コミュニケーションは重要
人と人との協力と協調こそが、社会を作り上げるものであり、意思疎通を以って初めて組織的な活動ができるものである以上、当然ながらビジネスにおいても必須となるスキルです。
世の中で起きる問題の多くが
コミュニケーション不良
に起きているのは、決して今に始まったことではありません。しかし、本当に怖いのはこれが一部の企業や業界内だけの問題にとどまらず、今や社会問題として非常に深刻なレベルにまで来ている点にあります。
そしてコミュニケーション不良は若者だけに限った問題ではありません。先ほど「社会問題」と言ったように、年齢に関係なく社会全体がそのようになりつつあることが問題なのです。
多くの企業において新人教育でも取り上げられてきた「コミュニケーション」関連にかかる育成ですが、残念ながら新人教育期間が過ぎ、OJTに慣れた頃にはどうしても風化してしまいます。これはその昔、新人教育自体を受ける機会が与えられなかったり、実践で誰からも適切な教えを受けてこなかったりした、現在の先輩・上司社員側に原因があります。
後述しますが、コミュニケーション不良が起きるのは、教育や指導の不足あるいはその質の不足が主な原因です。決して「人」のせいではありません。景気低迷、および鈍化に伴い、教育にまで投資できない時代が長く続いたためです。
IT業界であれば、プログラミング技術や開発ノウハウだけあれば、ある程度の仕事はできるようになりますし、最低限の原価(自分の食い扶持くらい)は稼いでこられるかもしれません。それだけに、管理職たちはすぐにプログラミング技術だけを修得させたがってしまい、そのあとの成長は個人の資質や啓蒙に任せきりになります。だから、多くの企業で「リーダー不足」「エンジニア不足」と言って嘆かれているのです。
このままでは、正しいコミュニケーション能力を身につけたIT系ビジネスマンはほんの一握りになってしまいかねません。
コミュニケーション不良の定義
まずコミュニケーション不良そのものの定義から始めましょう。「コミュニケーション不良」と聞いて、まず何が浮かぶでしょうか。大抵の人は”話す能力の欠如”を挙げるかもしれません。
「本当にそれだけでしょうか?」
そう聞くと、次に挙がるのは”聞く能力の欠如”でしょう。これも間違いではありませんが、もしそう思っているのだとすると、みなさんはコミュニケーション不良の根本的な部分が見えていないのかもしれません。ここでは、コミュニケーション不良の原因を聞いているのではなく、コミュニケーション不良の定義そのものを問いにしています。ゆえに、コミュニケーション不良とは
聞き手と話し手の間で"情報が共有できない"
状態を指すものだと改めて認識しましょう。話すのも、書くのも、見せるのも、聞くのも、読むのも、見るのも、それらコミュニケーションを成立させるための一手段でしかありません。コミュニケーションの本質は、複数人の間で"同じ情報"を共有することにあります。
つまり、「互いに同じ情報を持ち得ているかどうか」が重要なのであって、「話し方が下手である」や「語彙力が足りない」と言うのは直接的な原因にはなりません。なぜなら、どんなに拙くても、どんなに下手でも、どんなにボキャブラリが少なくても、結果として伝えるべきことが伝わりさえすれば、情報の共有は可能なのですから。
もちろん、最終的に伝わると言っても、伝わりにくくなる…と言う副次的な弊害がついてくるのは言うまでもありません。
コミュニケーション不良の原因
さて、コミュニケーション不良の定義が予想以上にシンプルにできたのではないでしょうか。しかし、ここまでくればもう解決したも同然です。その原因もすでに2つは挙げられています。
・話す能力の欠如
・聞く能力の欠如
確かにこれらは非常に重要です。経済産業省が提唱している『社会人基礎力』でも、"発信力"と"傾聴力"と言うコトバで、その重要性が謳われています。
しかし、それよりももっと重要なのが、コミュニケーション不良の根本的な問題点は「共有できない」「共有するためのスキルが不足している」ことです。
これら2つの能力を育む機会が奪われて久しく、既に現時点で不足している人たちは『今』をどう過ごしていけば良いのでしょう。この課題を解決できない以上は、本質的に解決できる…とは言えません。
共有するためのスキル、これは「伝える能力」、「受け取る能力」の複合体と言えます。そう聞くと難しく聞こえるかもしれませんが、要するに自分が頭の中で思い描いているイメージを相手に話して、相手が同じ認識しているかどうかを読み取る、それだけの能力です。
例に挙げてみましょう。
下の図を見てください。
有名な錯覚の絵ですが、これをもとに「これ、どっちかわかるよね!?」と言われて100%自信を持って「わかる!」と言えますか?
花瓶(顔)だと思っていたら、顔(花瓶)だった
と言うことになってしまったりはしないでしょうか。こうした事例が、実際にコミュニケーション不良として、業務上に大きな爪痕残してしまいます。特に
(話す側の)報・連・相の拙さ
+
(聞く側)確認頻度の低さ
+
互いに相手には伝わっていると思っている思い込み
によって生じるスケジュール破綻や品質問題は、非常によくあるトラブル例です。たった一言「顔(花瓶)でいいんだよね?」と再確認するだけで、「そうそう」「ちがうよ」の回答が返ってきて、互いに正しかった(正しくなかった)認識の共有が可能なはずなのに、なんとなく互いに伝わった気がした時点でコミュニケーションを絶ってしまうから、不良が生じてしまうわけです。
そう、報連相の他に大事なのが「確」、確認すると言うターンを設けることです。これだけで多くの"共有"問題が解決します。
重要なのは、共有する能力
共有するための責任と手法は、話し手にも聞き手にもあります。一言で言えば、物事を平面でとらえず、立体でとらえて話す(聞く)と言うことです。先ほどの図例をもう一度考えてみてください。
…これだと、シンメトリ(左右対称)で例にするにはちょっと気持ち悪いですね。では、これが花瓶だと仮定して、次のような図ならどうでしょう。
花瓶らしくなりました。
では「この花瓶を、この図から立体でイメージしてみてください」と言われたらどうでしょう。この図だけ、この方向からだけで全体像がイメージできますでしょうか。そして、相手もこの方向からしか見ていないと言い切れるでしょうか。
結果としてはこういう花瓶だったわけですが、こうした全体像をとらえる視点、全体像を共有する視点というのは1方向から見ていたのでは絶対にわかりません。当然、相手がいて、相手と情報の認識共有を向上するためにも同様です。
ではどうすればいいのか?簡単です。
『別の角度から改めて表現し、相手に再確認すればいい』
のです。これは話す側にとっても、聞く側にとっても、共通のスキルです。美術の世界でいえば、「三点透視図法」と同じです。
立体(三次元の事象)をとらえるのに、1方向からだけでは物事をきちんととらえることはできないのです。最低でも3つの方向から表現する能力、イメージする能力を磨きましょう。
一般的には「多角的に」「客観的に」と言われていると思ってください。
たとえば、要件定義の打合せなどで、
「全ての業務の流れを口頭で説明された」
としましょう(覚えておけるかどうかはここでは問いません)。頭の中で必死に業務の流れをイメージする…にしても限界があると思いませんか?そんな時、「それって要するにこういうことですよね?」と言って
ホワイトボードに絵を描いて例示する
ことで、相手の言っていることを確認すると同時に、相手にとっても自分の説明を「文章」→「絵」と言う別の形で再認識する、いわゆる"答え合わせ"の機会を設けることができたわけです。
ホワイトボードでなくても、紙の切れ端でもなんでもいいのです。落書き程度で問題ありません。頭の中で認識したことをただオウム返しのように口頭で読み合わせるのではなく、相手が表現したものと違う形で表現することに意味があるのです。共有する能力と言うのは、コミュニケーションを成立するための、極めて自然に必要とされる能力なのです。
具体的に「多角的に共有」するとは
これは何も難しいことではありません。
たとえば、コールセンターなどで電話越しに自分自身を名乗るとき、
「やまだたろうです」
と答えただけでは伝わらない場合があります。なぜなら同姓同名の全く別人である可能性があるからです。そのため、
「漢字ではどのようにお書きになりますでしょうか」
とコールセンターの方に聞かれることがあるでしょう。
「山か海かの"やま"と、田んぼの"た"に、ももたろうの"たろう"です」
と言って別表現や例示を交えて説明したりしませんでしょうか。こうすることで、相手にも自分自身が”山田太郎”であることが正確に伝わります。この時、漢字ではどう書くのか
・別の切り口で確認した … 聞き手の共有する力
・一般的に伝わりやすい例示を交えて説明した … 話し手の共有する力
となるわけです。
相手に誤解を与えず、自分の考えていることが相手に100%伝わる表現力は、難しいスキルが必要なのではなく、むしろ難しくない表現を駆使する(使いこなす)ことにある、と言っても過言ではないでしょう。
1つ例を挙げてみましょう。
あなたは、今週の初めに上司からある仕事を言いつけられました。金曜日中には完了するように指示されています。現在は水曜日、全体の3割ほどしか進んでいませんが、先は見えているので、なんとか期日には間に合いそうです。
そんな状況で、上司から「そろそろ、どんな感じだ?」と聞かれたとします。何と答えますか?
A) 「現在30%ほどです。」
B) 「あと2日で完了予定です。」
C) 「〇ページ中、△ページまで終わりました。」
どれを選ぶでしょうか。
ちなみに、この設問において最もやってはいけないのが(A)です。実際、設問に「3割ほど」とは書いていますが、その見込みは元来、自分自身の中にある推定でしかないはずです。ただなんとなく、感覚的に「3割ほど進んだかな?」と思っているだけにすぎず、その根拠も明確ではないため、このあと実は「思ったよりも量が多かった」となってしまって、遅延してしまう可能性もあります。なにより、上司に対して何を以って「3割」と言っているのか、その数値に根拠がありません。
IT業界ではよくあることですが、この「基準の無い指標値」は進捗の闇とも言われており、コミュニケーションを最も阻害する要因の1つとしてもよく挙げられます。
(C)は一見、正確に伝えられてて正しい答えのように見えますが、たとえばもしも"難しい部分"ばかり後回しにしていたとしたら、本当に予定通りに終わりますでしょうか?
定量的なだけの報告は、時に錯覚を生み出します。定量的な情報に絞るからこそ、シンプルでわかりやすくはなりますが、シンプルにされる分、本質的な情報が欠落するというリスクを招くことも多いのです。「結論はシンプルに」と言う説明やセミナーは数多くありますが、必要最低限の情報すら削ってしまっては、コミュニケーション齟齬を産み出しかねません。
定量的に情報をまとめたい場合は、少なくとも定性的に見て、「まったく同質のものである」と分類できたものだけにしなくてはなりません。りんご1個とみかん1個を足しても、「1+1=2」にはならないのです。
逆に、最も上司が期待している報告は(B)です。
そもそも、上司にとっては、「与えた期限内に仕事が終わってほしい(成果を出してほしい)」、と言うのが最も期待していることです。そのために心配になって様子をうかがっているわけですから、(A)や(C)と言った「現状どうであるか?」と言った些末なことはどうでもいいのです。
もちろん、報告の見込みが甘すぎて"嘘"になってしまったり、怒られないようまたは心配されないように意図的に嘘をつくようではいけませんが、本当に相手と認識を共有するためにはどのような情報をどのように提供することが誤認されにくいのか、考えて報告するようにしましょう(そのうえで(B)の根拠として、別の切り口から(C)を添えて報告するのは有用です)。
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