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下請け根性からの脱却

IT業界…だけに限った話ではないのでしょうけど、受託(請負・委任・準委任)契約の問題は下請けとセットで扱われることが多く、そうした問題の渦中にある受注側の姿勢のあり方について指摘されることに、よく「下請け根性」と言われるものがあります。

その昔、「IT土方」とも言われるほど、この業界は根性論や精神論が横行していました。

私も、身長171cmありますが、体重が48kgまで減った時期があります。社会人2年目の当時、別の会社が起こしたあるトラブルプロジェクトの対策のために、2年近くの長期出張扱いで、軟禁のような生活が続いていました。深夜3時に「今すぐ来て!」と言われて、(厳密には始発で)仙台から大阪に飛んで行ったまま軟禁状態にされたので、服などは現地調達していましたが、さすがにサイズが合わなくて、古着屋で女性もののシャツやデニムを買っていましたよ。ボタンが上手くとめられなかったことを未だに覚えています。

今思えば、当時は何も知らない社畜だったのかもしれません。

今でも団塊の世代より上の人の中には、そういった「若い者は身を粉にして働く」のが当たり前だと思っている人もいるようです。IT業界なんて、世界的には「知識労働者」の一角と呼ばれているにもかかわらず、まだ頭脳ではなく精神で戦おうとしているようです。

他にも、「派遣根性」などという言葉もありますね。

どちらにしても、知恵や知性を武器にする気が無いってことですから、そういった精神性をもつエンジニアやビジネスパーソンは、職場からも業界からも忌避されます。仮にそうでなかったとしても、いいように利用され、社畜化するケースが多いようです。

確かに、IT業界は多重下請け構造で成立している企業が多く、どこもかしこもプライム(ユーザーと直接契約すること)で仕事が取ってこれているわけではありません。多くの会社は下請け専門の会社だったりします。

その背景には、経営の判断として「あえて下請け」を選択し、成功している会社もあります。自社がプライムで仕事をさばくには、マネジメントの力量が足りない。「モノ作り」するだけの技術はあるけど、「モノ」全体を把握し、統括するスキルに長けた人材がいない。こう言った組織の場合、統括管理してくれるSIerの下について実力を発揮した方が良いこともあります。

ですが、長い間その蜜月を継続することによって、1つの問題が出てきます。

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こうした関係性になった時、「請負」や「準委任」契約のあるべき姿を、受発注をおこなうお互いがしっかりと分かっていれば何も問題は無いのです。

しかし、発注側は、契約に無い作業を「契約」を変更することなく独断で、指示・命令しようとする。受注側は、契約に無い作業であるにもかかわらず、「契約」を変更することなく独断で、且つ「その通りにさえやっていれば、文句は言われない」と思ってしまい、

 取り決めたルールの一部、またはすべてを無視する

と言う判断を勝手に行ってしまうと、話は別です。

記事の中では

下請け根性とは、クライアントにペコペコして悪い情報は伝えず、どんな要求に対しても言いなりになってしまうことです。

と書かれており、事実そうなのですが、本質的な問題はそこではありません。本質的な問題は、

 取引先との間で取り決めた法やルール(コンプライアンス)に従わず、
 自己保身のために、人情と私情によって、取引先の言葉に従う

ことを正と思ってしまう根性そのもののことを言うのです。

そう言う意味で、下請け根性の問題はまさしく悪しき『根性』と言えるでしょう。そして、下請けという仕事の請け方が問題なのではなく、下請けに「甘んじて」自己責任意識が低いという根性が問題なのです。

判断や決断、その調整を、自分以外の誰かにゆだねることで、目の前の業務に対するリスクを回避しているつもりの

 認識の甘さ、主体性のなさ、思考しない不誠実さ

が本当の問題です。このような甘えが文化として根付いてしまうと非常に危険です。多くのビジネス事故は、この当事者意識の無さが原因で、起きているのは、いまさら言う必要もないでしょう。しかし、そうと分かっていても、多くの人は「自分で責任を負う」「自分で責任を持つ」「自分事とした言動をおこなう」と言うことをしません。

しなければ、問題はおきます。

だから、実際に問題として顕在化するのです。

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今の若い人は知らないかもしれませんね。1997年に起きた、当時もっともセンセーショナルな倒産事故ではないでしょうか。

ひとことでいえばそれは「判断停止」であった。なにも判断しなかったのである。その結果、山一證券はつぶれてしまったのだが、この「判断停止」になった理由は「自らの判断を決める基準がなかったからだ」と石井氏はいう。

ここで引用したことはどのような組織のみならず、チームにもありえることです。

 「判断停止」
 「思考停止」

することによって、責任能力のない他人に人生を預けると言う、勝ち筋の薄いギャンブル的な仕事の仕方を防がないと存続すら危ういのです。

考えてみてください。

仮に、大手SIerがプライムで請けた一大プロジェクトの一部分を、下請けとして任されたとしましょう。…そうですね、総規模100億のプロジェクトのうち、10億の部分を任されたとします。

はい、この情報だけで、みなさんは安心してそのプロジェクトに従事できますか?

私たちの窓口になってくださる担当の方は優秀かどうかなんてわかりません。そもそも大手SIerと言っても、そこで働く従業員がピンからキリまですべて優秀であるわけではないのです。

実際、私が過去にエンジニアとしてかかわった時は、ちょっと例に挙げてみると

20億規模のプロジェクトで、初めてマネージャーを任された一担当がプロジェクト全体の指揮権限を持っていた。上司からは「これが成功したら、主任にしてやる」と言われていたらしいが、当の本人はまともにマネジメントしたこともなく、コミュニケーションも貧弱だった
ユーザーとの仕様の取り決めをすべて担当していたが、決めてきたことをした上に一切伝えず、資料も作らず、雑談レベルでしか伝達しようとしなかった。唯一「レビュー」の場で指摘する立場になった時だけ、スラスラと仕様についての説明が出てくるが、そのために常に大幅な手戻りが発生していた
定例会議の場で、多くのSIerチームのリーダーが集まり、今後のスケジュールと進め方について詳細を決定した30分後には、「ちょっと気になるから、調べてくんない?」と言い出し、スケジュールに全く関係の無い、自己満足のためだけの作業を生み出した。結果、翌日には述べ2人日遅れとなった。

と言ったことがありました。これらは、どれもIT業界では社員1万人以上(いる…たぶんいる)の最大手と言われる企業に属している人たちのしてきたことです。これら3つは大手の事例だけをピックアップしたものですので、スコープを広げればもっと酷いものもたくさんあります。

ロクでもないマネージャーはいくらでもいるのです。そんなものです。

けして大手企業がダメと言っているわけではなく、どんな企業でも、全員が優秀ということはありません。パレートの法則にもあるように優秀な社員もいれば、そうでない社員もいるのです。

自らが優秀になるよう努力し、そうなって自らでコントロールできるようになれば、自らが優秀であり続ける限り、まず間違った結果になることはないでしょう。

ですが、下請け根性によって、「考えること」「判断すること」を止めてしまい、上位の立場の人の言いなりになるだけの道を選んでしまうと、その上位の立場の人の優秀さしだいで、みなさんの人生が左右されるただのギャンブルに成り下がってしまうことも覚悟してください。そして、そのアタリ確率は決して高くない…と言うことを知っておきましょう。


受託開発というビジネスの現状は、今後も労働環境的に厳しいと言わざるを得ません。

IT業界はそもそもライバルが多く、予算の圧縮、納期短縮のプレッシャーは今後も続きます。ソフトウェアが提供する機能はコモディディ化しており、完全にフルスクラッチのカスタムメイドシステムの需要は今後もどんどん減っていくので、いずれは需要と供給のバランスも崩れていくのではないかと思います。

また、次から次へと登場する新しい技術に対応し続けなくてはいけません。『停滞する』ことを選んでしまったエンジニアからどんどん退化していき、一緒に働き続けることが難しくなっていきます。いずれリストラの対象にもなっていきかねません。一生現役でいるつもりで、学び続ける姿勢が重要になってくるのです。

技術を早く、正しく使いこなすことは競争であり、手を緩めると負けてしまう厳しいレースなのです。厳しい環境のなか生き残っていくためには、確たる技術でもなく、見事な交渉力でもなく、変化に主体的に対応できる柔軟な思考力が必要なのかもしれません。

「下請け根性」や「派遣根性」は、こうした環境において、必ず足枷になります。そして、そうした足枷となる人材が増えれば増えるほど、環境全体の活動は鈍り、さらに環境を悪化させます。「人」の意識を根底から変えない限り、この負のスパイラルから抜け出すことができません。


どのような仕事をしていてもそうですが、

 「下請け根性」や「派遣根性」

から脱却することなく、まともなビジネス、安定したビジネス、普通の労働と普通の生活のバランスなんてものは手に入りません。手に入る時は、間違いなく

 他人を犠牲にした時、自分だけが得をする時

だけではないしょうか。自らが考えることを止め、判断や決断する責任を放棄し、ただ目の前にある作業をそつなくこなすだけ…楽をして、楽をして、その負担を他人に押し付けて、それを世渡りや社内政治などを駆使し、バレないように行っていくと、「自分は安定した生活を手に入れられるけど、他人はどんどん不幸になっていく」の図が完成します。

そして「判断停止」は、マネージャーだけでなく開発者の問題でもあります。きっかけは、マネージャーが判断を停止させたのかもしれません。しかし、最終的に「停止する」と決めたのは開発者自身です。

「判断停止」から脱却するには、まず明確な判断基準を持ち、そして同じ価値観を持つ仲間を増やすことで、自身を取り巻く環境の文化を変えていく必要があります。

ですが、自らの意思によって停止することを決めてしまった以上、一度この「判断停止」状態に陥ってしまうと、もう一度そうなる前の状態に戻すのは至難です。時間を巻き戻そうとするのと同じだからです。

不可能…ではありませんが、一度「判断」「決断」する責任から逃げ、他人に押し付け、依存する楽さを知ってしまうと、そうでなかった状態に戻るのは大変でしょう。人間は既得権益を手放せない生き物ですから。

よほどの強い意志が必要になるのです。

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