私の弱点の1つ「見切りの早さ」
私自身の弱いところだなー…と思う点が都度都度発見はするんですけど、別にいつも覚えているわけではないので、いくつあるのかはわかりません。
箇条書きにするほど覚えてもいません。
でも、たまたま今気づいたものでいうなら
見切りの早さ
があるかな?と思います。
もちろんその早さがメリット(強み)として働くことも多々あります。端的に言えば、得られた情報の中から仮説を加え、判断や決断をするために最短で判断/決断するためのアルゴリズムを構築する早さとも言えます。
時にフライングすることもあるでしょうし、見切り発車で冗長的なコストをかけてしまうことだってありますが、暫定でも仮置きでもとにかくそのスナップショットの中で判断基準を設けておくと自身も周囲も安心するものです。それにそうしたリスクなんて最初から織り込み済でありさえすれば、ミスによる冗長的なコストを最小限にする事だって不可能ではありません。
情報が更新されれば、都度アルゴリズムの影響を受ける範囲を見直せばいいだけで、これをあらかじめ実施しておかないと後手に回ってしまうこともあります。
『戦略』ってそういうものですよね。
杞憂に終わるとわかっていても、事前に策は色々と考えておくし、準備だって何通りも用意します。
たとえば遠足で「雨が降るかも知れないから」と傘を持っていっても実際には雨は降らなかった…からと言って、その懸念をすることが無駄になるわけではありません。あらかじめ様々なシチュエーションに対処する視野の広さを持つということに意味があるのです。
実際に実行し始めてから状況にあわせて具体的な対応を行う引き出しを『戦術』と呼ぶのに対し、行動を起こす前の段階で準備や段取りを決定し、より有利に活動できるようにしておくこと、その引き出しを『戦略』と言います。
もちろん必要十分な情報の収集に余念はありませんが、限られた時間の中で集められる情報にも限界があるので、そうした事情を踏まえたうえで揃った情報から予測や仮説を加え、あらかじめ決断や行動のロジックを構築します。情報が少なければ少ないほどリスクも色々と検討できるわけです。
…というと、聞こえは良くなりますよね。
実際、そういうものですし。
ですが、このように回転を早くする術に長けてくると「諦める」という判断さえもアルゴリズムに組み込むため、とにかく見切ることが早くなってしまいます。もっというなら見限ること…ですかね、早くなるのは。もっと辛抱していれば状況は好転したかもしれないのに「三十六計逃げるに如かず」とばかりに我慢や辛抱もそこそこに諦めます。
自分のためになるのであればまだしも、自分のためにもならないものを他人のためだけに我慢する義理も必要性もありませんしね。
これは自分自身も含め、あまり『人』自体を信用していないという側面もあるのかもしれません。
そしてその見切りは「人間関係」に対して顕著に現れます。
「あー…この人は誠実じゃない」
「本気で一緒にwin-winを目指せそうにない人だ」
と思ってしまったら、実際には特殊な条件下だけでしかそうでなかったとしても見切ってしまい、距離を保とうとします。
良く言えば「君子危うきに近寄らず」。
悪く言えば「我慢強くない」のかもしれません。
しかし当然ながらそう思わせる"何か"があるからそう思うわけで、私の見切りの早さが悪いというより、根本的にはそう思わせるきっかけを作った相手にこそ問題がある…と私自身は考えているので、それを一方的に耐えてやろうなんてさらさら考えていませんし改善する気もありませんが、だからこそ一生弱点足りえるんだろうなー…と思ってしまうわけですが。
やはり一番求めるのは「素直さ」
もし、私がプロジェクトマネージャーのようなマネジメントを行う立場であればメンバーに就く方たちには能力が多少低くても良いので、とにかく「素直」「誠実」な人を要求してしまいます。ある意味で難易度が高いかもしれませんが。
逆にプライドばかりで実績が伴っていない人を見かけると、そこに素直さすら感じなければ
「あー…もう絶対関わりたくない」
「なにかあっても助けたくない」
って思ってしまいます。極めて利己的な人も苦手です(自分中心主義とはまた異なります)。組織として活動するには不向きで、同じチームや組織の同僚、メンバーに迷惑がかかりやすいから…と、私の中では結論付けているからです。
能力は一人ひとり見ながら、育成等のスケジュールを組めばいくらでも育成しますし、適切な業務分配も行えます。これは今までのマネジメント人生の中で自社の新人、他社の新人、顧客の新人問わず、多くの新人や若手を組み込んでプロジェクトを推進してきた経験があるからかもしれません。プロジェクトの中盤以降、それなりに成長した新人や若年層を見ると嬉しくなるものです。自分の自信にもつながりますしね。
もちろん常に育成が上手というわけではなく、自分も仕事を抱える中で非常に多忙な時は面倒見切れていなかったり、苦労をかけることもあったりしていますがそれでも当人たちに自信をつけさせる程度には、そして人柄はともかく冷静にビジネスのパートナーとして信頼される程度には成長してもらってきた人が多かった…気はしています。自分の目が曇っていなければ(:3_ヽ)_
そんな感じで日頃から「人」というものを見ていますが、どんなに能力が高くても、どんなに社会的に地位が高くても、どんなに周囲の評価が高くても、私から見てTeam+Workを乱すほど性質が特殊な人はメンバー全員のベクトルを揃えるという観点からも邪魔にしかなりません。他人から見た評価で物事の成否が決まるわけではありませんしね。
ちなみにベクトルというのは精神的な方向性の問題ではなく、チーム活動ならではの強みを最大限発揮するための仕組みとしてのベクトルです。別に同じ価値観を求めているわけではありませんし、同じ考え方を求めているわけでもありません。
たとえば、私の中のベクトルを示す指標の1つに
『ルールや基準、手順を遵守する』
というのがあります。もちろんルールや基準、手順が絶対正義で黒いものでも「白」と言ったら白になる…と言う横暴なものではなく、誤りがあったり、より良い方法があったりすればどんどん改善すればいいと思っています。ルールや基準、手順にこだわるつもりは毛頭ありませんし、変えた方がTeam+Workにより良いのであれば現状のルールや基準、手順にこだわる必要性はまったく無いと思っています。より良い方法があるのに既存にこだわるのはむしろ社会悪ですから。
ですが、それは個々人が好き勝手に実施すればいいというものではありません。チームや組織である以上、烏合の衆にする気はありません。それはチームや組織を組む根本的な目的から外れます。チームのパフォーマンスを最大値化する阻害要因となるような振る舞いはどんなに内容が良いものであっても認められません。
改善したいのであれば
正しく手続きを踏む
等、チームや組織のパフォーマンスを最大値化するための手順や段取りを経て行えばいいだけです。個人の勝手な判断に任せることを良しとするのは、もうすでにチームや組織として成立していないと言っていいでしょう。
ただ「チーム(組織)のために」というたったそれだけのことができない人というのは少なくともその居場所を用意できるような業務でもない限り、私の周りには必要ないと思っています。そういう価値観に合致してくれる人がイイナー…と。
逆に言えば業務次第では個人主義的な人であっても居場所は用意されるべきですし、むしろそういった人たちのパフォーマンスを最大値化できないのであれば、それは私の能力がただただ低かった…ということに他なりません。
見切る早さと判断の早さは紙一重
何をするにも判断が早い。
(早く判断できるように日頃から常にアルゴリズムを構築しておく)
だから、時として見切る(見限る)のも早くなります。
判断の早さと見切りの早さは厳密には同じモノではありませんが、時として同じような働きをすることがあり、その時に「見切り」要素が強く発現するとそれが弱みになっているんだろうな、とは思います。
そしてそれは時として強みにもなりえますが、時として弱みになることも多々あるのかな…と思っています。まぁそれすらも「それによって失敗した時には」
諦める。反省はしても後悔しない。固執しない。
頭も気持ちも早々に切り替える。引きずらない。
次(先)をどうすればいいかだけ考える。
どれだけスタートダッシュできるかを考える。
と、今のうちから決めています。これも判断を早くするためのアルゴリズム構築ですね。そうなってから考えたりはしません。それでは初動が遅くなります。そしてそのアルゴリズムでさえ気づくたびに何度も点検し、何度も修正します。
一生使わないアルゴリズムかも知れませんし、頻繁に使うアルゴリズムかも知れませんが、そもそもリスクなんてものはしっかりと対策を準備しておきつつも実際には杞憂に終わるのがリスクマネジメントとして一番いいわけですから別に杞憂に終わるからと言って無意味とは考えません。
こうすることによって弱みとなった時でさえ、同じ特性を強みとして活かし、帳消しにすれば弱みは弱み足りえなくなると思っていますから。
それもまた自身の弱みを素直に受け入れたうえで『次』を考えるからこそできることなのかもしれませんけど。