判断や行動について話す
相手と話をしているときに、相手の性格や個性をイメージする言葉を使うと、思わぬ反感を買ってしまいます。人は、自分の「個性」を否定されたり、「性格」を悪く言われるのはとても嫌いなのです。
「●●さんって、こういうことしそうだよね」
とか。もっと端的に言うと、顔がコワモテだと
「〇人殺ってそう」
とか、冗談めいて言ったりする人いますよね。でも、言われる側はひどく傷ついているかもしれません。何気ない軽い気持ちの言葉でも、相手の"すぐに変えられない"ような部分についてイメージ先行で言葉にしてしまうのは、よく切れるナイフを振り回しながら雑踏の中に足を踏み入れるのに似ています。
こうした問題は、当然ながらビジネスの現場でもよく見かけます。
たとえば、
「だからお前はダメなんだ」
「お前のそういうところが嫌い」
「いるいる、そういう奴」
と言ったセリフ。みなさんの周りでこんなセリフを軽々しく口にしてしまう人はいませんか?一昔前にはいましたね。ちょっとした失敗を見つけては「だからお前はダメなんだ」という上司。私の周りにもそういうセリフを吐く管理職は何人かいましたが、何が「だから」なのかよくわからないんですよね。もうなんか口癖みたいになってて。
中には真面目に受け取ってしまう子もいたので、陰でフォローするのが大変だった記憶があります。
こういう刺々しいフレーズは、よほどの信頼関係が構築できていないと、まず間違いなく性格や人格を否定、または指摘されたと思ってしまうでしょうし、中には気に病んでしまう人もいることでしょう。
もちろん、ダメなところを指摘することが悪いと言っているわけではありません。「だから」ではなく、きちんと「なにが」ダメなのかを説明してあげなければ、ただの悪口と変わらないと言っているのです。
こういうフレーズの発現は、ほとんどの場合、なにかしらの『行動』に対して起こっているものです。また、どうしてその行動を選んだのかという『判断』によって、行動が変わるものでもあります。ですから、『行動』と『判断』に焦点を当て、またできるだけ具体的に話をしましょう。
たとえば
「その判断は、相手にとって〇〇だから改めないと困るかな」
「〇〇を実施しないと、問題を起こす可能性があるから、
気を付けてくると嬉しいかな」
と言った風に、「○○だから」と根拠を添えて話すのです。いきなり「だから」と言われても何も伝わりません。メッセージの中では、自分の感情だけではなく、自分に実際に発生した影響や結果を具体的に伝えます。
聞いたことがありませんか?
これは子供とのコミュニケーションでも重要視されています。そう、子供ですらユーメッセージでは動きません。むしろ反抗期を迎える可能性すらあります。これに対して、幼少期からアイメッセージを使って伝え続けることで、子供が自主的に行動する癖が身に付くと言われています。
これは、実はとても重要なことです。
コミュニケーションでのすれ違いの一つの要因として、お互いが意識している知覚レベルの違いによるものがあります。
「知覚レベル」は、人間の脳が知覚すると言われているレベルを示しています。より深層心理に近いものが上に配置されています。
私は何か問題が起きるとその原因を追究する際に「『だれが』ではなく『なにが』で話せ」とよく周りの人に言います。人に原因を求めても、何一つ解決しないからです。ただの責任の擦り付け合いがしたいなら、私のいないところでしてくれ、といつも言っています。
ここでの近くレベルも下へ行けば行くほど「何が」を問うものであり、上へ行けば行くほど「誰が」を問うものとなっていきます。よって、この知覚レベルの中で、性格やアイデンティティなど深層心理に近い部分を会話で扱うと、本人にその気が無くても人格否定、これまでの人生の歩みを否定したことと同義になってしまい、誤解が生じやすく、思わぬ相手の反感にあうことになります。
たとえば、「配慮が足りなかった」という一つの事象を、「配慮がなかったね」と自分は行動レベルで扱っているつもりでも、相手は「気が利かない奴と言われた」と性格のレベルで指摘された、と捉えてしまうかもしれません。そうすると、相手は自分への批判や攻撃をされたと捉えてしまいます。
ですから、「メールの書き方に配慮が足りなかったね」というように、より具体的に「行動」として知覚されるように伝えると、相手の反感を買わずにうまく伝えることができるのです。
よく『何事も簡潔に!短文で!』という人はこの点を気を付けておきましょう。用いる言葉を少なくする、短くするということは、それだけ具体性を欠く可能性があるということです。最低でも
主語 + 目的語 + 述語
「だれが、何に対して、どうする」「何が、どのように、どうだった」
の3点は欠けさせないようにしましょう。この3つのうち1つでも欠いてしまったコミュニケーションは、まともに成立しない可能性があります。コミュニケーションが「受け手(聞き手、読み手)」の読解力によって成立するものである以上、どんなに正しいことを言ったつもりでも、相手は同じように受け取ってくれるとは限りません。
伝える場合は、はっきりと『行動』レベルで伝えることが大切です。
さきほどの「知覚レベル」の例のように、上司が「そんなやり方でいいの?」と聞いてきたときに、あなたが「丁寧さが足りませんでした」と自分の心がけのレベルで応答してしまうと、そこからの会話は同じ性格や心がけのレベルで続くことになります。
行動に問題があっただけで、悪気があったわけではないはずで、次からは行動を改めればいいだけなのに、なぜか上司から厳しく叱責をされているように感じたり、「アイツはおかしい」と必要以上に自分をけなされているような気持ちになります。
こうした負の感情に陥ってしまうのは、実はコミュニケーションにおいて発信方法に問題がある可能性があるということです。逆に言えば、自分自身の発言の仕方で、こうした会話にならないようにすることもできるということです。
このような例は、いくらでもあげられます。
上司:「ちょっとまずかったね。次はどうやうたらうまくできるかな?」
部下:「次は、もっと頑張ります。」
上司:「前回もそう言ってたよね。今回は、頑張らなかったの?」
部下:「すいません。」
あー…もー、なんか見てらんない!って気分になってモヤモヤするシーンです。上司は、叱責するために会話を始めたわけではありません。おそらく、部下の努力が足りなかったと伝えたいわけでもありません。何が悪かったのかを、一緒に考えたいだけなのです。
にもかかわらず、返答の仕方が悪かったために、上司に怒られているような会話になってしまいました。これでは、自分で自分を追い詰めているのと同じです。
同じような返答でも、「次は〜の部分で、もう少し頑張って品質を確認します」とか、「〜の判断をするときに、詳細に情報を調べます」というように具体的な行動や判断の事象のレベルで伝えると、このような不毛なコミュニケーションを避けることができます。
日本語は、感性や感情に関する表現がとても豊かです。
その分だけ、内容が暖味でも会話がなんとなーく成立してしまいます。
しかし、ビジネスでは感情に関する曖昧な表現や会話を持ち込むことが正しいと言われるようなシーンはまずありません。そうした暖昧さを普段のプライベートと同じ気持ちで安易に使ってしまうと、自分で自分を追い詰める結果につながってしまう場合があります。感情や心がけではなく、行動や判断を元に伝えるのは、そうした誤解を生まないために重要なビジネス習慣なのです。
私が「論理的な考え方」を主張するのはそのためです。
論理的であるというだけで、客観的な表現になりますから、このような状況に陥ること自体、心配の必要がありませんしね。
よく見かける「心がけ」を表す曖昧な言葉を列挙しておきます。これらの言葉を頻繁に使っていないかを確認してみてください。
頑張って
しっかりと
責任を持って
丁寧に
一生懸命に
手早く
雑に
緊張して
慌てて
急いで
きちんと
がむしゃらに
ひたすら
全力で
必死に
粘り強く
きびきびと
確実に
正確に
こうした言葉は使ってはいけないわけではありませんが、使う場合には、相手に伝えたい内容が本当に伝わっているのかどうかを確認しながら、注意して具体的な事項を添える必要があります。
たとえば、「頑張って」ということであれば、どのように頑張るのかを具体的に伝えましょう。ここでは副詞としていますが、動詞や形容詞、形容動詞に変化して使ってしまっているケースもあります。