変化に自らの強みを一致させる
この激動の時代、変化することを嫌がる人はおそらく論外です。
安定志向と言えば聞こえはいいですがそれはただの怠慢であり、ただの退化となりかねません。今後生き残っていくことは相当厳しくなっていくでしょう。
AIが前面に立つ時代はもう少し先のことですが、少なくとも現時点で既にAI競争が勃発しているのを見ても、いつ自分の仕事がAIに取って代わられるのかもわかりません。
今、まだAIにとって替わられないものが多いのは、個人的には「データがない」からだと思うんです。人間が経験によって学習し、体系化してきたものがなんでもかんでもデータとして残っているわけではありません。だから、同じことを機械学習させたくても、あらためて良質な学習をさせるためにはどうしても「データ」にする必要がありますが、そのデータが無さ過ぎるためにAIに学習させるにはまだしばらくかかる…だけなんじゃないでしょうか。
逆に言えば、学習材料として必要十分なデータが集まれば、人にとって替われる仕事はグッと増えることでしょう。
「すでに起こっていることは何かとの問いに対する答えが、
企業や産業にとっての可能性を明らかにする。
しかし、その可能性を現実へと転化するには、
自らの強みを、そこにマッチさせることができなければならない」
と、経営学の父 P.F.ドラッカーは言っています。
ですのでまず各企業、各組織、各個人は、我が社、我が組織、自分自身が
・強みとするものは何か
・うまくやっているものは何か
・うまくやれるものは何か
・いかなる強みが競争力につながっているか
を知らなければなりません。強みとは、同僚、他部署よりも自分が優れているもの…しかも思っているだけではダメで、客観的な相対評価で優れているものを明確にし、自覚しなければなりません。
もちろん、モラルに抵触するような方法はこれもまた論外です。
得意かどうかではなく、他社/他者よりも優れている必要があります。
しかも強みを知ることは、既存の強みをいかなる分野で増強すべきかを教えるとともに、新しい強みをいかなる分野で獲得すべきかを教えてくれます。
そのために今日
何をなしうるか
何をなすべきか
ドラッカーはすでに生じた変化に対し、自らの持つ強みをマッチさせることが戦略計画だといっています。それこそが不確実性時代のプランニング(=計画)というものです。
そのとき初めて変化が『リスク』や『脅威』ではなく、『機会』であり『チャンス』となるのです。そうして初めて予期せぬものを自らの優位性に転換することが可能となるのです。
ただし、一つだけ注意すべき「条件」があります。
機会が訪れたときに応えきれるだけの"知識"と"人材"を、常日頃より培っておかなければならないと言うことです。端的に言えば
準備をしておく
ということです。
いざ機会が訪れた時にその機会を掴み取るためには、それ相応の準備が必要です。すなわち経営であれば、未来のための予算を持たなければならないということになります。
ドラッカーはそれが研究開発予算であり、人材育成予算であるといっています。
「未来のための資源を創出し、維持していくには、
毎年の支出の10%から12%を、景気のいかんに関わらず、
恒常的に予算化していかなければならない」
必要に迫られてからでは遅いし、予算が残っているかどうかもわかりません。
機会をモノにすることができるかどうかは、不確実な未来に可能性を見出だし、様々なことを戦略的に準備しておけるかどうかで決まります。特に景気のいい時こそ準備に最も適した時期と言えるでしょう。不景気な時や逼迫した状況ではとても先を見越した準備を行える余裕はないからです。
こうした余念のない根本的な考え方は、地震に対する備えのそれに似ています。
365ぶんの、あるいは730ぶんの、7300ぶんの1の確率かもしれないその震災に備えて、様々な防災器具を平常時に用意しておく様はまさに戦略的準備の鑑です。
これは経営的なマネジメントでも、プロジェクトのマネジメントでも、被害の差に違いがあるだけで大差ありません。
「今まで成功してきたから」
「過去はそれでよかったから」
そんな希薄な根拠にすがることなく常に世の中の変化に合わせられるように、そしてせっかく合わせられるのであれば自分の強みを合わせられるように、
・強みを増やす、または伸ばす
・強みを活かしやすいポジションに就く
・強みを活かしやすい環境に立ち回れる準備をしておく
など、あらかじめ戦略的に準備しておいてはどうでしょうか。いざという時にスタートダッシュできるかどうかは「いざという時になる前にどれだけ準備に注力できるか」、その一点にかかってきます。