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世界に出る前に、大好きな仲間とライブを作ったということ

2022/3/27. 企画ライブ「SING ALONG」を主催した。

ライブをいざ実施するに当たり考えたこと、裏話、反省、MCで話しきれなかったこと、終わった今、思うことなどをここに記録しておく。

ライブを企画するに至った経緯

「歌」を習いたい!

昨年の10月25日に、JICA海外協力隊の選考結果が出て、ジンバブエ派遣が決まった。そこでざっくり2022年の派遣までのスケジュールがわかり、研修どうするか?仕事をやめて旅に出るか?などのオプションがあって迷ったけれど、仕事の兼ね合いもあり、3月末までは基本的に東京にいることを決意。

せっかく東京にいるなら、東京でしかできないことをしたい!と思い、そうだ、歌を習おう!と一念発起。もともと大学時代もずっとアカペラサークルで歌っていたりして、歌は好き。ボイトレに行ったらこの自分の歌も変わるのか?という興味もあって、一度ちゃんと習ってみたいと思っていたところだった。

2年くらい前に、歌をやりたいと思っていろいろなボイストレーニング教室に体験に行きまくっていた時代があった(1年目の給料では続かなかったので通ってはいなかったのだが)。そのときに、今回のライブでも共演した、大学の友人のみっちゃんに紹介してもらった先生の存在を思い出した。当時レッスンを数回受けたのだが、一回のレッスンでちゃんと声が変わってしっかり歌えるようになったので衝撃だったのだ。
東京である程度継続して習うなら、あの先生に久しぶりに習いたい!と思って、再度連絡を取ってみたのだった。

せっかく習うなら、発表の機会を作ろう

年末に久々にレッスンに行き、やっぱり続けたい、と確信。歌うことが単純に楽しかった!自分の声が変わる感覚。ちょこっと意識するところを作るだけで歌声って抜群に変わる。自分の体なのに面白い!

せっかく習うなら、歌なので、収録してYouTubeで公開するなり、人前で歌う機会を作るなりして習ったものを発表したくなってしまった。というわけで、みっちゃんと、アカペラサークル時代の先輩であり旧友であるたっくんに声をかけたのがすべての始まりだった。のである。

準備で大変だったこと、面白かったこと

一番大変だったのは場所の選定だったかもしれない。都内にはライブハウスだけなら腐るほどあるものの、2ヶ月後の日曜の昼に、高すぎないお値段で配信もできるような箱はなかなか見つけるのが難しかった。

やりたいと言い出して探し始めたのが1月末くらい。10箇所程度問い合わせをして、比較検討して、やっとやる場所を決められたのが2月中旬。慣れない作業で時間がかかってしまったのだった。
(もし今後このようなライブをやりたい人がいれば比較検討リストをシェアするので言ってください!)

場所を決めた後も、決めなければならないことが山ほどあった。ライブタイトル、時間、そもそも現地に人を呼ぶのか、何人呼ぶのか、チケットをいくらにするのか、ポスター作るのか、当日のビラはどうするのか、当日のタイムスケジュールは、云々、かんぬん、、、
これらをそれぞれの練習をこなしながら、ライブプロデュースの仕事もされているという先生のアドバイスを受けつつ一人で決めた。というより、人と話し合っている暇はなかった。このあたり、ストレングスファインダー上位資質の「指令性」「アレンジ」あたりを存分に発揮したと思う。

そう、こういう新しいことをやったおかげで、自己理解も深まった。ストレングスファインダーについても見直したばかりだったので、得意なことを仕事にどう還元するか、という点で今後の仕事選びの参考になる良いデータが取れたなあという印象。悪くない!

当日はどう考えてもわたしだけでは役不足だったので、絶対にその場を任せられる百戦錬磨の先輩・友人・後輩に声をかけ、それは本当に大正解だった。みんな本当に、ライブを成立させてくれてありがとう!

また本番直前は、個人的に曲を覚えきるのが本当に大変だった!
最終的に演る曲がすべて決まったのは2週間前。アカペラやオープニングの曲も合わせてわたしは8曲くらい歌うことになったので、その歌詞を直前まで覚える努力をしていた。先生にはご心配をかけたことだろう。なんせ3日前のリハで歌詞を覚えきれていなくて間違えまくって、ピアノと曲の尺さえ数回合わなかったのだから!

そこから調整して気合で当日は数ミスで済み(数ミスはしてしまった涙)、よく集中したね〜と先生からもお褒めの言葉をいただけたのだった。。人生ずーっと、お尻を叩かれないとがんばれない自分を、本当にどうにかしたいもんだ…。。

でも、習い始める前よりも確実に、それはもう確実に、うまくなったとは思う。先生もおっしゃっていたが、「10回のレッスンよりも1回の本番の方がうまくなる」という。これはわたしのアカペラサークル時代の経験とも相違がない。人前に出る本番があればそれだけ本気でやらねばならない、ということはやっぱり、それだけ成長があるということで間違いないのだろう。

MCで話しきれなかった内容について

よくよく考えたら、30人以上の前で話すのなんて新卒の研修(3年前)以来だった気がする。フルリモートワークの弊害だ!

緊張しすぎて話したかったことの半分も話せなかったので、わたしの歌った曲の解説と混ぜて、noteのネタにさせていただく。わたしの尊敬するオードリー若林さんも、緊張して話せないんだったらnoteに書いて発散するのがいいってあちこちオードリーで言ってたし。失敗したらネタにすればいい!と思えば緊張しなくなるとのこと。わかる!次からそう思おう…。

オープニングナンバー "Champs-Élysées"

SING ALONG(一緒に歌おう!)というライブテーマに沿う、明るくてみんなが知っているメロディーのものを、と思って1曲目にチョイスした。様々なアーティストがカバーしているが、ZAZ(ザーズ)という、フランスの女性ミュージシャンのバージョンのリスペクトで歌わせていただいた。

急にフランス語が来てなんじゃ?と思った方も多いかもしれないが、お客さんがわたしがフランス語圏に留学してたことをご存知の人が多そうだったので歌うことに踏み切った。モントリオール留学時、フランス語がわからなくて毎日しんどかったが、ZAZはハスキーボイスが好きで他の曲も死ぬほど聞いていたのを覚えている。

フランス語っぽさがなかなかでなくて、最後まで先生に発音を言われ続けていた。もっと鼻母音とかフランス語にしかないj音とかr音とか、こだわれたら良かったなあ。

If I ain't got you - Alicia Keys

曲自体も大好きだけれど、この歌は歌詞のメッセージが大好き。歌うにあたって、歌詞をひたすらに読み込むわけだけれど、幸せってなんだろう、ということをひたすらに考えさせられる。

Some people live for the fortune 
富のために生きる人もいれば
Some people live just for the fame
ただ名声のために生きる人もいる

Some people think that physical things define what's within
目に見えるものが中身の性質まで決めてしまうという人もいるでしょう
And I've been there before
わたしも前まではそうだった
But that life's a bore so full of the superficial
けれどそんな、表面的な人生はつまらないのよ

Some people want it all
すべてが欲しいという人もいるけれど
But I don't want nothing at all
わたしは何もいらないの
If I ain't got you baby 
”あなた”をを手に入れられないのなら

幸せって物理的なものじゃないでしょう?と問いかけてくれている。豊かな人生を生きるためには、どうにかして愛し、愛されないといけないのよ…!

最後の”you”には何を当てはめてもいいんだと解釈している。愛する人が一番ストレートだが、家族だったり友人だったり、場合によっては人ではなくてもいいかもしれない。一番大切にしている価値観でよくて、要は幸せを証明するものなら何でもいいのだ。

この歌詞全体のメッセージがよくて、今までも大好きだったけれど、練習を重ねるにつれてより好きになった。また、もともと曲を作ったアリシアがピアニスト。ピアノがきれいで、ピアノと歌うなら歌いたいなあと一番最初に決まっていた歌だった。

Desperado - Eagles

Desperadoは調べると、「絶望した人」から転じて、「人生に絶望して無謀になっている人」を指す言葉だという。そういう意味で捉えると、歌詞もしっくり来る。こちらは歌詞が長いのでぜひ一度邦訳と一緒にでいいのでなにかで聞いてみてほしい。

ここのところ、自分も含めて周囲が社会人数年を経て、「この先40年働き続けるのか」とか、「何をしたいのかわからない」とか、「結婚と子どもどうするか」とか、根本的な生き方について話すことが増えた。20代後半って、先が見えないマラソンを走っているようだと感じる。同世代は特に、みんな同じようなことでいちいち絶望して、悩んでいると思うのだ。

そういった人生の悩みに「お前は頑固だなあ!」とか言いながらも寄り添って、最終的に「Let somebody love you(そろそろあなたを愛すことを許しなさい)」で終わるのがすごい。これはもう、本当にすごい。
なんだかずっとしんどいけれど、どうすればいいかわからなくて毎日つらかった2.3年前の自分や、悩んでいる友人たちに贈りたい歌。

ライブ終了後、この曲よかった!というリアクションを数人からいただけたのも嬉しい。曲自体の良さももちろんあるけれど、人の顔を思い浮かべて歌うとやっぱり強く伝わるのかもしれないなあと、「表現」の面白さを改めて感じた曲でもあった。

Listen - Beyoncé

ぼんやり、歌を習い始めたときに、この難曲を歌いこなせるようになりたいなあと思っていた。練習を始めてもやっぱりばかみたいに難しくて、1ヶ月の練習期間では納得のいく仕上がりには到底届かなかった。でも先生の教えによって全く歌えなかったところからちょっとは歌える幅が増えたので、チャレンジしてよかった。今後の人生で練習し続けていきたい歌。

この歌は、ひたすらに自分の生き方を貫く女性像が見える。Listen,…Listen!!と、「わたしの話を聞いて、いや、聞け!!」と最後まで盛り上がっていく。
歌い手に「孤高のチャレンジャー」というイメージがあって、「ジンバブエに一人で行くわたし」というそのままわたしのイメージで歌った。実際には全然一人ではないが、安心安定のIT大企業をわざわざ辞めて、途上国開発やソーシャル・ビジネスという、やりたいことだけれど茨の道に進もうとしている、今の決意を込めて歌ったつもり。

ちなみに、原曲より半音上げているのでわたし的にはちょっとビヨンセよりも印象がふわっと明るくなっている。

明日へ - MISIA

1月に、父に誘われてMISIAのコンサートに行った。そのとき歌われた歌で、なんだか抜群に響いてしまったのがこの「明日へ」だった。

震災のとき、あれだけ悲惨なことが起こった被災地の人のために作られた歌ということ。言葉では言い表せないほどの深い哀しみと向き合って、それでも、明日へ向かおうというこの歌が、震災だけでなくすべての苦しんでいる人に力を与えるんだなあと、音楽の力ってすごいなあと深く感じたのだった。

今、世の中はまた特に不安定だ。ロシアのウクライナ侵攻から1ヶ月がたち、人がたくさん殺されているということが日本のニュースでも多く取り上げられるようになった。近隣国の病院では怪我をした子どもたちが「お父さんくるよね?」と泣いていた。

わたしにはロシア人の友人もいるし、ウクライナ人の友人もいる。ロシア近隣国であるエストニアには学部の友人が住んでいるし、大学のロシア政治の教授はテレビに出ずっぱり。遠い話では決してない。

その一方で、ウクライナで戦争が起きるずっと前から、世界では終わっていない戦争がたくさんある。アフリカでは国を跨いでいないだけで内戦がまだまだ各国で続いている。治安が悪く、出歩くだけで死ぬ危険がある街もたくさんある。
わたしが行くジンバブエも、今でこそ安全な方だが、独裁者を引きずり下ろすときにはクーデターが起きて、そうでもしないとあのひどいインフレが終わらなかったという。

日本は安全な島国だ。ロシアはさすがに隣国で大きいので影響があるけれど、他の世界中の戦争の影響がほぼない。物理的にはたしかに遠いけれど、同じ地球上で殺し合っている人がまだまだいることを、忘れてはいけないと勝手に思っている。

平和な世の中への祈りも込めて、どんなにしんどい毎日でも、雨のち晴れ、いつか明るい明日はくる、という思いで、「明日へ」を歌わせていただいた。

ライブが終わって思うこと

ライブ準備中からずっと気丈に振る舞っていたつもりだけれど、これ大丈夫か…?と、実はずっと心の奥底で思っていた。
準備期間が短いし、決めなきゃいけないことも準備しないといけないことも死ぬほどある中わたしもみんなも社会人だし、アカペラの練習はなかなか人が揃わんし、何よりわたしの歌が上手くならない!わたし主催なのに!

でも!それでも!
やってよかった!と強く思っている。
わたしの一人相撲になってしまっていないかずっと心配だったけれど、もうこんなに達成感があって、これだけリアクションがあれば、それでもいいじゃないか!

わたしが演者の中でいちばん下手くそだった。それは間違いない。あとから聞いて、ずっと声が震えているし(おさまれ〜と念じながら歌ってた)、音も当たらない当たらない。練習の半分も歌えなかった。
まあそれは、準備期間がやると決めた時から既にだいぶ少なかったし、本番の難しさがそんなもんだとは重々わかっていたことだけど。

でも!たとえ下手でも!世の中なんでも、作ったもん勝ちでしょう!と思うのだ。

わたしの好きな歌、思いを見てくれた人に表明できたこと。

わたしが大好きな人たちの歌声を、友人や家族に聞いてもらえたこと。

人に恵まれている、愛されていると実感できたこと。
やりたいと言ったら手伝ってくれる人がたくさんいたし、見てくれた友人もたくさんいたこと。

わたしが作ったライブで、価値が生まれて、少しではあるが経済がここでは回っていたということ。

何より、「勇気をもらった」とか「わたしも転職がんばる!」とか、前向きなリアクションがあった(=伝わった!)ことが嬉しくて!

大変だったけれど、やってよかったなあと、今、しみじみと思うわけです。
これから数年間、どうしたって言葉も通じづらい、何をすればいいかよくわからない、日本人が一人しかいない社会に行くに当たり、頑張れる拠り所にもなった気がする。
なにせ、わたしにはこんなに良い友だちがここにたくさんいるのだから!


【最後に】門井先生レッスン値引き情報(4/10まで)

チケットを買ってくれた人の中で、歌を習いたい!という人がいれば、先生がレッスンをチケット代の2000円分値引きしてくれるとのことです!
初回レッスン2時間¥10,000→¥8,000 になる。複数名でもOK。

▼チケット情報(4/10までアーカイブチケット販売中)

先生はもともとミュージカルの先生だけれど、日本のポップス作曲の経験もあるような方なので、歌いたい曲は先生が知らなくてもYouTubeなどで見てくれて、それぞれのコツを教えてくれる。歌は下手、カラオケが苦手…という人も受け付けているとのこと。

ただのカラオケではなく、自己表現として「歌う」ということ

歌を習うという選択肢って、普通に生きているとあまり出てこないような気がする。みんな、人生でいうと、音楽の授業で歌い、そして大人になってもカラオケで歌う人も多いかもしれない。歌えてしまうが故に、習おうというところに至らない印象がある。
けれどヨガやゴルフのように、あるいは料理教室のように、もっと気軽に習い事の選択肢に入ってきても良いと思っている。上手くなければ習ってはいけない、人前に出してはいけないというルールはどこにもない。

歌うということは、ダンスのように、あるいはこのnoteのように、自己表現だ。自己表現の一つの手段でしかない、ともいえる。
自分という楽器を使って演奏する、とてもシンプルな行為。シンプルが故に、その人間性が強く現れる。ひとたび歌えば、性格や人格、ときには考えていることもわかってしまうことがある。

それはある意味、普段しまっているものをわざわざさらけ出すという行為であり、ときにものすごく恥ずかしい。けれど、その分、考えて人に見てもらいながら歌うと、自分と向き合って自分のことをより深く知ることができたり、普段なかなか言えない思いをオープンに表現できたりと、とても良い機会になると思う。

歌を習う、ということは、つまり上記のような自己表現のトレーニングをすることにも近いと思う。習う側の心持ちにもよるし、歌を習う目的は人それぞれで良いのだけれど、歌で自分を表現することに興味がある人、たとえば「この歌はわたしを表している…!歌いたい!」と思ったことがある人も、一度歌を習う体験に行ってみるのはおすすめである。


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