僕のアメリカ横断記⑥(フラッグスタッフ2日目)
■8月25日(木)
朝の8時頃にダイニングルームに向かうと、金色の顎髭が二人の白人女性と談笑していた。昨晩の愛想の悪い感じはどこへやら、実に楽しそうな様子だ。
(なんだ、ちゃんと笑えるヤツなんじゃないか)と思いながらトーストを焼き、空いた席に座る。すると、彼らの会話がぴたりと止まった。金色の顎髭の表情からはもう笑顔が消えている。(またはじまったか)と思いながらも彼に”Hi.”と言ってみるが、まるで僕のことなど知らないかのような素っ気ない反応。明るかった雰囲気が、一気に暗くなってしまった。
(なんでこうなる?)と首を捻ったが、この重たい空気をもはやどうすることもできず、黙ってトーストをかじっていた。そのあと僕の隣に別の白人女性が座ってきて、彼女をきっかけに彼らの会話が再開されたが、その輪に僕が入れそうな気配は微塵もなかった。
モヤモヤした気分で部屋に戻り、グランドキャニオンへ向かう準備をした。実はこの宿は、グランドキャニオンのトレッキング・ツアーを斡旋しており、僕と出会う前日にそのツアーに参加してきたというドンハ氏に詳細を聞いて、僕も申し込むことにしたのだ。グランドキャニオンはあまりに広大なため、ガイド付きのツアーに参加した方が効率的に見どころを押さえられる。特に僕のような方向音痴には無難な選択だ。
ジーンズにTシャツ、スニーカーという格好でフロントに降りる。すでに数名の参加者たちが集合していて、その中には先に部屋を出た金色の顎髭もいた。全員が20歳前後で、揃いも揃って白人。さっそく彼らは不審そうな眼差しで僕を見ており、早くもこの先の行程があまり愉快なものにはならなさそうな予感がした。
白人の女性ガイドさんに従って宿を出たのだが、歩いてすぐの距離にある別のモーテルに案内された。どうやら、このモーテルがツアーの拠点らしく、複数の参加者たちが僕らとの合流を待っていた。ちなみに、こちらの参加者たちも全員が白人だった。
参加費用もここで支払うことになっているとのことで、フロントで85ドルを支払った。ガイドさんが、今日は雨が降る可能性が高いからレインコートがある人は持ってきた方がいいと僕らに言った。すると、金色の顎髭だけが宿へ取りに戻った。
僕はレインコートのためではなく(そもそも持っていなかった)、部屋に置いてあるリュックにしまっておいたパスポートやアムトラックのパスを宿のロッカーに預けたほうが良いだろうとふと思い、宿に戻った。行く道で、レインコートを持って引き返してくる金色の顎髭と鉢合わせた。「何をしに戻るんだ?」と訊かれたが、正直に答えるとルームメイトを疑っていると思われる気がしたので、「レインコートを探しに」と言っておいた。今思えば、「何をしに戻るんだ?」というのも妙な質問だ。
リュックからパスポートなどの貴重品を取り出してフロントに降りると、小柄なアジア系の青年がロビーのところで腕を組み、何かを考え込んでいた。僕の直感では日本人に見えたのだが、一応、"Where are you from?"と声をかけてみると、英語が聞き取れなかったのか、曖昧に「へへへ」と笑った。もう一度はっきりとした発音で尋ねると、案の定、「オー!ジャパン!」と答えた。彼は今しがた宿に着いた客人で、フロントにスタッフがいないので困っていたらしい。僕がフロントに置いてあるベルを押すとすぐにスタッフがやってきて、彼は恥ずかしそうに僕に礼を言った。久しぶりに日本語での会話をしたかったが、時間が無かったので貴重品を預け、宿を出た。
モーテルに戻ると、エントランスの前に一台のバンが停まっていた。サイドドアには"GRAND CANYON"のプリント。運転席にはカウボーイハットにティアドロップのサングラスをかけたダンディなドライバーさんが座っていた。
僕ら一行は早速そのバンに乗り込んだ。僕の隣には金色の顎髭が座った。車中でメンバーを数えてみると、参加者は僕を含めて10人で、それにガイドさんが1人という構成だった。
ここから車で2時間ほどかけて、グランドキャニオン観光の中心地である「サウスリム」へと向かう。道中、ガイドさんが参加者の一人一人に出身国を尋ね、前の席から順番に答えていったのだが、金色の顎髭が"Germany"と答えたので僕も答えようとすると、僕を飛ばして後ろの席の参加者が出身国を答えた。(えっ)と思っているうちに順番はどんどん後ろに回って行ってしまった。結局、僕以外の9人が出身国を答え、ガイドさんは、「色々な国の方が参加されていますね。今日は楽しんでくださいね」と笑顔を浮かべた。僕は不快な気持ちがこみ上げるのをこらえるために、しばらく目を閉じて眠ったふりをしていた。ドンハ氏のときはもう一人の韓国人参加者がいたそうだが、僕には味方がいなかった。
山岳風景の中を走っていた僕らのバンは、突如出現した大きなスーパーマーケットの駐車場に入っていった。こんな僻地によくこれほどの規模のスーパーを建てたものだと思うほど広大で、食品のみならず、BBQグッズや、衣類、お土産など、一通りのものが揃っている。グランドキャニオンを訪れる観光客の数は年間数百万人にものぼるというから、それだけの需要が見込めたのだろう。ガイドさんは僕らに、このスーパーで食べ物を買って、各々昼食をとるように言った。
サンドイッチやチョコレートを買って外に出ると、テラス席で4~5人の参加者が固まって食事をはじめていた。僕は思いきって、そのテラス席の空いていたスペースを指して、"Can I take a seat?"と男性に尋ねてみた。彼は少し戸惑いの表情を浮かべながらも、少し横に詰めて、幅を空けてくれた。
とりあえず輪に加われたわけだが、また例のごとく、会話がなくなってしまった。ただ静かに各々が、自分の食べ物を口に放り込んでいる。自分のせいで彼らの会話を止めたような気がして、いたたまれない気持ちになった。
スーパーから参加者のうちの何人かが出てきて、こちらに気付いて向って来たが、もう座るスペースがない。いっそ彼らに席を譲ってやろうかと思ったが、座ったばかりですぐに席を立つのも不自然だ。結局、スーパーから出てきた参加者たちは席が空いていないのを見ると別の場所に移っていった。
ランチを終えた僕らを乗せて、バンはサウスリムに入った。車窓からグランドキャニオンらしい風景が見えはじめると、参加者たちは「おおっ」と驚嘆の声を上げた。バンから降り、”マーサー・ポイント”と称される有名なビュー・ポイントへ。多くの観光客を避けながら進むと、眩しいほどの青空の下に赤褐色の峡谷が見渡す限り広がっていた。その光景は威風堂々として見えるほどに雄大で、人智の及ばぬ自然への畏怖さえ覚えるほどだ。夏の風を受けながらグランドキャニオンの遙かなる歴史の中にしばし身を浴していると、フラッグスタッフでたびたび感じさせられていた心のモヤモヤも晴れるようだった。「バナナ・バンガロー」で、グランドキャニオンを訪れたというフランス人のルームメイトに感想を訊いたとき、"HU~GE!"と言っていたのを思い出す。それは僅か一単語ではあったけれど、この景色を目の当たりにした今、彼が伝えたかった感動を真に共有できた気がした。
バンは "South Kaibab Trailhead"と称されるトレッキング・スポットで停車した。崖に沿って作られた、全長11キロのくねくねしたコースを下り、また登って帰ってくるのである。恐ろしいことに、「絶対に谷底までの日帰りトレッキングはしないでください」と書かれた看板が立っている。ガイドさんによれば、毎年そういう無茶なことにチャレンジする人がたくさんいて、命を落とすケースもあるのだそうだ。その話を聞いてビビってしまったが、僕たちのツアーでは安全に、距離でいうと片道1.5kmを往復するにとどめるという。
しかしいざ進みはじめると、僕らの目的地として示された地点はかなり下の方で、数字として聞くよりも距離があるように感じた。しかも途中で写真を撮ったり、説明を聞いたりしながらなので、折り返し地点までは1時間近くかかっただろうか。崖のきっさきに座り、地球の歴史を伝える地層の岩肌を眺めていると、どこからかやってきたリスが参加者たちの間を走り回り、思いがけず癒やされた。
落ちている石を拾って少し力を加えるとホロホロと簡単に崩れる。ガイドさんに尋ねると、それは石というより、砂が凝固したものなのだという。それが今日、このガイドさんと個別に交わした最初で最後の会話だった。
さて、大変なのは言うまでもなく登りであった。僕は基本的に運動不足な人間なので、少し歩いただけで息が荒くなってくる。そして何より辛いのは、前を歩く人が立てる砂埃である。砂塵が口の中に入ることでジャリジャリして気持ちが悪いし、喉もガラガラになる。口の中を水でゆすぎたいのだが、他の参加者を見ると、水を飲んで流し込んでいるようだった。もしここで僕がうがいなどして、さらに邪険に扱われるようになるのも癪に障るので、思い切って僕も水で砂を流し込んだ。よく言えば、グランドキャニオンの味だ。
ようやく出発地点まで戻ると、往復3kmほどのコースではあったが、トレッキングが初めての経験だったこともあって、ひと山越えたほどの達成感(と疲労感)があった。
それから、"Grand view point"や "Desert view ponit"といった有名な眺望エリアを巡り、最後に、最初の所とは別の小さめのスーパーに寄った。そこではお土産などを買う時間が与えられたのだが、僕は今晩の夕食と明日の朝食だけを買って早めにバンに戻った。車窓から、今日一日を通じてすっかり仲良くなった僕以外の9人が店の外で談笑しているのが見えた。
しばらくしてその9人もバンに戻ってきた。通路を挟んで僕の隣に座っていたイギリス人のカップルと思しき二人のうちの男性の方が、僕にプリングルスをくれた。なぜくれたのかはよくわからなかったが、このツアーの参加者から何かをもらうとは夢にも思っていなかったので、少し嬉しくなった。
ガイドさんが、「ではこれから宿に戻りますね」と言って自分の席に座ったので、バンの発車を待っていると・・・、ブススンという音がするだけで、エンジンがかからない。ガイドさんが運転席に行き、ドライバーさんと神妙な面持ちで何か話している。嫌な予感がした。
はじめのうち参加者たちは、「グランドキャニオンにホテルは取ってないですからね~!」などと軽口を叩いていたが、車は一向に動き出す気配がなく、とうとうガイドさんがどこかにヘルプの電話をかけるのを見ると、車内には重い沈黙が流れた。
電話を終えたガイドさんが、僕らに言った。
「車がエンストしてしまいました。今、会社に電話をして、すぐこちらに代車を向かわせています」
結局、17時にグランドキャニオンを出る予定だったのが、新しいバンが到着する20時半ごろまで足止めを食らうこととなった。
気を取り直した参加者たちは、夕焼けを見にこぞってバンを降りていったが、ヤツらに接近するとろくなことがないし、ついていく気分になれなかった。しかし、グランドキャニオンの夕焼けは正直気になる。見てみたい。そうして悩んでいるそばから、車窓の外は暗くなりはじめている。僕はバンを降りることにした。
展望台の方に歩いていくと、雲の隙間から焦げ付いたような濃いオレンジ色の光が覗いていた。はっきりと視認できる夕陽ではなかったが、それが逆に僕に別れを告げているように見えて、心に沁みるものがあった。
バンの方に戻ると、ガイドさんと参加者たちが円形になって地べたに座り、自分の国のジョークを言い合う大会のようなことをやっていた。ゲラゲラ笑っていてとても楽しそうだが、どのみち僕が輪に入れば雰囲気がぶち壊しになる。そう思って先にバンに乗ろうとしたが、ちょうど彼らがバンのドアの前に座っているのと、ドアが閉まっているのとで、ちょっと入りづらい状況。そこで、仕方なく彼らの近くにあった大きな岩に腰掛けた。
ジョーク大会でひとしきり盛り上がると、誰かが国名しりとりをやろうと提案した。そのとき、プリングルスをくれたイギリス人がはじめて僕の存在に触れて、「君もよかったら、どうだい?」と言ってくれた。しかし、他のメンバーの顔を見ると、明らかに歓迎されていない。楽しいゲームの輪に異質な存在が入ってこられると困るのだろう。僕はイギリス人の彼には申し訳ないと思いながら、「そこの公衆トイレに行くから、気にしないでやってて」と言い、立ち上がった。別に出るものもないがトイレに向かって歩いていると、背後で歓声が上がった。振り返ると、新しいバンが到着したようだった。
こうして色々あったが、代車のバンで無事モーテルに帰れた。ツアー会社の社員のような人が僕ら参加者に対して詫び、遅延の補償として10ドルが返金された。ツアーはそのモーテルで解散となったので、僕は静かな夜道をひとり歩いて自分の宿まで帰った。金色の顎髭の姿は見当たらなかった。そういえば、結局雨も降らなかった。
宿のランドリーで、グランドキャニオンの砂埃にまみれた衣類を洗濯して部屋に戻ると、アンドリューがいた。「楽しかったかい?」と訊くので、ちょっと複雑な心境ながら、「もちろん」と答えた。彼は笑顔を浮かべて、「もうご飯は食べた?」と訊くので、食事に誘ってくれるのかと思いきや、「俺が作ったメシがちょっと残っているけど食べるかい?」と言う。
あまり関係が深くない人から、自分が作ったメシを食うかと訊かれるのも初めての経験だ。正直、どんなものが出てくるかわからないし、ちょっと不安だったので、「グランドキャニオンで買ったブリトーがあるから・・・」と言ってみたのだが、「そんなの食べる必要はないよ!俺の美味いメシがあるんだから」と言って聞かない。仕方ないので、彼について行ってみた。共用の冷蔵庫から彼が取り出したのは少し大きめのタッパーで、蓋を開けると、野菜炒めのような料理と、カットステーキと、ご飯が入っていた。近所のスーパーで食材を買ってきて、自分で調理したのだという。
彼に言われるがまま、レンジで温めて恐る恐る食べてみると、これが悪くない。ただ、ご飯が妙にすっぱく、冷蔵庫に保存してあったので大丈夫だとは思うが、少し心配になった。
シャワーを浴びてリビングルームに向かうと、ドンハ氏がテレビを見ていた。
「グランドキャニオンは壮観でした。人生で一度はああいう景色を見ておくものですね」
僕が韓国語でそう言うと、彼は頷いた。
「ニューヨークはこれからだよね?」
「そうです。終着地です」
「グランドキャニオンが人生で一度は見ておくべき自然物だとしたら、ニューヨークは人生で一度は見ておくべき"人工物"だよ」
ドンハ氏はすでにグレイハウンドで東海岸の方も周ってきたようだった。
「タイムズスクエアに行くと、一番目立つところにサムスンのビルボードが出てるんだ」
「へえ、タイムズスクエアに。サムスンも大したものですね」
「韓国は貧富の差が激しい国だから、富の象徴である財閥企業のサムスンに僕はあまり良いイメージを持っていなかったんだけど、あんなふうに世界の最前線で輝いているのを見ると、皮肉なことに誇らしい気持ちになるんだよ」
ドンハ氏の言うように、韓国では貧富の差の深刻な拡大に加え、大学入試や就職などにおいて日本以上に競争が厳しい社会であるため、学生が心身ともに疲弊しているという話をよく聞く。彼もまた、熾烈な競争に立ち向かい、韓国社会を生き抜こうとしている真っ最中なのだ。
僕はドンハ氏に、明日フラッグスタッフを発つことを伝え、またいつかどこかで再会できることを願って握手を交わした。異なる国で育った同郷人が、アメリカの僻地で知り合い、祖国について語り合い、互いの将来へ健闘を祈る。こうした一期一会こそ、バックパッカーの醍醐味だ。
部屋に戻り、グランドキャニオンで撮った写真を見返したりしていると、あっという間に深夜1時近くになっていた。明日はアムトラックでカンザスシティへと向かう。列車の走行時間はなんと24時間(!)にもなる見込みだ。しかも出発時刻は朝の4時45分なので、万が一寝過ごしたら、またこの町で一泊を過ごさなければならなくなる。グランドキャニオンの絶景やドンハ氏との出会いは得難いものであったが、それ以外の出来事によって与えられたストレスのおかげで、フラッグスタッフに長居はしたくないのが正直なところだ。そう思うと、このまま朝まで起きていようかとも思ったのだが、トレッキングの疲労が今ごろ強烈な睡魔となって、僕のまぶたを重くするのだった。
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