「それってどういう意味ですか?」で読めること
討論番組とかでは、いわゆる「揚げ足取り」がつき物です。
議論自体が目的の番組なので、揚げ足取りもエンタメの1つであり、初歩的なテクニックなのですが、中には番組の意図を介さず「揚げ足取りは、やめろ!」とか怒り出す人もいます。
しかし「揚げ足取りそのものに問題があるわけではない」ことは理解しておかなくてはなりません。
そもそも、説明に論理や根拠がきちんと伴っていれば、どんな切り返しにもちゃんと答えられるはずです。そう…ちゃんと準備が整っていれば、どんなツッコミも「揚げ足取り」になんてなるわけがないのです。それが答えられないのであれば、最初の主張自体がそこまで堅固なものではないということです。むしろ「揚げ足取り」されてる時点で、大した論理では無かったと言えるでしょう。
議論云々以前に、前提知識を持たない人に対してきちんと説明できない人というのがたまにいて、それは実はその人自身が『物事の本質をちゃんと理解していない』から、噛み砕いて説明することができないと言うことに気付いていなかったりします。だから揚げ足をとられるような準備しかできていないのです。
きちんと理解していたら、自分が理解しているとおりの根拠を口に出せばいいだけですから、わかっていない人が揚げ足を取りにきても別にイラつく必要はなく、淡々とわかりやすく説明できるはずです。
つまり、揚げ足取りとは、
根拠や論理の伴っていない意見を崩すためのテクニック
であって、問題があるのは「揚げ足を取る」側ではなく、「揚げ足を取られて困る程度の根拠しか持ち合わせていない」側にあるわけです。
けれども、なんとなく「単語」で理解しているだけなのでしょう。前提の説明なしにさらに用語をちりばめて議論を展開するような人がいるわけです。
たとえば、「ビッグデータって何ですか?」と聞かれて、ちゃんと答えられる人というのは案外少ないものです。「大規模なデータを使った単なる統計なんですよ」と言えば済む話なのですが、そう明確に説明できない人がけっこう多いと思います。
「ビッグデータというかっこいい(?)名前だから、
これまでとは決定的に違う何かがある」
というふうに、勝手に誤解しているせいで説明できないのかもしれません。本当は
「ビッグデータといわれるものすごく大量のデータを使うから
いままでの統計より精度が高いというだけで、基本はただの統計です」
「統計学的には必要十分なデータさえ集まれば解析は成立するんですけ ど、そのデータ量を多くして精度を高めたようなものです」
というだけなのですが、意外とその点を理解しておらず、ものすごく高度な技術を使わなければ達成できないと思い込んでいる人も多いようです。その気になればExcel機能でもできることだってあるんですけど。
ですので、あえて相手の理解度を確認するために、自分がわかっている用語でも、たまに「そもそもそれって何ですか?」と、わざと質問する人がいます。もちろん意図には「揚げ足取り」ではなく、ちゃんとわかっている人でも説明のうまいタイプと下手なタイプの人がいるため、その人がどういう説明をするかで、どちらのタイプなのかを見極めたいからと言うこともあるのでしょう。
たとえば、理系で説明が下手な人の場合は、おそらく頭の中では「式」や「コード」(記号や符号)で理解していたとしても、言葉に変換して説明するのが苦手なタイプかも知れません。言葉というのは人によって解釈が違うので、その人の中には自分なりの定義があったりします。
たとえば、「あの人、どんな人ですか?」と聞いたとします。すると「地頭がいい」という答えが返ってきた……。そうしたら
「『地頭がいい』と『頭がいい』は、どう違うんですか?」
などと確かめない限り、その人がどういう意味で「地頭」と言う単語を使っているのか、本当はよくわからないはずです。ということは、そもそも知りたかった「どんな人?」の答えも聞けたことにならないわけです。
いいのが"頭"ではなく、"地頭"と言ったからには、その違いに必ず意味があるはずです。こうしたやり取りは「確認作業」であって、決して揚げ足取りではありません。もっと言えば、「そもそも頭がいいって、どういう意味で使っているんですか?」と確認しないと、論理的な議論を展開できないはずなのです。
たとえば、私は「知識」が豊富な人と、「知恵」が豊かな人、あるいはその両方を持ち合わせている人というのは、明確に切り分けています。どれもこれも「頭がいい」の一言で済ませることはありません。
しかし、こうした確認作業を怠って、表現する側と読解する側で勝手に自分の解釈の中で納得してしまって、お互いのコミュニケーションに齟齬があったのかなかったのか、気にする人は決して多くないのが実情です。
お客さまとのやり取りの中で起こす"コミュニケーション不良"の大半は、こうした「確認をしない自己満足/自己完結」によって発生しています。
プライベートでさほど細かい確認をする必要のない時は、ふわっとした言葉はふわっと聞き流していればいいのでしょう。私も、どうでもいいときにはそうしています。けれども、いざビジネスとなったら、
「先ほどおっしゃった〇〇と言うのは、
△△と言う解釈でよろしいですね?」
「具体的にはどういったことが挙げられますか?」
「それって、私共にもわかりやすく言うと、どういうことですか?」
と言って、自分なりの解釈が正しいかどうかを別の側面から、より具体的に落とし込んで確認します。私と関わって仕事をする人であれば
「要するに、〇〇ってこと?」
「たとえば、〇〇するときには、△△をしなければならないってこと?」
「たとえば、■■を例に挙げると、▲▲をするのと同じような意味?」
なんて会話を頻繁に使っているのを見る機会があるかも知れません。
また、いざ議論となったら、
「なんで、いま言葉を使い分けたんですか?」
「その言葉とこの言葉の差は何ですか?」
といったことを、けっこう突っ込んだりするわけです。わかった"フリ"をして後で失敗したり、揉め事を起こしたりしたくないので、明確にするための努力は決して惜しみません。…適当な言葉しか発していない人や、勢いや感情に任せて発言する人にとっては、私は相当厄介な相手に見えるでしょう。
たいていの人は「面倒くさい」と思っているためにいちいち確かめないのですが、ことビジネスとなれば、多くの人が人生を消費して稼いできたお金を、あるいは人生を、おいそれと失敗して浪費するわけにはいきません。
そういう覚悟と背水の陣を以って、常に仕事にあたっていると思えば、そういう確認作業がまったく苦にならないのです。
ビジネスシーンでは、特にこうした言葉の確認作業というのはけっこう大事です。たとえば、何か売り込みにきた営業マンが自社について説明しているときに、「われわれはこういうことをやっていて……」と言っていたのが、突然「私はこういうことをやろうとしていて……」と、ふわっと主語を変える人がいます。
たまたま言い間違えただけというのもあるのですが、そういう場合、会社の方針に反するような自分の思惑を話していることもあるわけです。
実は、人間の言い間違いは、無意識が言葉に出ている場合があります。
そのため、「あれ? なんでいま、主語を『われわれ』から『私』に変えたんですか?」と突っ込んでみたりすると、「いま言ったことは、会社はまだ認めていないのですが……」といったことがわかったりするわけです。
こちらは「どういう会社か知りたい」と思って説明を聞いているのに、単なる個人の思惑をその会社の方針と誤解してしまったら、その会社と取引するかしないかの判断も間違えてしまう…といったことに繋がってしまいかねないので、ビジネスシーンでは、案外「揚げ足取り」と言う名の確認作業が重要になってくるのです。
こうしたことは、ソフトウェア開発の中では
見積り時の交渉において取引先の話す内容
仕様を提供いただく時に取引先の持ち込む内容
と言ったところで主に効果を発揮します。そもそも、「見積り」時点で踏み出す足を大きく間違えると、後々のプロジェクト活動に大きな支障を残しかねません。
契約前の"見積り"作業や、開発工程の超上流にあたる"要件定義"工程での折衝、そして取引先との間で常に行われる"スケジュール管理や調整"などでは、自分の認識が相手の認識や思惑と一致しているか、確認しておかないと、あとで手痛いしっぺ返しを食らうかもしれないのです。