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「エンジニアのふ化率は、天然サケより低い」は心底真摯に受け取るべき課題

やっと新人教育の引継ぎが終わって、さきほど自席に戻ってきたばかりですが、サイト開いていきなりこの記事のタイトルを見て、

 「ほんまやで!!」

と脳内で叫んでしまいました。

でもね。私は、こう思うのです。エンジニア不足が問題なのではなく、エンジニアが育たないSI業界構造が問題なのでは……と。水不足といいながら、穴の開いたダムにジャンジャン雨が注ぎ込まれているのを放っておいている、そんな印象です。

 日本では、エンジニアの約7割がSI業界で働いています。ですがその大半が「開発する」という経験を十分積めず、「エンジニアの卵」のまま。エンジニア未満の力量と収入のまま40代になり、営業への転向を余儀なくされてしまったり、転職してしまったりする例が後を絶ちません。

以前からも書いてきましたが、IT企業における(いや、IT業界だけではないかもしれないけど)人材育成の練度は相当低い…と、私も実感しています。

教育専門の企業が増えました。
教育でウケのいい人材も見渡す限りちょいちょいいます。

でも、集合教育、スポット教育でできることなんてたかが知れています。

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一方的にインプットさせるだけの教育では、学習定着率(≒理解割合)は30%が限度と言われています。それでは「エンジニアのふ化率」が低いのは当然です。

どんなに優れた講師がいても、それだけでは意味は殆ど無いということです。しかも、定着率75%と言われる実践・体験という主にOJTと呼ばれる教育の中で、現場の先輩や上司が

 「いいよ、そんなのやんなくて」
 「ここでは、ここのルールがあるから」
 「俺の言うとおりにやって」

みたいな感じで、集合教育で学んできたことを反復させる機会さえ失わせてしまうと、せっかく修得した30%の知識やスキルでさえ、あっという間に風化させてしまいます。使わなければ…すなわち反復する機会を与えなければ、覚えたことなんてあっという間に忘れてしまいます。それはエビングハウスの忘却曲線からもわかっていることです。

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ゆえに、現場そのものが改めない限り、教育はやってもやっても、効果が上がりません。そして、IT業界は特に中高年の「ロクに教育を受けてこなかった」世代が、業界全体の教育の質を損ね、いつまで経っても「エンジニアのふ化率」が上がらない状況を改善させないままでいるのです。


営業的な側面はわかりません。

営業チームと開発チームのパワーバランスによって、このあたりの状況は大きく異なります。私がこれまで見てきた、特にB2Bの受注生産がメインとなっている企業の場合、技術部の部課長が営業をしていることが多々あります。

そうなると営業部自体はあっても、営業職の人たちはほとんど事務仕事(見積書や契約書の作成等)しかしていない…と言うことも珍しくありません。あとは昭和やバブル以前の古い体質の企業であれば、開発チームが稼いできた交際費をジャブジャブ使い込んで、接待等を繰り返していたりと言うのもよく見かけます。

業務や役責としてはほとんど形骸化してしまっているにもかかわらず、顔だけは広くなるから、将来的にそこそこのポジションが狙える「おいしい」立場になっているかもしれません。

そう言う企業もあります。


ただ、技術部だけ、開発チームだけといったスコープで見た場合においても、「エンジニアのふ化率は、天然サケより低い」と言うのは、言い得て妙というか、ものすごく納得させられる話だなと思わされました。

記事の中で説明された具体的な理由3点については、少し私の身の回りの環境や経験則で感じてきたこととは違いましたが、それでも、おそらくは、何らかの形でIT業界全体で蔓延しているのだと思います。

そもそも、IT業界は全体的に『教育』そのものが苦手です。

先に断っておきますと、

 ITと言う技術や仕組み自体が、教育と相性が悪い

というわけではありません。むしろ、相性は超絶良いと言っていいでしょう。ITは一握りの天才にしか習得できない技術ではありません。「誰でもできるよう」に仕組み化されています。すべてが言語化されています。職人の腕や、勘、閃きなどに頼りません。すべてが論理的で、すべてがアルゴリズムで説明できるようになっています。

世界のイチローも言っているように、「説明できる(言語化できる)」時点で、ひらめきやセンスに頼らず、努力と反復による修練によって再現できることが証明できることは、天才のそれを必要としないのです。

その意味でも、IT業界のほぼすべての知識やスキルは、言語化されているため、一部の天才にしかわからない…なんてことは絶対にありません。

では、なぜここまで教育と馴染まないのか。
問題は、

 「開発プロセスの自由度」

にあります。業界として、技術者として、プロセスそのものを「仕組み」と捉えている人が少ないのです。プログラミングくらいしか教えないし、修得しようとしないので、それ以外の作業が非常に属人的になります。そして属人的な方法論しか知らない人は、自らの過去の経験にしか頼りませんし、できません。

そのため、一人ひとりが異なる経験を歩んでくると、人によってそれぞれが異なったやり方、進め方をメンバーに押し付けます。理屈としては「過去にそれで成功したのだから、それが正しい。文句言うな」と言うやつです。そこに論理的な根拠はありません。

だから、世の中のベストプラクティスを教育として説明したところで、現場ではそれを受け入れられないのです。そう言う現場が殆どです。

そして、どんなに教育を受けたエンジニアであっても、実際の開発現場に一担当者として加わると、その現場のリーダーやマネージャーの属人的な進め方を強制され、仕事の進め方として矯正され、長い時間をかけ、最後にミイラ取りがミイラになってしまって、同じような属人的エンジニアができあがってしまうのです。

こうなると、次の世代がせっかく意義のある教育を受けてきても、また属人的な開発を強制し、同じような人材を生み出すループの再現です。

このままでは一生、この業界は変わりません。


私は、ソフトウェア開発と言う業務にあたって

 仕組みを作れないリーダーやマネージャー
 仕組み通りにコントロールできないリーダーやマネージャー
 仕組みに従えないエンジニア
 仕組み通りに後輩を育成ができないエンジニア

というのは、今後淘汰していくべきだと考えています。そう言う人たちは、結果として今後も冗長的な作業を発生させますし、トラブルを低減することもできず、むしろ改善していこうという気風を作ろうとしたときに、ただただ邪魔な存在となっていくことでしょう。

そういった観点から、「エンジニアのふ化率は、天然サケより低い」と言うフレーズは本当に、真摯に向き合うべき問題ではないかと思うのです。


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