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【考えるヒント】 狂った真人間 / 「ツイン・ピークス」

全米で大流行したテレビドラマといえば、いまでも「ツイン・ピークス」を思い出す米国民が多いだろう。1986年の映画「ブルーベルベット」を手がけたデヴィッド・リンチ監督が大いに関わっているテレビドラマゆえ、1990年から翌年にかけて異例の視聴率を記録した、いわば社会現象である。
このドラマの放送中に、リンチ監督はパルムドールを受賞した「ワイルド・アット・ハート」を発表している。この頃のリンチ監督の一貫したテーマは、白人という生き物の抱えている病理、であろう。
「ブルーベルベット」についての記事でも書いたが、リンチ監督は全ての登場人物を"頭のおかしな人"として造形している。これはスタンリー・キューブリック監督と共通した特徴である。こうすることで、当時の人びと、文化、社会の通念などを批判することができる。
では、白人にとっての通念を支えているものとは何かといえば、キリスト教である。キリスト教やそれによって裏打ちされた理性というものが力を持っている世界の、奇妙な側面を観客に見せようとしているのだ。
「ツイン・ピークス」でも主人公のFBI捜査官であるクーパー(カイル・マクラクラン)をはじめ、ほとんどの登場人物は何かに偏執しているか、頭の回転の遅い者として描かれている。リンチ監督は意図してこうした人物を配置することで、この理性とやらが支配している社会の現実を見せようとしている。つまり、あなた方観客は理性だの信仰だの、そんなことを言っているが、この登場人物たちのように、ただの偏執狂か、私利私欲にまみれた俗物に過ぎない、というメッセージだ。
ところが「ツイン・ピークス」にはリンチ監督の映画とは異なり、"ほぼまとも"に描かれている人物がいる。ホークと呼ばれるネイティヴ・アメリカンの捜査官、ジョシーと呼ばれる香港からの移民の女、そして嫌われてはいるものの、鑑識のローゼンフィールドである。ローゼンフィールドは名前が示すようにユダヤ系だろう。このように、白人以外の出自の者たちを例外として、残りはみんな頭のおかしい連中だという世界観である。
では、頭がおかしい、という表現で済ませてしまいがちな事柄とは、いったい何を指しているだろうか。リンチ監督はそれを偏執狂に代表させていた。何かのアイテムや行動に異常なまでにこだわる様、である。クーパーは常にオールバックで録音機を持ち歩き、パイとドーナツばかり食べる、といった人物描写によって、その偏執ぶりを表そうとしている。「ブルーベルベット」でも偏執がテーマだった。
そしてまた、性と金銭への執着もリンチ監督の重要なモチーフである。多くの登場人物がセックスかビジネスのことばかり話している。これは現代のアメリカを作り上げている基盤に当たる偏執だろう。
こうした人物たちをツイン・ピークスと呼ばれる街に配置して、そこで起きる出来事をあらゆる手法で撮影したものが「ツイン・ピークス」である。つまり、殺人事件の謎を解くミステリーでありながら、コメディでもあり、昼ドラでもあり、悪夢のようなシーケンスを導入したり、いろんな客層に響くよう作られている。これが流行らない訳がないだろう。
そして、少なくない観客はやがて気付くようになっている、すなわち、リンチ監督がこの舞台で伝えようとしていることは、白人という連中が大切にしている価値観や通念とは、こんなにも薄汚く、みんなどこかで狂っているんだよということだ。
こうしたモノの見方は僕と同じであり、デヴィッド・リンチ監督とはアメリカにおけるキューブリック監督のような人だと思う。つまり、理性の反対側に狂気があるという考え方ではなく、ちょうどコーヒーにミルクを入れるように、人間とは狂気のなかに理性を垂らしただけの生き物なのだから、どちらかだけを取り出すことはできない、すなわち、人とはみんな"狂った真人間"であるという考え方だ。

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