情報を取り扱う技術を見誤らない
もともと、「情報」を意味する英語には
"data"、"information"、"intelligence"
の3種がありますが、それぞれの言葉を正しく理解してさえいれば、このドラッカーの言葉にも重みが増すかもしれませんね。
データとは、未加工の事象そのものの情報とでも言えばいいでしょうか。ITはいうまでもなくインフォメーションですが、データベース(DB)がなぜインフォメーションベースではなく、データベースと呼ばれるのかについても自ずとわかってくることでしょう。それだけでデータベース設計の基本原則まで理解できるはずです(加工したものを格納するのではないということ。未加工の状態であるデータとして管理し、必要に応じて抽出の仕方や加工の仕方を変えて必要分だけ取り出したものがインフォメーションだからです)。
私たちは、ITあるいはICT業界に所属しているにもかかわらず、多くの従業者、多くのエンジニアが、おそらくは
ITあるいはICTがなんなのか
を正しく理解していないことでしょう。もし知っていれば、冒頭のドラッカーの言葉の意味が理解できるはずです(まぁでも新人教育からして、そんな大事なことを教えてくれる人も、まずいませんしね…)。
何度も言いますがITとはInformation Technology の略です。
日本語にすると『情報を取り扱う技術』を意味します。
つまり、エンジニアというのは情報を取り扱う専門家ということであり、
ITエンジニア ≠ プログラムで何か作る者
であると言うことを深く理解しなくてはなりません。そこを誤解するから、いつまで経ってもこの業界ではプログラミング至高主義がまかり通るのです。
プログラミングはただの手段の1つでしかありませんし、プログラムによってつくられるモノはただ人の願いや思い、求めるものを翻訳したに過ぎません(だから、顧客のニーズを実現できるのであればローコードでもノーコードでも構わないわけです。プログラミングが至上でもなんでもないことの証左です)。
ITエンジニアは、その願いや思い、期待、要求などを『形』にするための仲介役でなければなりません。
情報を取り扱う専門家は、確かに『つくる者』でもあります。お客さまの抱えている課題や問題を解決するにあたり、その実現する手段として作る必要があれば作りますし、その能力が無ければ何をするにも実現可能な解決策を提案できないからです。
しかし道具として、
を決めるのは利用者、要求者自身です。決してエンジニアではありません。ユーザー自身が、自らの持つ情報に精通しなければならないのです。
けれどもほとんどのユーザー企業、IT企業が、情報が自らの意思決定に対して持つ意味を考えていないのが実情です。したがって、情報を『いかに入手するか』『いかに検証するか』『既存の情報システムといかに統合するか』が、今日最大の問題となるのです。
かつては、とにかく情報を持つことが勝利への道でした。
軍隊でも企業でも同じだった時期があります。
情報戦を制したものが、勝利することができたのです。
ところが、ITからICTと呼ばれるようになった2001年以降、インターネットと言う情報革命により情報が氾濫しました。今では誰でもクリック、あるいはタップするだけで世界中のあらゆることについて情報を得られます。
その結果、『情報を制する力』とは、
"情報を入手する力ではなく、
情報を解釈して利用する力"
を意味することになりました。
情報の利用者自身が、情報の専門家にならなければならなくなったのです。だからネットの世界では「情弱」なんて言葉も生まれましたよね。そして情報自身もまた、ほかのあらゆるものと同じく使われて初めて意味を持つようになったわけです。
さきほど、英語には3種類の「情報」があると言いました。日本は残念なことに「情報」と言う意味を持つ言葉が1種類しかありません。ゆえに、
・データも「情報」
・インフォメーションも「情報」
・インテリジェンスも「情報」
となんでもかんでも一括りで和訳してしまいます。
少なくともインフォメーションとインテリジェンスの違いについてはそれぞれの単語をgoogleで検索すれば、一発でそう言った検討がなされているサイトが見つかるほどに一般的で有名な話です。
けれども、IT業界に関わる人たちの間でいったい何人がそんなことを意識しているでしょう。
前提知識として「データ」と「情報」の違いをあげておくと、データとは「客観的な事実を数値や文字、図形、画像、音声などで表した資料」のことです。客観的事実と言い換えることができます。
一方、インフォメーションとは「ある目的のために役立つデータ、あるいはデータを基に加工された資料」です。要するに、無作為に蓄積されたデータ群の中から、本当に必要な意味のあるデータがインフォメーションになります。
しかし、昨今ではこのインフォメーションですら取り扱うには不十分となっています。なぜならどんなに抜粋しても所詮それはデータの一部であって、何かを判断、決断、活用するために加工された状態になっていないただの素材のままだからです。
たとえば、気象庁による天気予報を例に挙げると、
別の例をあげると、
このように、データ、あるいはデータの抜粋版であるインフォメーションを正しく活用できず、インテリジェンスが何かをわかっていないままでは情報技術産業の未来は決して明るいものとは予想するのも困難となってしまいます。
いずれグローバル化が進み、アメリカの顧客に市場調査(market analysis)を命じられて、結果のレポートを提出したところ、
「こんなものはinformationに過ぎない。intelligenceを持って来い!」
なんてことを言われる未来がいつかくるかもしれません。
その時、お客さまに「今どきコイツはinformationとintelligenceの違いもわからないのか・・・」と思われないようにしておくことは、色々な意味で無駄にはならないと思います。
ビッグデータ時代における「データ」はそのままデータなのでしょう。
未加工のまま、膨大な量の事実情報を蓄積し続けるだけの器に過ぎません。
そして、それらを活用するマーケティングの世界においては、データを加工し分析・解析するプロセスを
マーケティング インテリジェンス
(MI:Marketing Intelligence/ Market Intelligence)
と呼んでいます。
何かを判断し、決定するためにはインテリジェンス…すなわち、『知性』が必要なことは既に当たり前のこととなっていることを私たちは自覚しなければなりません。
ただ開発するだけ
ただプログラミングスキルを身につけるだけ
で優秀と思われていた自体はもう過去のものです。
それは所詮「よく切れる包丁」を手に入れたのと変わりません。その道具を使いこなす腕が無ければ結局まともに食材を切ることもできませんし、さらには切るだけでなく、煮る・焼く・盛り付けるなど他のスキルも身につけていなければ美味しい料理に昇華することもままなりません。
自分が何のエンジニアであるのか、IT/ICTが何であるのかを今一度振り返る時が来ているのかもしれませんね。
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