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「私の仕事じゃありません!」をやめる

過去に2人ほどいた気がします。

1人目は総務?庶務?といった会社全体の手続き業務を取りまとめてくださっている裏方部署、その中でも最も権威が強い部署だと思うのですが、なにせ事務処理なども多いのかおそらくは役割分担とかが明確になっていたのでしょうか。

でも、そんなことまで他部署だけにわかりません。

なので、窓口に座ってらっしゃる若い女性社員に

 「〇〇の件で、ここで聞けって言われたんですが…」

と持ってったら、

 「それ私の仕事じゃないんで」

とそっけなく返されました。せめて誰の担当か教えてくれないと誰に聞けばいいかもわからないんですけど…。

2人目はエンジニアでやはり若い子でした。

たしかに役割は分担しましたが、彼の遅れを他のメンバーが助けてくれたりもあったのにそこでは文句も言わないんですよね。ある日、ユーザーからある問い合わせがあって調査する仕事が舞い込んできました。

計画上にはなかった作業ですが、半日もかかるほどのことじゃなかったし、若い子に経験を積ませようと思って、一番クリティカルパスに影響なさそうなその子に指示したら

 「それ、私の仕事にはありませんでしたよね」

…んー…プロジェクト業務の全体の流れをあまり経験したことの無い子ってこんなものなのかな?面倒くさいので他の子に任せ、彼には軽く指導だけしておきました。まぁ、それ言うなら自分の仕事手伝ってもらった時にも言えよ、と。

否定する理由は作らない

なんでも否定したり、「できない」「むずかしい」が口ぐせのエンジニアは鼻持ちならないと思われて社会から評価されません。

不得意分野の仕事をまかされて「私の仕事じゃありません!」といっているエンジニアをよく見かけますが、組織人である以上、その「私の仕事」を決めるのはエンジニア個人ではなくプロジェクトマネージャーや上司です。

あらかじめ計画にあったとしても計画を見直し、指示をするのはマネージャーや上司の権限であり、且つ責任の範疇です。少なくとも適正に調整されたモノであれば、それに対して文句を言う資格はありません(適正じゃないものはブラックかもしれません)。

もちろん、特定の部署でありながら自部署以外の仕事をしていたり、役職者でもないのに役職者の仕事を肩代わりさせられていたり…と言うのは、そもそも業務分掌に対する役割義務違反なので指示・依頼する側に問題があると言えます。それぞれの従業員が、それぞれの役割に合わせて適切な給与をいただいている以上、自分の仕事を他人に押し付けるのはNGです。

しかし、業界が縮小している昨今、そうそう得意な仕事や興味のある仕事がまわってくることはありませんし、ただの個人的な好き嫌いでイヤな仕事を断っているとますます仕事の幅は狭まってしまいます。

徐々に仕事のできる分野を増やしていかなければ、しまいには「できること」がなくなってしまうかもしれないと言うのに、その経験すら嫌がるようでは先はありません。

現状「できない」のは嘘では無いかも知れませんが、それは「しなくていい」理由にはなりません。「できる」ためには何が不足しているのか、どうすればいいのかを提示するのが正しい答え方になります。


ビジネスパーソンの答えは「条件付きYES」一択

これは私の個人的な考えですが、ビジネスにおいて無条件な「YES」も、無条件な「NO」もあってはいけないと思うんです。

「YES」と答えるにしても、それは諸々の条件がたまたま合致していたからです。能力的に、時間都合的に、感情的に、etc.…色々あったうえで、「YES」と言っているにすぎません。

「NO」も同じだと思うんです。

能力的に、時間都合的に、感情的に、etc.…色々理由はあるのでしょうが、条件が合致しないから「NO」と答えているに過ぎないと思うのです。もしも完全に無条件で「やりたくないから、やらない」と言っているのだとしたら、それはもうビジネスパーソンとして対価を得る資格はありません。

ですが「NO」の理由がそれなりに出てくるようであれば、発想を逆にしてみてください。要するにそれって、

 条件さえ満たせばYESってことだよね!?

ってことです。ビジネスにおける「NO」って、基本的にコミュニケーションの終了を意味します。壁を作るというか、一切受け入れないというか、もうその時点で「NO」を言った人には何も期待できなくなってしまいます。

ですから、発想を変えて

 「そのままだと「NO」だけど、条件を満たしてくれたら「YES」ですよ」

と考えてみてはどうでしょう。
私はいつもそうしています。シンプルなところで、

 「今、手が離せないので、あと1時間ください」
 「その代わり、あとでこちらも手伝ってもらっていいですか」
 「〇〇くんも手伝ってくれるなら、いいですよ」
 「調べもの用に、この書籍を購入してほしいのですが」

これは取引先とのやり取りでも同じです。こちらから「NO」はいいません。ただし、相手に諦めてもらうように条件を引き上げることはあります。見積りなんかがいい例です。

 「(本当は1億だけど)1億2億じゃ済まないかもしれませんねー」

なんて言い出した時は、相手に諦めてほしい時のサインだったりします。まぁ、よほどのことがない限りそんな手段使いませんけど。

とにかく、自分からは「NO」を言わない姿勢ってのが大事なんだと思います。常に前のめりというか。アグレッシブというか。条件さえ満たせばできないことは無いので、そもそも逃げ腰になる必要なんてないんですよね。


得意/不得意は関係ない

エンジニアをしていると不得意分野なのに仕事をまかされるときもあります。単純に人がいないからまかされたのかもしれませんが、もしかすると、エンジニアとしてのレベル確認のために試されているのかもしれません。

とはいえ、なんでも安請け合いをしたらいいといっているのではありません。代案もなく、本当にできないことは「できない」と断ってもいいのです。

しかし、それが判断できないのであれば、挑戦して経験を積む必要もあるのではないでしょうか。不得意分野の仕事を受ければ失敗することもあるでしょう。しかし、失敗を重ねれば失敗しそうだという感覚(鑑定眼)が養われます。

もしも、失敗して怒られることが怖いと言うのであれば

 「経験がないので、失敗するかもしれませんが大丈夫ですか?」
 「経験がないので、どなたかにフォローいただいてもよろしいですか?」

と聞いてみると良いでしょう。大抵の場合はそうなることも見越して指示を出してくれているはずです。

そういった経験を積み重ねれば、「本当にできないのか」「条件つきならできるのか」という感覚も養われます。むしろ、そうやって経験を積んでいかないと確かなことは何も言えないはずです。

 「自分の仕事じゃありません」

というのをやめると、失敗を事前に防ぐ能力も身につき仕事の幅を広げることができるようになるのです。


言い訳の上手い人=仕事のできない人

また、そのような中には忙しそうなフリが上手な人がいます。自身の作業量を減らしたかったり、興味のない仕事がまわされるのを避けようとするからです。

たしかに忙しそうなフリをすれば、仕事を振られることは少ないでしょう。

ところが、そのような仕事の仕方をしていると同時にチャンスもどんどん失われていきます。仕事を振られないように立ち回るのですから、実績をあげようがないのです。実績を積まなければ経験値が増えることだってありません。当然、能力が向上しなくなるわけです。

繁忙期には、エンジニアはいくつもの案件を抱えて徹夜になることもありますので、すでに多くの仕事を抱えているのならそれ以上に増やす必要はありません。

しかし、もし納期やスケジュールに余裕があるのなら少し多めに仕事を引き受けてみると自分の能力の限界を知ることができますし、実績を積むこともでき、チャンスを手にする可能性が高まります。

余談ですが、中には上司や役員などとしっぽり飲みニケーションする席を設けて、誰も聞いていないところで、大したことは何もしていないくせにシレッと自分の功績にして評価を得ようとする寄生虫みたいな人もいたりします。

出世・昇格などによって得られるモノとは、「報酬」の他に「権限」があります。

憧れ、そう言う立場になりたくなる気持ちはわからないでもないですが、この「権限」は上位に向かって放つものではなく、下位に向かって放つものですから、本当は上司や上層部にとって都合のいい人間を出世・昇格させるのではなく、部下にとって働きやすい環境を与えられる人間を出世・昇格させなければならないはずです。

そうでなければ、組織が健全に運用されることはありません。

何年も前から、パワハラ、セクハラ、パタハラ等々、いろんなハラスメントをこれでもかってくらい行う上司像がメディアで取り上げられますが、私はハラスメントを起こす上司そのものよりも

 なぜ、そんな人間性の者を"上司"という役割に充てるのか?

という方が気になって仕方がありません。どんなに個人的に能力が優れていても、組織を壊す人間性であれば「上司」という立場にすべきではありません。

この「人間性」は非常に大事です。

企業が株式公開を行う時などは、役員や役職者が身内や交友に反社勢力との関わりが無いことを調査されたりもしますよね。それと同じことです。人間性に後ろめたいことがある人間は、他人の人生を左右する立場に置くべきではありません。


ほんの少しだけ自分の許容量より多めに請けてみる

私にも、多めに仕事を引き受けてよかった経験があります。

特に、未経験分野の仕事については、自信のあるなしは関係なく受けることが多いです。一度受けて見て

 「あ、これ楽しくないかも」
 「なんだ、所詮依頼者の自己満足レベルじゃん」
 「今回はしょうがないからやったけど、意味ないわこれー」

なんて思わせる仕事は2度受けるかどうか疑問ですが、新しい経験値を積むと言うことは、視野が広がり、視座が高くなり、発想が広がることにもつながるため極力受けるようにしています。

そうすることで自分の能力の限界値も広がることを知っているからです。

私は、2012年より前は最前線でエンジニアおよびマネージャーをしていました。実装経験がないプログラム言語でもおかまいなしに飛び込んで、やりながら修得したこともあります。

プログラムなんてコンパイルしてしまえばどれもこれもコンピューターが理解できる言語「アセンブラ言語」ですしね。アセンブラに実行できないような命令は、どんな言語でも作れません。そう考えれば、そのプログラミング言語の癖や特性は非常に限定的であることがわかります。その癖や特性をとりあえず最低限読み書きするレベルまで習得するのは1~2日あれば事足ります。

また、2012年以降、主にソフトウェア品質に特化した業務をおこない、ソフトウェア開発の最前線からは遠のきました。ISO関連の規格に触れたのもそれからですが、今ではQMSやISMSはもちろん社内の誰よりも熟知していますし、共通テキストによってどのマネジメントシステムでも大抵のことは理解できるほどに抽象化したモデリングを行っています。

そうした経緯もあって、プライバシーマークのマネジメントシステムも実質1ヶ月半ほどで構築し、取得するに至っています。

プロジェクトマネジメントに対しては実務経験がそれなりにあったものの、PMBOKに深くかかわるようになったのはつい数年前です。しかし、それぞれのプロセスと知識エリアが具体的に何を求めているか、具体的にどう適用していけばいいかぐらいは現役のプロジェクトマネージャー以上に把握しているかもしれません。

またISOのマネジメントシステム関係に熟知したおかげ(?)で、自動車の機能安全(ISO 26262)や労働安全衛生(ISO 45001)、ソフトウェア品質(ISO 25010-)なども「できるでしょ?」みたいな安易な発想で押し付けられたおかげで、いろいろ熟知するようになりました。

どれもこれも誰もやろうとしないで押し付けられたから、という理由で始めたものですが、おかげで今では社内の誰よりも精通している自信があります。

それ以外でも、特に依頼されなかったとしても、あえて「それくらいならやりましょうか?」と言ってわざわざ経験するために踏み込みます。

そうしないと新しいことを経験できるチャンスが訪れないからです。経験もしたことも無いのに、わかってる風の偉そうなことを言いたくありませんしね。忙しいフリをしたり、面倒だからといって仕事を断っていたらこういったチャンスはなかったでしょう。

常に120%の課題を自らに課しておけば、「どこまでならギリギリできる」「どれ以上は確実に無理」という限界の境界線が見えてきます。憶測や目分量といった曖昧なものに頼らなくてよくなるのです。

また、不思議なことに少々背伸びをしてでも120%の力を出し続けていると120%の状態だったものが徐々に成長し、100%内で収まるようになっていきます。

たとえば、自動車の免許を取ったばかりのころは周囲に気を配って疲れてしまうでしょう。助手席の人と話すだけで気が散ってしまうと思います。しかし、慣れてくると意識しなくても後方確認ができるようになるし、助手席の人と会話することもできるようになるのと同じです。

繰り返されることで、「慣れ」「最適化」が行われているからです。


120%が良いらしい

これは、部下育成などの目安にもなります。

と言うのは、どこかのコラムでも書かれていたもので、逆に力をセーブして、いつも80%の力で仕事をしていると、いつの間にか80%のゆるんだ状態までしか成果が出せなくなってしまい、急に120%の力が必要になっても、なかなかそういった状態に持っていけなくなってしまうらしいです。

また、引き受けた仕事をどのくらいの時間で完了することができたかということを計っておくと自分の平均的な作業時間を割りだすことができますので、プラスアルファの仕事を受けることができるかどうか迷ったときの目安になります。

これには心当たりがあります。

それは「筋トレ」です。肉体は一定以上の負荷をかけ、壊れない程度に限界値を超えると鍛えられます。休ませ、栄養を与え、回復した際には、前回の負荷に耐えられるようにほんの少し限界値が上昇するのです(もちろん、やりすぎたら壊れるのは筋トレでも仕事でも同じです)。

ですから、常に手を抜いて上手く立ち回ろうとする人間は非力なもやしと同じで、一生鍛えられることはありません。逆に、常に良質な仕事を、適切な負荷のもとで継続的に実施すれば筋トレと同じく業務上の能力が向上し、ムキムキになれるということです。

そういえば中学1年の時に、毎日「腕立て伏せ」「腹筋」「背筋」「スクワット」を行っていました。時間のある時にやっていたので、1日何セットと言う決まりは作りませんでしたが、暇があれば5セットでも10セットでもやっていました。

ただし、ちょっと特殊なルールを作ったのです。

 ①初回は、1セット10回から始める
 ②日を追うごとにセット内の回数を1回ずつ増やしていく
  ただし、同日内で複数セットする際には、回数は増やさない
 ③目標を達成できない場合は、翌日も1セット当たりの回数を同じにする

これだけです。初回1セット10回から始めたソレは、何度か未達の日があったものの最終的に250回近くまで実施できるようになっていました。

まぁ、中学時代はサッカー部だったので、他の筋トレすればよかった気がしないでもないですが、ここで言いたいのは

 「ほんのちょっと負荷をあげるだけでも、継続すれば大きな力になる」

ということです。

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Takashi Suda / かんた
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