会議に集めるべき人材や条件
今日の午前中、こんなお話をみかけました。
いつの頃の話…というのは置いといて、3回も転職していると、こういうこともやっぱり経験してしまいます。以前いた会社がこんな感じでした。
なぜそんな状況に陥るのか自分なりに分析してみると、
・数値目標以外の評価指標が無く、部署間で競わせる
→自ずとチームや部署を超えた協力意識がなくなる
・お気に入り人事ばかりする
→酒が飲めて、イエスマンだけが出世する
という背景がありました。数値目標だけに焦点を当て、数値目標の達成/未達成だけですべての評価が決まってしまうと、昨今言われているような「成果主義」とは異なり、ただの「ノルマ主義」へと陥ってしまいます。そうなってしまうと、とにかく皆一人ひとり自分の生活がかかっているので、『他人を蹴落としてでも』自分をよく見せようと躍起になります。また、自分の成功ノウハウを他人に教えるなんてことはしないでしょうし、当然、部下等の育成もするわけがありません。そんなことをしたら、自分の数値をあげる時間が減るだけですし、ノウハウが盗まれれば抜かれてしまう可能性だって出てきます。そんな環境では、誰もが個人主義に走り、協力関係を築こうとする意識が芽生えるわけがありません。
しかも、部署ごとに数値さえ達成していれば、その内訳として「誰が」どれだけ貢献したかなんて経営層は気にも留めません。実際には部下たちが自主的に努力したために数値目標を達成し、その部門の長は何もせず、ただ遊びまわっていただけだとしても、とにかく酒の席に付き合って、経営層を楽しませおきさえすれば、勝手に出世できてしまいます。
これは私が過去にいた環境がそうだったというだけで、これが絶対条件というわけではありません。企業や組織によっては全く異なる条件でそうなってしまうところもあるでしょう。
全ての仕事が「部署」という括りの中で活動できるものばかりであれば、上記のような条件でも、とりあえずはなんとかなった…のかもしれません。しかし、全社的な取り組み、あるいはロケーションごとの取り組みなどが必要な場合はどうでしょう。
上記のような形で、どんどん出世していく人たちは、自部署のことすらろくに何もできていなかったわけですから、全社的な取り組みなんて言われてもまともな発想、発言が出てくる…というのは、普通に考えれば期待できませんよね。
たとえば、「総務部門」「経理部門」や「情報システム部門」、他には「人事部門」なんてのは、特定の部署のためだけに活動するということがありません。私が前職に就いていた、「品質保証部門」も基本的には同じですね。
ある部署のためだけのルールや手順なんて作ってしまおうものなら、おそらくは他の部署から猛クレームを受けてしまうことになりかねません。というかそれ以前に、企業活動のあちこちに支障が出ていると思います。
かと言って、「生産部門」や「営業部門」は基本的に自部署の目標達成のためだけに活動する部門なので、全社的な取り組みなんてなかなか考えませんし、そもそも知る機会すら少ないかもしれません。実際にどうでしょうか。生産部門や営業部門で活動している方は、会社全体、全部署がどのような活動をしていて、どんな業務フローでつながっているかご存じですか?
こういった場合、よりヒエラルキー型組織における上位、すなわち経営層が舵取りをすることが多々あります。あるいは、企業活動や事業を俯瞰してみることのできる人材だけが集められることになるでしょう。
ですが、経営層と言えば、基本的に実務から長年離れているせいで能力が不足しており、陣頭指揮が取れないどころか、「自分では何一つ決められない」という事態が起きます。すべての説明、資料、準備が整い、「GO」か「NO GO」だけ決定できればいいような状態にまでもっていかないと、何もすることができない…という企業も多いでしょう。
もちろん、そうでないまっとうな企業も世の中にはあるのでしょうが、おそらく過半数がまっとうではない企業なのではないでしょうか。
たとえば「天下り人事」
たとえば「身内人事」
たとえば「お気に入り人事」 etc.…
こういった実力や実績とは無関係な人事によって、無理やり経営層やそれに近い立場に引き上げられたりすると、当然「何をしたらいいのか」「何を決めたらいいのか」考えることもできませんし、判断することもできない…という人が増えます。世代が変わってそういう人たちが強い権力を持つようになると、次の世代の経営層を決める判断すらまともに機能せず、悪意があったり、自分さえ良ければいいという思想を持っている人が就いてしまったりすると、徐々に私物化が始まり、企業体が衰退していきます。
私が以前いた会社でも同じようなことがありました。
実力や実績があっても、気に入られなければ昇格しない。
↓
でも、実際に何かしようと思ったら、実力のある人に任せるしかない。
↓
実力のある人に丸投げするけど、職権が低いゆえに決定ができない。
↓
かと言って丸投げした役員では、実力が無さ過ぎて一人で決められない。
↓
仕方がないから、多くの役職者をかき集めて委員会にする。
↓
でも、皆自分、自部署のことしか考えていないので、ついていけない。
でも、皆野心が強すぎて、他人の足を引っ張ることしか考えてない。
そして、適切な判断を行う組織どころか、判断や決断を遅らせ、行動に移さず遅延させ、うやむやにさせるように動くわけです。「会議に参加しない」「会議では発言しない」「とにかく反対しか言わない」「アクションプランを定義しても動かない」「無視をするし、しても咎められない」etc.…本当にひどい組織だったと思います。
結果、丸投げされた職権の低い者はなんとか成功させようと活動しても、タスク自体が彼らマターになった時点ですべて空中分解してしまって、
・まともに活動できず、自然消滅し、「失敗」という結果だけが残る
・職権の低い者が1人ですべてやって、「成功」は全員の成果とする
のいずれかにしかなっていませんでした。こんなことのために委員会という名のチームなんて作っても、意味はありませんよね。
「皆で協議する」というのは、
協議できるだけの知識や知恵を持ち、
協議する意思があり、
協議する目的に賛同したものだけが集まる
から前進できるのであって、
協議できるだけの知識や知恵を持ち合わせず、
協議する意思もなく、
協議する目的に賛同できないものが集まって
良いようなものではありません。そんな人たちが集まっても、目的を達成することは絶対にできないのです。私が会議体を嫌う理由の50%はこれが原因かもしれません。
協議を行う場…すなわち「会議体」というのは、とにかく人を集めさえすれば何事も前進するわけではありません。先述の通り
・協議できるだけの知識/知恵を持ち合わせている
・協議対象となっている課題や問題の解決に向けて前進させる意思がある
・協議することの目的に賛同できる
といった者たち以外は必ず足枷になります。特に「ブレインストーミング(ブレスト)形式」の会議や、「評価・レビュー形式」となる会議では、邪魔にです。
また、こうした条件を満たす人材をそろえるだけでなく、そういった条件を満たさせるために会議体を開く立場の人は「目的」「目標」を明確にする必要もあります。いわゆるアジェンダ(会議で論ずる議題事項)ですね。
あらかじめ配っておくことで、話す内容を整理させておくことができますし、主催者の意図しない発言をある程度抑制することも可能です。また、実際に会議の場でも話が脱線しにくくなります。個人的には、アジェンダのない会議には参加したくない(参加する価値が無い)とさえ思っているほど重要なものです。
以前いた会社では、自分では何一つできない、決められないからなのか、あるいは次世代に「協力し合ってほしい」「そういう全社的な取り組みにも目を向けてほしい」という思いがあってのことなのか、とにかく人を集めさえすればいいと思っている役員に一番問題があったのかもしれませんが、それでは何一つ前に進まない…ということは確実に証明されました。
私なりに色々と苦労し、ストレスのたまる職場ではありましたが、「実証された」という経験を積んだことは、私自身にとってはまた1つ勉強になったので、悪いことばかりでは無かったな…と思っています。
そうやって足を引っ張ることしかできない人達をかき集めても、物事は進まない…だけでなく、より悪い方向へ進んでしまう可能性があることも、人事権を持つ者は理解しておかなければなりません。
「協議」するときには、そういったこともしっかり考慮に入れて人選したいものですね。