風雷の門と氷炎の扉③
「あ、また揺れ始めたわね。」
囲炉裏の前で木の根のような、芋のようなものを手に持ち、咀嚼をしながらウリュが辺りを見回した。
「おぉ…こりゃ凄い…大きいですね…」
ヒョウエは茶碗と木製の匙を手に持ったまま立ち上がった。
いつもより揺れが大きい。
「ヒョウエ、火を消そうか?」
「もう、ちょっと待ちましょう…」
しばらく待つとズドンと大きな横揺れが発生した。
「うわぁ!」
「ヒョウエ!火を消すわよ!?」
ウリュが火を消す段取りをしようとすると揺れは止まった。
「凄かったですね、今の揺れは…。」
「ふぅ…ヒョウエ、村人達は大丈夫かしら…。」
ウリュはヒョウエの方を向くと深いため息を鼻からついた。
『やはりウリュ様は若くてもこの家のお方だ。あれ程の事を言っておきながらしっかりと村人達の心配をされている。さすがだ。』
ヒョウエはウリュの頼もしい言葉に安堵するとその場に腰を降ろした。
そして無言でウリュの次の言葉を待った。
それを悟られぬ様にヒョウエは困惑の表情を浮かべた。
「ヒョウエ、食事が終わったら見に行きましょう。いい?」
「…。」
「ヒョウエ、いい?」
「あ、え?あ、はい…行きましょう。」
この心もとない返事もヒョウエの演技だ。
「よし、じゃあさっさと食べちゃお。」
「は、はい。」
ヒョウエはウリュに悟られぬ様に静かに笑みを浮かべた。
・・・
2人の住まいから村までは500m程度だ。
閑散とした岩の道を下っていくと盆地の様に辺りを小高い丘に囲まれた平地が広がり、村人達はそこに穴を掘り、住まいとしている。
ウリュの速歩きにヒーヒーと情けない呼吸をしながらヒョウエがついて来ている。
「もう…体力無さ過ぎ…。」
「いやはや…情けない限りですよ…ハァハァ…。」
ウリュは後ろのヒョウエに目もくれずに小声で罵倒した。
ヒョウエはヨロヨロとした足取りで一生懸命ついて来ている。
常に薄暗いこの世界は昼も夜も無い。
そして日時の概念も無い。
腹が空いたら食事をし、眠たくなったら眠るだけだ。
今は恐らく食事の時間なのだろう。
無数に広がる穴の中から火の灯りがポツポツと見え、白煙が昇っている。
「うん、村人達は無事みたいね。火の…煙が上がってる…。」
「えぇ…。騒ぎも起きていないようですね。」
そよそよと微風が流れていく中、2人は上から村を見下ろす。
「綺麗よね。今こんな状況なのに…。」
「えぇ…美しい村です。美しい風景です。」
「下に行きましょ、ヒョウエ。」
2人は村へと下った。
ヒョウエの足取りは相変わらず重い。
演技ではなく本当に重いのだ。
2人は村へ下り立つと、最初の穴の住人に声をかけた。
「さっきの地の揺れは…大丈夫だった?」
ウリュは穴の中で中腰で火を炊き食事の支度をしている中年の女性に声をかけた。
髪の毛は白髪混じりであるが目鼻立ちはくっきりしている。
この穴には1人なのだろうか、他に人はいない。
「別に問題はありませんよ。ウリュ様こそどうしたのです?」
「心配で…見に来たの。」
ウリュは穴の中に入ると、その中年の女性の顔を見た。
「いやいや、こんなところに顔を出すって…。ウリュ様のような立派な方が…」
その中年の女性は呆れた様な、小馬鹿にした様にため息をつき、ウリュから顔を背けた。
しかしウリュも挫けない。
「私の村よ。心配しちゃ悪い?」
「心配…ね…」
「何か言いたそうね。あなたから見たら私は小娘よ。言いたい事があるんなら言いなさい。」
中年の女性は火にかけた器とウリュの顔を交互に見て、最後に目を伏せると静かに呟いた。
「いや、…何も…。」
「なら質問にだけ答えればいい。嫌味な態度は求めてないわ。」
「ウリュ様…行きましょう。」
ヒョウエは怒髪天を突く寸前のウリュを宥めた。
ウリュはヒョウエの顔を見ると、無言で頷き穴から出た。
そしてウリュはその中年の女性に聞こえるような声でヒョウエに言った。
「私は役立たずだからね。仕方がないわ。こんな態度取られても仕方がないわね。」
「ウリュ様…行きますよ。」
ヒョウエに宥められたところでウリュの怒りは止まらない。
「1人に全てを委ねるくせに、何も協力しようともしない。そのくせ嫌味な態度を取る。最低。なんでこんな奴を守らなきゃいけないの?馬鹿みたい。」
ウリュはヒョウエに向かって言った。
そしてヒョウエはウリュの背後に睨みを効かせている中年の女性の顔を見つける。
怒り、悲しみ、苦しみ、妬み、その他負の感情を全て纏ったようなゾッとする表情だ。
「お、…おい、何か言いたそうだな。本当の事を言われて腹が立ったのか?ウリュ様の代わりに私が聞いてやろう。何か言いたい事は無いのか?」
ヒョウエは恐怖を押し殺して穴から覗いている中年の女性に声をかけた。
その言葉にウリュは反応し、後ろを向く。
「何よ…。」
ウリュは力の無いセリフを吐く。
そしてその中年の女性はウリュのセリフに反応する様に口を開いた。
その口に水気はほとんど無い。
「協力をしないだって?何を言って…るんだか…あたしがなぜこんなとっぱずれに住んでるか…あんたらにわかるかい?元々ここには穴は無かったんだ!あんたら村に降りてきてあぁだのこうだの偉そうに言うけどここにあたし達が移り住んだ事すら知らなかったんじゃないか!あぁ!?その程度なんだよ!あたしの価値も!あんたらの目もだ!私の村だと言うならなぜあたし達がここにいるかも当然分かってるんだろね!」
「ど、どういう事だ…?」
ヒョウエは目を丸くしてその中年の女性を見つめた。
その中年の女性は般若の如き険しい顔でヒョウエとウリュを交互に一回づつ見ると激しい口調で続けた。
「やっぱり!なんも知らないんだね!…分からないのかい!」
「ど、ど、どういう事だと聞いている!!しかもウリュ様に失礼だ!口を慎め!!」
ヒョウエは精一杯の虚勢を張ったが、もはや目で負けてしまっている。
中年の女性はヒョウエの泳ぐ目を見ると今度はウリュの方を見て真相を話し始めた。
「あたしはね…生贄みたいなもんさ。」
「生贄…?」
ウリュの問いにその中年の女性は舌打ちをすると再び激しい口調に変化した。
「ここはね!村のとっぱずれだ!あんたらがへましてサンをこちらに侵入させてしまった時の…あたし達は…あたしは!時間稼ぎだよ!!」
「ば、馬鹿な…なんて事を…。」
ヒョウエはそう言うと、しゃがみ込みその中年の女性に近寄った。
「分かったか!村の長気取りの小娘が!!そのくらいあんたらは信用されてないんだよ!!あんたらの信用が無いからあたし達みたいな人間がこうやってサンに殺されるのを待ってるんだよ!見ろ!この列に住んでる連中はみんなただの生贄だ!!」
「…。」
「…。」
ウリュとヒョウエは中年の女性が指差した横方向を見渡すと綺麗に横一列の穴があり、その穴はかなりの数が確認出来た。
食事の支度をしているのか、煙が上がっている穴、火の灯りも無く寝静まっているかと思える穴、又、穴の外でぼけっと座り込んでいる者もいる。
「詳しく聞かせて。」
ウリュはその中年の女性が住まいとしている穴に再び入ろうとした。
しかし、中年の女性はそれを拒むように怒号を吐き捨てた。
「あんたらに聞かせる話なんか無い!ふざけ…」
「ふざけてなんかない!!」
ウリュも負けじと大声を上げた。
ウリュは真っ直ぐその中年の女性を見つめながら穴へと降りて行った。
恐る恐る、まるで猛獣の檻に入るかのようにゆっくりと降りて行く。
「あなた一人の事情なんか知らないわ。興味も救う気も無いわ。生贄と自覚があるなら勝手に生贄になればいい。」
「この小娘!!」
中年の女性はウリュに掴みかかろうとした。
その顔、その様は本当に猛獣のようだ。
しかし、ウリュは腰に挿した刃物を咄嗟に鞘から抜くとその中年の女性の首元に添えた。
「生贄になる前に死ぬ事になるわよ。」
「ぐっ…」
中年の女性は静かにゆっくりと掴みかかろうとした両手を下に降ろした。
その様子を見たウリュは静かな口調で話し始めた。
「あなた一人ならどうでもいい。あなたの事は嫌い。嫌味で本当に嫌な奴。でもあなた以外にも生贄として存在している人間がいるならまとめて解放してあげたい。私達が不甲斐ないからこその存在なのだから。」
中年の女性の戦意が喪失したのを確認したウリュは刃物を鞘に収めた。
「生贄という存在から解放されたいのであれば素直に情報を話してほしいとウリュ様は申しているのだ。お前は解放されたくないのか?どうなのだ?」
ヒョウエが諭すと、その中年の女性は観念した様子でひらひらと力無く手招きして2人を穴へと招き入れた。
・・・
「簡単な話でしょうよ。子どもを産めない女と盗みをやった奴は同じなのさ。村の中心から追い出されてここで生活してんの。」
その中年の女性はため息をつきながら器に入った汁物をすすった。
「なんで…そんな…」
ウリュは拳を握り締め、その拳を震わせた。
「あたしの名はクウリ。村の男はほとんど食い漁ったよ。でもね、子を宿す事は出来なかった。そして気が付けば誰も抱いてくれないただのババアになった。使い物にならなくなったらこのザマだよ。それにしても…あんたら…本当に村の事なんも知らないんだね…。」
クウリは疲れた笑みを浮かべた。
嫌味な笑みではなく、ただ本当に疲れたと言いたげな笑みだ。
「この辺りに住まいがある事は知っていた…が…まさかそんな役割を…信じられん…。」
ヒョウエはクウリから目を反らせた。
「確かに。私達…お父様もお母様も村の視察をする時ここは素通りしてた…かも…」
ウリュもヒョウエと同じ行動をした。
「そんなもんさ。盗人や喧嘩で人を怪我をさせたとか…そんな奴らと子どもを産めない女は同じ扱いなんだよ。ウリュ様、あんたの両親もここは素通りさ。別にいいけど…。」
「クウリ、私は両親がいなくなって間もない。言い訳じゃないけど…だから…あなたの言う通り何も知らない。だから教えてほしい。この村の事を。もっと詳しく教えてほしい。私も、女だから…その…クウリみたいな扱いを受けるのは許せない。」
ウリュは真っ直ぐな目でクウリを見た。
「…そう…。」
クウリは疲れた目を下にやり、汁物が入った器を地に置いた。
「お願い、クウリ。私も女よ?あなたと同じ。だから何でも話して?」
「私が邪魔なら出て待っていても良い。」
ヒョウエはニッと微笑んだ。
「そうかい…。あんたら家長の集会じゃ随分と醜態を晒したそうだね。情報が欲しいとか何とか…」
「何か知っているの?」
「いや…あんたらの欲しい情報は無いかもしれないよ?」
「何だって構わないさ。クウリ、ウリュ様に話してやってくれないか?な?」
ヒョウエの人懐っこい笑みがクウリの心を溶かしていく。
「なら、少し話をさせてもらおうかね。白湯を沸かす。少し待ってて。」
クウリは鍋のような器に水を注ぐとそれを小さくなった火にかけた。
「生贄か…しかしそれほど我々は信用が無いという事なのか…?チゼの存在も知っているはずだが…」
ヒョウエは顎に手のひら当てて考え込んだ。
「信用が無いという事になるね。まぁ生かされているだけましだよ。最低限の木くらいは配られるからね。」
クウリは奥から焚き火に使う木を手に取った。
木は貴重な燃料として扱われている。
木を採取して良い人間は限られ、そこから村人に配給されるのだ。
「あんたらは村を守る存在だけど村長とは違う。」
クウリは木を焚べながら言った。
パチパチと木の爆ぜる音が心地良い。
「クウリ…。」
ウリュは顔をしかめてクウリを見つめる。
クウリは無言で小さく、古めかしい木の器2つに沸いた湯を注ぎ、ようやく重い口を開き始めた。
「あんたはこの村の守り人、戦神だ。それはあたしも認めるよ。だけど村の統治はしていない。あんたの両親もそうだった。」
クウリの言葉にウリュは奥歯を噛み締める。
紛れもない事実だ。
返す言葉は無い。
「人…人って奴は本当に愚かだよ。あたしを含めてね。いざこざって人が2人もいれば簡単に起こる。」
クウリの口からウリュとウリュの両親が知らない凄惨な村の歴史が淡々と語られた。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新予定は本日から7日後を予定しております。
筆者は会社員として生計を立てておりますので更新に前後がございます。
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