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本当の賢者は歴史だけでなく、何からでも学ぶ

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」

という言葉を残したのは、鉄血宰相と呼ばれた19世紀のドイツの政治家オットー・フォン・ビスマルク(1815年 - 1898年)です。

正確には

「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。」

Nur ein Idiot glaubt, aus den eigenen Erfahrungen zu lernen.
Ich ziehe es vor, aus den Erfahrungen anderer zu lernen, um von vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.

と言ったそうです。

しかし、個人的にこれは間違いだと思っています。というか、何かを比較する時、多くの人が相対比較を例に言葉を残していますよね。あるいは話の内容を聞いた一般人が、そういう記録を残しただけかもしれませんが、こういう言い方をしてしまうと、「自らの言葉を正しいとアピールするために、一方を否定する」かのように見えてしまうんですよね。

たしかに、歴史…他人の経験から学び、自らの知識に取り込むのはとても重要なことです。その典型的な効用としては以下があります。


人間の普遍的な本性を知ることができる

たとえば、論理的思考には『帰納法』という考え方があります。

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歴史から「ある狭い一例」を見て学ぶとき、そこからは『可能性』を知ることができます。たった一例であっても、人間がやらかした、あるいはやれる可能性を見出すことができます。逆に、多くの例が散見されたときは、帰納法を用いて高い確実性を得ることができます。そうすれば、歴史を紐解いてまったく同じことをすれば、同じ効果が得られる可能性が高くなるというわけです。

これは、自ら経験をしなくても学ぶことができるとても強い利点と言えるでしょう。


世の中で起きている出来事の背景を知ることができる

自らの経験でも当然、そこに至るまでのプロセスを振り返れば、出来事の背景を事細かに知ることは可能です。ですが、その経験が「失敗」と呼べるものであった場合、わざわざ経験したくないですよね。

ビジネスなどの場合、事業としての大失敗をわざわざ経験しないと、何一つ学ぶことができないようでは困ります。医療や政治などでも同じですよね。

では、自らが携わっている業界、業務、あるいはまったく関係が無くても本質的にはまったく同じものを他人の経験…歴史上の成功や失敗から学ぶとどうでしょう。

たとえば、ある大きなプロジェクトを任されたとします。しかしあなたはそんな大きなプロジェクトを経験するのは初めてで、とても不安でした。そんな時、「いくつかの条件が非常に酷似しているプロジェクトで成功を収めた事例がある」という噂を聞きつけたら、詳しく内容を聞きたくありませんか?

それは、他人の経験のイロハを知ることで、成功までのプロセス…つまり『出来事の背景』を知ろうとしているということです。そうすることで、自身にとって未経験なことであっても、まるで経験をしたかのように様々なノウハウを学ぶことが可能になるのです。


同じ失敗を避けるヒントを得ることができる

もちろん、自分の経験からでも同じことはできます。でもできれば経験したくありませんよね。単純にPDCAしていれば解決できることであっても、過去の歴史において、あるいは身近な周囲ですでに起きている失敗であれば、自分の経験であるかのようにその知識を吸収すれば、「なにを」「どのように」改善すれば解決できるのか、発生防止できるのかが検討できます。

たとえば、初めて車を購入したとしましょう。

世の中には「車を購入した」人はたくさんいます。そんな先達の中には、車上荒らしや盗難などを経験した人がたくさんいます。中にはそのせいでローンを何百万、何千万と抱えた人もいると言われています。

自身はそういった経験をしたことがなかったとしても、そんな話を聞いてしまったら

 「保険に入っておこうかな」
 「盗難防止の機能をオプションで実装しておこうかな」
 「駐車場は監視カメラが付いてるところにしようかな」

といった発想や選択肢が思い浮かぶことでしょう。他人の経験が自身の検討のヒントになっているというわけです。


未来に対する感性や洞察力を高められる

いわゆる「マネジメント」の感性です。成功するための感性であれば、言い換えると計画実現性と呼べるのかもしれません。失敗しないための感性であれば、リスクマネジメントと呼んでみるといいのかもしれません。

未来を語る時、自らの経験からだけでは予測がつかないことは多々あると思います。人一人が経験できる「量」なんてたかが知れていますからね。そこで重要なのが、他人の経験を知識として学ぶということです。

本を多く読む人に、センスや感性が磨かれている人が多いのはそのためです。だから、優れた人の多くは「本を読む」し、「本を読め」という人が多いですよね。本を読むことが習慣化している人で有名な人もたくさんいます。たとえば、Microsoftを作ったビル・ゲイツ。史上最強の投資家と呼ばれるウォーレン・バフェット。バラク・オバマ元大統領も、どんなに多忙でも1日1時間はど

最も優れた政治家の1人とも言われていたベンジャミン・フランクリンも「知識への投資が、最も利回りが高い」という言葉を残しています。

もちろん、情報源は「本」だけである必要はなく、ネットで情報を仕入れるでもいいでしょうし、他人と情報を交換するのでもいいでしょう。ですが、やはり「本(電子書籍を含む)」が今のところは最も優れた情報媒体であることは間違いないと思います。


歴史から学び取るためには

これらは、自分の経験や身近な先輩、上司の体験談からだけでは絶対に学べません。やはりしっかり歴史と向き合い、人間に対する洞察を深めることは大事です。

なお、「歴史は勝者がつくる」の言葉もある通り、どのような歴史書であっても、その見方には必ず偏りがあります。だからこそ、1つの歴史観にとらわれず、バランスよく国内外の時事や書籍に目を通すことが有効です。

国にフォーカスしたものと、出来事(事件)や個人にフォーカスしたものの
バランスも意識するとよいでしょう。

また、歴史に学ぶことは大事ですが、全く同じ歴史が繰り返されることはないという限界も理解しましょう。

たとえば、人類の繁栄は常に技術開発とともにありました。

一時的には抵抗を受けた技術(織機、自動車、人工授精など)も結局は受け入れられ、多くの人々に恩恵を与えました。しかし、現在取り組まれているゲノム(遺伝子)編集や、シンギュラリティ(人工知能が人間の能力を超えること)に向かって邁進するAIの進化が、過去とは異質の問題を起こさないとは限りません。

歴史にヒントを得つつも、ただそれを妄執するのではなく、常に"自分の頭で考え抜く"知性こそが最終的には最も大事になってくると思います。


でも、歴史にこだわる必要はない

ですが、私はさらに一歩踏み込んで思うんです。

たしかに、未経験の「未来」に対しては歴史から学べることは多く、経験から学べることなんてたかが知れています。ですが、まったく学べないわけではありません。ならば、「経験からも学べばいいじゃない」と。

先ほどの帰納法の図にも書いていますが、具体的事実情報から「抽象化」することが帰納法のいいところです。そうすると、まったく同じではない経験であっても、他に転用できることはたくさんあります。

 経験A「料理を作る時、あらかじめレシピとかはっきりしていると、
     成功確率が高かったなぁ」
 経験B「子供の頃、プラモデルを作る際に、説明書の通りにやると、
     失敗する確率は圧倒的に少なかったなぁ」
 経験C「予習をしないより、した方が勉強ははかどったし、
     勉強がはかどればテストの点数って高かったなぁ」

これらの経験から、

 <抽象的結論>
  あらかじめ成功するための基準や手順が決められているか、
  あるいは自分で決めておくと、成功率は格段に向上するらしい

という仮説が成り立ちます。

これは別に歴史から学ばなくても、自らの経験で十分活かせるはずです。そこまでできれば「あ、そういえもあの時も…」「こういうこともあったなぁ」ともっといろいろ過去の経験から検証できるシーンが思い浮かぶはずです。

歴史に学ぶことは当然重要ですが、それにしか学ばないことは決して賢明ではありません。真の賢者であれば両方からバランスよく学ぶはずで、一方のみを選択すると言うことはないはずです。なぜなら「経験からだって学べることがあるはず」と高邁になることなく、貪欲に修得する意思があるからこそ賢者足りえるわけですから。

自分の経験も糧にするし、他人の経験も糧にする。
それこそが本当の意味での賢者であると私は考えます。


まぁ、こうした考え方はビスマルクを否定したいというわけでもありませんし、マウントを取りたいというわけではありません(そういう考え方だと解釈しがちな人が現代には多いかもしれませんが)。

私の学習の本質が「本歌取り」にあるだけなのです。

今までそれが「正しい」と思われてきたものに対して、そこにアレンジを加えもう一歩先に進む…。まったくのゼロから新しいことをひらめき生み出すことは難しくても、既に作られたものに対してアレンジを加えてみるのはさほど難しいことではありません。

ほんのちょっと固定観念を取り外すだけのことです。

たとえば、「カツオのタタキにはしょうが醤油が一番!」と言ってた人に対して、「マヨネーズも旨くね?」と言ってみるようなものです。

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物事の考え方に対して「正解」は1つではありません。物事をより良くする方法も無限にあるでしょうし、別のアプローチの正解だって存在していいはずです。

こういう考え方は「現状」を進歩させるためには不可欠です。

「今」で足踏みすることなく、「現状」に甘えて鎮座するのではなく、常に変化を求め、常に"より良い"を求めていれば自然とこういう発想になっていくはずなのです。

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