゃんと返ってくる仕組みになっている。これはある種、楽だったんだなあと今はしみじみ思う。自分が試されない。文句を言いながらでも、最低限の頑張るモチベーションみたいなものを持ちやすい。
ちなみに、今、私が置かれている状況で自分が納得いく活動をするためには、頼まれる外の活動をして、その価値を現地のカウンターパートや校長に辛抱強く説明して認めてもらう、という作業をする必要がある。現状としてはこんなにお金も電波もないのにICT改善って、一体どうしろっちゅうんだ、という難易度の高さがあり、計画時点で入れていた「やりたかったこと」はほとんど諦めざるを得ない状況になってしまっている。
今進めていることは、意義が現地人にとってわかりづらいけれど重要だよね、というポイントをついたものが多く、わたしがいなくなったら運用はかなり難しいと思っている。例えば、存在する機材の一覧をきちんと現場にあわせてアップデートすること。例えば、仕事のマニュアルを逐次更新して誰にでも使える場所に置いておくこと。スタッフの頭に入っていたら、そんなものをいちいち確認して仕事をすることは、ほとんどないのである。この重要性をわからせる、という仕事は、かなり骨が折れることだと思う。
また、今、わたしは学校に勤めているけれど、職場に行っても行かなくても誰にも何も言われない。これは割と最初からで、というか、同僚たちも基本的に授業以外の時間はどこにいるのかよくわからない。わたしも職場に行っていても、基本的に席も決まっていないようなオフィスで座って自分の作業(今はかろうじてICT環境整備のマニュアル作成という仕事を作り出してやっているけれど)をしているだけなので、いてもいなくても変わらないのだ。
毎日どんどん職場に行きたくなくなっているけれど、行かなくなったらさすがにまずい、せめて顔だけは出すぞ、という気持ちで職場で毎日がんばって職場に行き、作業している。(実際、この国で顔を出して毎日ちょっとでも会話をする、というのは大事らしい笑、この文化も実はあまり好きではないけれど)
ボランティアで”自発的”に来ているんだから自発的に苦労しろよ、というのは簡単だし、過去の5万人以上の協力隊のケースで素晴らしい美談があっちこっちに転がっているのをみると、わたしもそうなりたい、とか、協力隊としてこうあるべし(自分で仕事をみつけ、現地のために身を粉にして働かねばならない)、みたいなことを考えてしまう。けれど、この"自発的"なやり方を続けてきたが故に、実際に全体の結果を見てみると全然大したことがない、というか意味がない派遣でした、とされる派遣もたくさんありそうに見える。
協力隊の派遣には、一人当たり2000万円以上がかかっていると訓練時に言われた。今の世の中、日本も昔のようにお金がたくさんあるわけではない。なんなら毎年借金が膨れ上がっている。そんな中でまだ途上国支援をするのであれば、せめてきちんと仕事への評価があり、結果を求めるような形にシフトしていく必要があるのではないか、と思ってしまう。協力隊は日本の若者の人材教育も目標に入ってしまっているということもあってか、この辺りがかなり曖昧であるような感じがする。
もはや別視点で協力隊をとらえ、日本の人材教育事業として機能させるのであれば、それはそれでもっとインターン風にプロジェクト化した方が良さそう。今はどっちつかずで、中途半端なんじゃないだろうか。
というわけで、協力隊員として、ローカルの人々とこんなに近い距離に住むことができているのはかなり文化的には興味深い体験だけれど、仕事・活動という面ではなかなかしんどい毎日を送っている次第である。