我思ふ Pt.50
あぁ…何だか惜しい人が亡くなりましたね。
誰とはここで触れる気はないけど…。
というわけで少し重々しい話。
自死について。
話題がアレなんでおふざけ無しで。
サクッと言ってしまいますけど、私、過去に自殺未遂してます。
あと少し踏み留まるきっかけの訪れが遅ければこうしてnoteにふざけた投稿なんざしていませんでしたね。
本当に寸前で踏み留まりました。
踏み留まった後は凄まじい自己嫌悪と、歯がガチガチと鳴る程の震え、身体の硬直、貧血、軽度の失禁、そして高熱を出したかと思う程の悪寒に襲われました。
あの地獄のような感覚は今でも忘れません。
自殺という究極の解放を経て何に辿り着くかはわかりません。
宗教的な視点ですと恐らく地獄に辿り着くのでしょうか。
しかし、踏み留まった経験のある私の個人的な意見ですが、留まるのも地獄なんです。
だって「自分を追い詰める何かからは逃れる事は出来ていない」からです。
何日もうなされます。
自分を追い詰める何かは引き続き襲ってきます。
自己嫌悪は加速します。
留まった自分を置き去りにして時間は流れ、周囲の生命活動は淡々と行われていきます。
それを眺める惨めな自分がそこにいる。
「こんな辛いならやっぱり、この足を前に出すべきだったか。」
と、何度思ったことか。
だからここ数日のニュースやネット情報見て我思ふ。
どうか、究極の解放を選択した方を責めるような事を言わないでほしい。
もちろん家族は絶望的な悲しみや怒りもあるだろう。
それはわかる。
だけどもう十分だろう。
戦ったんです。
十分戦ったんです。
逃げではないんです。
逃げずに戦い、そして敗れたんです。
だから、悲しみと怒りをぶつけた後で構わない。
最後に言ってやってくれ。
「よく戦った。ゆっくり眠ってくれ。」と。
そして私から究極の解放を選択しようとしている方へ。
ありきたりな言葉で申し訳ないですが…
戦わなくていい。
逃げ出してもいい。
泣いてもいい。
助けを求めてもいい。
惨めでもいい。
戦わなければ敗北は無い。
逃げ出してしまえば辛くない。
涙を流してしまえば素直になれる。
助けを求めてしまえば要らぬ誇りを捨てる事ができる。
醜く惨めでも誰も見てはいない。
私の事例ですが、会社での立場をかなぐり捨てて逃げ出した。
戦う事を拒否した。
そして泣いた。
家でも会社でも泣き崩れた。
そして家にも上司にも全てを捨てて助けを求めた。
家族にも社会にも惨めな姿を晒した。
そうして今ここにいる。
私はその行為に肯定も否定もしない。
私にその権利は無い。
私にその悩みや重圧を理解してあげる事はできない。
どちらを選択したとしても私は言いたい。
「よく戦った。ゆっくり眠って。」