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IT業界の"軍師"と言えば

ビジネスの世界では日々、企業による戦いが繰り広げられています。誰と戦っているのか…うーん、市場の変化や濁流とですかね。少なくとも、顧客と戦っているわけではありません。

これを戦国時代になぞらえると、組織を守り、組織に目的を与え、組織の活動する方向性を示し、象徴となる経営者が『君主』、総務や経理、人事などの間接部門は『内政官』、販促や広報、営業などは『外交官』、生産部門の長は『将軍』…でしょうか。また、個々のプロジェクトは任務を遂行する単位上の軍隊に相当すると考えると、プロジェクトに対する責任と権限を持つマネージャーは、一軍を率いる『武将/将校』と言えるでしょう(品保はなんなんだろうなぁ…補給でもないし…監理?)。

あくまで持論ですが、そうやって考えていくと、プロジェクトの成否を決める戦略を練る素地をつくり、戦術的なアドバイスの行えるアーキテクトは『軍師』という位置づけになります。企業に1人ではなく、プロジェクトごとに1人~数人、あるいは複数プロジェクトに1人~数人配置されるのが一般的です。ただまぁ、日本国内でアーキテクトを抱えているIT企業がどれだけあるのかは疑問ですが…。

今所属している会社では、残念なことにアーキテクトがいません。以前、形だけの役職は存在していたのですが、一部の理解が伴わない管理職や経営層の判断で、「アーキテクトって何する人なの?」「いらなくね?」と言って、数年前に排斥されました。

だから、エンジニア、あるいはリーダー/マネージャーが過去の経験…主に成功体験から、なんとなくシステムを構築しています。前に成功したシステムと、次に作るシステムのアーキテクチャが全く同じであればいいかどうか?なんておそらく考えていません。

 「前はこれでうまくいったから、次もこれで行こう」

と考えていると思います。ですから、ほんの少しでも顧客の事情や背景、特性が異なっていたりすると、言語選定からインフラ構成、各工程の進め方やリスクに対する検討、信頼性設計の細部に至るまで、色々なところに歪みが出てきて、大きく信用を損ねることになります。


軍師は、戦況を見極めて武将に作戦とその実施方法を進言します。
それらは、勝敗を決する重要なものです。

アーキテクトが考えるアーキテクチャ(戦略)とその実現方法(戦術)は、プロジェクト全体の成否を決める決定打にもなります。最先端の技術を扱うアーキテクトを戦国時代の軍師に例えるのは違和感があるかもしれませんが、戦国時代の戦は、常に当時の最先端技術を駆使した総力戦であり、軍師の描いた軍略の良し悪しと武将の決断力、リーダーシップによって勝敗が決まる点などは、ITプロジェクトと似ている面が多いのも事実ではないかと思います。

それでは、「一流の軍師」とはどのような存在なのか、身近な例で考えてみると、2009年に放映されていたNHKの大河ドラマ『天地人』は、上杉景勝の軍師として知られる直江兼続が主役でした。

また、2007年に放映された『風林火山』の主役は、武田信玄の軍師として有名な山本勘助でした。

私の好きな中国の三国志(180 - 280年頃)には多くの軍師が入り乱れていました。一番好きだったのは、郭嘉徐庶だったかもしれません。日本の軍師なら、羽柴秀吉旗下の竹中半兵衛でしょうか。

歴史上の偉人・傑物たちを影で支えた彼らのすごさは、その才能もさることながら、自らの信じた道を貫き通す信念の強さと実行力にありました。

直江兼続は「義」という信念を貫いたことで知られており、山本勘助は武田信玄に仕えることに自身の存在意義を見いだしていたといいます。竹中半兵衛は、当時の主君・斎藤龍興を諌めるため難攻不落と言われた稲葉山城をたった16人で占領したと言われています。

彼らは、幾多の苦難に見舞われながらも、それらを乗り越えてきました。
そのパワーの源には、軍略に長けていると言うだけでなく、

 「調整力」
 「情報管理能力」
 「強い信念を貰き通す力」

といった高い人間力がバランスよく兼ね備えられていたことがうかがえます。そして、そのうちのどれか1つでも欠けていると、このように後世に残るようなことはなかったのでしょう。

戦国時代、一流の軍師が持っていた『人間力』は、現代風に言えば「仕事力」を意味します。

 「調整力」は「コミュニケ一ションカ」
 「情報管理能力」は「マネジメント力」
 「強い信念を貫き通す力」は「突破力」

と言いかえられます。いずれも世の中では確立されている方法論があり、いまや個人能力や才能に依存することなく、やる気きえあれば誰にでも高められるスキルとなっています。つまり、後天的に身につけられる能力ということです。

たまに「アイツには向いてない」なんて話を聞くことがありますが、これらの能力に向き/不向きは関係ありません。必要なのは、習慣化する努力と信念だけです。もちろん修得するまでの期間には差が出るかもしれませんが、誰でも修得できるスキルであることは間違いありません。

なぜか?

それは、こうしたスキルに対して、ある程度のHowTo本が出ているからです。HowTo本が出せるということは

 ・言語化が可能であるということ
 ・体系的にまとめることが可能ということ

です。IT業界的に言えば、アルゴリズム化が可能と言うことです。学校の教科書、あるいはマクドナルドのバイトのためのマニュアルと同様、分厚い文書かもしれませんが、読み解き、その通りに実践すれば、同じ結果が出せるということです。

もちろん、使いどころを誤ったり、必要な条件を満たしていなければ、期待する効果は出ないかもしれませんが、そういった見極める能力はいくばくかの経験則もあわせて必要になってきますので、結局のところ、成功・失敗を積み重ねながらも、実践で活かしつつ学んでいかなければならない点があることは否めません。

本などに書いてあるのは、大抵の場合「使いどころ」が誤っていないときに、具体的にどうすればいいか、と言う点だけですしね。シチュエーションなんて世の中に無限に存在しますから、全てを書ききることなんて不可能なんです。よくある事例を載せることができても、それが全てになることはありません。


アーキテクトになるなら

当然、どんな一流の軍師にも若い時代はあり、初めは人間力(仕事力)が低いものです。人より多くの試行錯誤を繰り返し、多くの失敗と多くの成功を経験し、その中から学ぶことでスキルを高め、成長したのです。

実際、あの徳川家康でさえ、若いころ、武田信玄が領国へ攻め込んできた際に家臣の反対を押し切り、打って出て、三方ヶ原で大敗した経験を持っています。三国志の曹操も、赤壁の戦いで大敗を喫しました。

とは言え、「学ぶために失敗しよう」というのでは本末転倒です。「失敗」はしようと思ってするのではなく、すまいと思ってもせざるを得ない時に、いかに活かそうとするかが大事なポイントとなってきます。

また、現代の軍師であるアーキテクトと言っても、様々な種類があります。

 ハードウェアアーキテクト
 ソフトウェアアーキテクト
 ネットワークアーキテクト
 etc.…

あるいはその複合等、多様です。狙いを絞って目指せば、苦労の末にアーキテクトになることは誰でも可能です。なれないのは、途中であきらめた人だけです。

幸い、現代に生きる私たちには、雑誌や書籍、インターネットといった情報源が数多くあり、それらを通じて過去の出来事や一流の人たちが通ってきた道のりをたどることができます。

そうした情報をただ読むのではなく、

 「自分ならどうしただろう」
 「これからの自分はどうすべきだろう」

と自問自答することで、多くの学びが得られます。ここでも、模倣に始まり、本歌取をすることで、一人前になっていくのだと私は断言したいと思います。

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Takashi Suda / かんた
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