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”罪悪感”の向き合い方

生きていれば、様々な場面で罪悪感を抱くことがあります。

その種類も多種多様なもので、生きることすらしんどく感じる罪悪感もあれば、笑って済ませれる罪悪感もある。

そんな罪悪感は負債のようなものな気がします。罪悪感を負債として抱えることで、幸福感や高揚感を手に入れることができます。

僕は昨日、命を落としたくなるレベルではない、小さな罪悪感の受け入れを承諾することと引き換えに、最高の高揚感と私服の時間を手に入れました。


そのトレードが行われた対象となった物は、家系ラーメン。

そう、あの超こってり系ラーメンの、家系です。


大好きなんです。この家系ラーメンが。

こってりとした濃い味のスープと、少し太めの麺。それに、スープとよく絡み合う、申し訳程度のほうれん草。さらに、たいていのお店が白ごはんをおかわり自由で、時には無料で大量に提供してくれるわけです。

濃い味、脂っこい物が好きな自分にとっては楽園ともいえます。本当に最高のお店なのですが、とはいえ、いつも食べた後に強い罪悪感を抱きます。

「またこんな体に悪いものをガッツリ食べてしまった。。」と。


脂質と炭水化物のコンビは最悪

食べた後、特に1,2時間ほど時間が経って冷静になった時、賢者タイムかの如く自分を罪悪感が襲います。

それもまるっと含め、罪悪感覚悟で食べにはいくのですが、身構えていても後悔の念は大きなもの。

僕は筋トレを行っている手前、良質とはいえない脂質と炭水化物とのコンビが体にとって非常にまずいものであると、どこかで目にしたこともあり、より罪悪感を増幅させます。

だからこそ、毎週のように食べに行ったりはしませんが、3週間、4週間置きに食べちゃいます。

クセになる。


僕らは、この

「あ〜また太る、、やばいやん」
「めっちゃ体に悪いことをしてしまった」
「食べすぎて吐きそう」

といった家系あるある、しいてはラーメンあるあるでもある”罪悪感”を背負う代わりに、おいしさとそれに伴う気分の高揚感、満腹による頭の中お花畑状態を手に入れているわけですね。

こうやってちょっと理論的チックに考えてみると、薬みたいです。実際中毒性も半端ないですし。


”罪悪感”の償却方法

こうして罪悪感というマイナスを請負う代わりに、いっときの私服を手に入れるわけですが、これには償却方法も存在します。

今回のラーメンで言えば、次の食事や翌日の食事など、この後食べるご飯を非常にヘルシーで体に良いものにしてしまうという方法。

これは効きます。「食べ過ぎたぶん、これだけ体に良いことをしたんだ!」と気持ちを安定させることができます。

その代わり、食事に対する満足感や高揚感は差し出さなければいけません。


人生って非常にうまくできていますね。


僕も今日のお昼はオートミールで済ませました。

栄養価も高いので、本当に優秀なんですよ。ただ、満足感はやはり手放さないといけないな〜と。

人生は結局何かしらのトレードの連続なのだと再確認できた、昨日今日の話でした。


明日も筋トレがんばりましょうか。。。


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