6年間知らない土地に住み、先の見えない状態で「今を生きる青年」
タイトルのような青年と会ったことがあるでしょうか
しかもそれが自分の第2の故郷に住む人であり、年も一つしか変わらない
そんな青年がなぜこうなったかの話である
私が現在JICA海外協力隊として活動しているパプアニューギニアの
マヌス島には難民収容所があった(建物はまだ残っている)
オーストラリアに不正入国しようとした難民を捕まえて、
男性はパプアニューギニアのマヌス島
女性はナウルという国に預かってもらっている
難民は悪いことした人たちじゃなくて、国家間の対立や国のせいで、母国から逃げなければならなくなった人たち
(マヌス島にいた人たちは中東が多くスーダン、シリア、アフガニスタン)
ここでの生活がいつまで続くかも分からない状況で自殺した人が相次いだそう、、、 そのため、ここマヌス島から約1ヶ月前に撤退して難民はいなくなった。
スーダンから離れた場所でスーダン人と
(私が今年の4月までスーダンで活動していたため)
会って色んな話を聞きたかったのに残念……
…と思っていたら、
昨日ホテルで難民の人と会いたかったのに残念と話をしていたら、1人残ってるよと教えてくれた
その人に連れていってもらうと
ついに出会うことができた
彼はハンモックに座って携帯で音楽を聴いていた
スーダンのメダニ出身で
ダルフールという紛争が起こっていた地域にいたため、難民となった
彼はスーダンの独裁政治の未来はないと考え、他の国へ行こうと決めたそう
初めはバスでエジプトに行き、
友人や家族が協力してくれて飛行機代を賄えた
その飛行機はマレーシアへと飛び、そこからオーストラリアを目指したそう
26歳のアダムは6年間ここにいて、いつここから出られるか分からない。
(自分の6年前はまだ大学生で、社会のことも知らない、理学療法の事も全然知らなかった)
これからずっとここにいなければならないかも知れない。
想像すると
未来が暗く感じる
しかし彼はマヌス島で初めて英語を勉強し始め、
現地語であるピジン語も学び、
現地の人たちに自然と溶け込めている
どれだけ多くの事を考え、
悩みを乗り越え
そして努力してきたんだろう
彼とは今後も色んな話をしていくだろう