down the river 第三章 第二部〜飛翔③〜
瀧本からユウにメンバーチェンジしたBlue bowの人気は凄まじかった。
演劇や、プロレスの様なステージパフォーマンスにより観客の心を掴んでいた瀧本に対し、感情を剥き出しにしてその思いを鉄の塊の様に重く叩きつけるユウは、歌そのもので観客の心を掴んでいた。
音楽性も随分と変わった。
パンクっぽさが一切無くなり、スローでヘヴィで美しい旋律が際立つ曲調となった。
寝ぼけた様な元田と無愛想でつっけんどんな花波がどうしてこの様なシンクロを生み出すのかと不思議になるほど2人のツインギターは美しい。
曲間のマイクパフォーマンスは基本行なわない職人気質なライブであるが、だからこそ曲の美しい旋律とメッセージ性が響き渡る。
「凄い…な…。」
曲間の静けさの中、真理の隣で百合子がその凄まじさに思わず声を漏らした。
「ね?百合子ぉ、凄いでしょ?私こっちの方が好きよ?」
真理は得意気に鼻息を荒くしているが百合子の反応は冷ややかだ。
「真理から言われてもね…。そりゃ彼氏の方がいいに決まってるよ。でも…確かに…これ凄い。」
「今日はみんな来てくれてありがとう。新しいBlue bowを受け入れてくれて本当にありがとう。」
ユウが最後の曲を前にして唐突にマイクに向かい話を始めた。
「これからどうでもいい独り言を言う。聞く聞かないは自由だ。俺は同性愛者…いや、両性愛者だ。」
初めて新生Blue bowを見た観客や初めて新生Blue bowとブッキングしたバンドの観客からどよめきが、まるでミミズの大群が地を這う様に会場に湧き起こる。
「同性からレイプされて、その友人からも犯された。色んな奴から本当にむちゃくちゃな事をされた。それから…わかんなくなったんだ、自分の性別がな。男も愛し、女も愛せる。いや、愛しているのか、愛されているのかも分からない。その特異な俺の性って一体なんなんだよって。そう悩む度に頭の中がゴリゴリと擦れる音がするんだ。背骨に…こう…直接ヤスリをかけられている様な…」
真理は顔をしかめて、瞳に美しい涙を浮かべている。
「新田さん…大丈夫よ…私が…私がいる…私が守る。大丈夫…大丈夫だよ…。」
真理はそう小さく呟くと豊満な胸の前で両手を組み合わせて、顔を下に向けた。
「皆は…当たり前に男は女を好きになり、女は男を好きになるんだろう。だけどそうじゃない奴もいる。そして、実は…本当は男なのに男が好き、本当は女なのに女が好き…それを隠してる奴もいるんだろう。ここにもいないか?なぁ…いるだろう…。大丈夫…。俺がいる。俺がいるよ。隠さなくていい。汚れきった俺がここにいる…。ここに立ってる。辛くても、悲しくても、俺はここに立って、皆を待ってる。そして必ず救いは訪れる。俺にも訪れたんだ。夢も絶望も、出会いも別れも、恥ずかしさも、受けてきた屈辱や痛みも…全部受け入れて愛してくれる人が今の俺にはいる。その人の前では、全てをオープンにする事ができて、全てを皆に伝える事を許してくれる、そんな優しい異性が俺の元にはいる。俺は、男も女も愛せて良かった。見れたんだもん。普通の人間が見れないその景色を。皆も見なきゃ、自分の目で、皆のその目で。全部だ。人になんか託すな。後ろも、横も見るんだ。どんな急流を下っていてもだ。最後の曲…川下り…。」
ユウの最後の曲の前の演説は早口ながらも重厚感溢れる内容だった。
最後の曲を始める前のマイクパフォーマンスとしてはあまりに衝撃的で、あまりに重い内容だ。
しかし、その効果は絶大だった。
衝撃的で重い内容だが、自分はそれで良かった、自分はそれで普通は見れない景色を見た、見る事ができたという前向きな結びだ。
つまり最初の衝撃的な内容で群衆の耳を奪い、更に重い内容で群衆の頭を空っぽにする、そして前向きな内容で自己肯定を促し、演説の内容を肯定させる、自己肯定感に酔うその空っぽの脳内に直接最後の曲を大音量で流し込むというプロセスだ。
これをユウは無意識ですんなりとこなしている。
尾田尊が天才と呼ぶユウの恐ろしい一面だ。
そしてここにその洗脳とも取れるプロセスにしっかりと染まり切った人間がいた。
「自分の目で…見る…。普通の人間が…見れない景色を…私にも見える…の…か…な…?見てもいいのかな…私も…普通じゃ見れない世界、景色…。」
将来を見据え、自らの選択の幅を持たせる為に勉学に励み、頭脳で戦いに挑み続けてきた。
友達とカラオケ、お喋り、お出かけ、ショッピング、同年代の人間が当たり前にする楽しい遊び全てを犠牲にしてその戦いに勝利し続けてきた。
当然の事ながら恋愛もそうだ。
恋愛をして一番楽しい時期を勉学に捧げてきた。
そう、天澤百合子だ。
そんな百合子の唯一の楽しみはこのFRIDAYで瀧本がフロントマンをしていたBlue bowのライブを見る事だったのだ。
瀧本がバンドから追われた時のショックは計り知れないものだった。
ステージ上の瀧本を見る事が出来なくなったそのショックを引き摺り百合子は今日この場にいる。
「私…何を…?何をして何を見てきたの…?瀧本さんをバンドから追いやった両性愛者の新田くんの方が…色んなものを見てきたっていうの?私だって見たい…勉強してきたのも…成績トップクラスをキープしてきたのも…全部見たいからなのに…。ひどい…ひどいよ…神様…。ねぇ…新田くんが見た景色は…私には見えないの?」
百合子はユウが両性愛者である事は友人である真理から聞いていたし、さほど大きな衝撃を受けなかったが、今回のマイクパフォーマンスの内容は初耳であり、百合子の心に小さく渦を作るきっかけを作ってしまったのだ。
「ハァハァ…。ひどいひどいヒドイヒドイヒドイ…」
「ゆ、ゆり、百合子?」
百合子の優しい目が赤く充血し、急角度に吊り上がるという不気味な変化を見た真理は背中に冷たいものを感じ、最後の曲である川下りが爆音で流れている中で咄嗟に距離を取った。
「真理…あなたが好き…あなたの彼氏が悪い…我慢してきたのに…あなたの彼氏がいけないの…。」
最後の曲、川下りは淡々と演奏され、歌われる中で百合子は真理に聞こえない声量で呟いた。
川下り
泉は突然現れる
そこで出会い手を取り合う
血だらけで山を下る
でも君は言った
前を向かなくていい
羽ばたかなくていい
それだけだと
Down the river
目を閉じて
その身を沈めて
Down the river
使命など
かなぐり捨てて
Down the river…
君は小さな意味をくれた
そこで出会い歩き始めた
生まれ変わりに胸踊らせ
でも君は消えた
体温だけを残して
思考だけをその場に置き
海へ消えた
Down the river
見なきゃ
僕が今の目で
Down the river
行かなくちゃ
君を歌う為に
Down the river
1人の
僕をさらけ出して
Down the river
海へ
その手を伸ばして
幾重にも重なる夢を切り落とし
剣の血さえやがて水となる
鉄を噛み千切る力も無いけど
僕は海を目指す
Down the river…
Down the river
見なきゃ
僕が今の目で
Down the river
行かなくちゃ
君を歌う為に
Down the river
1人の
僕をさらけ出して
Down the river
海へ
その手を伸ばして
Down the river…
「真理…。」
百合子はガシッと真理の右手首を強く掴んだ。
「ヒッ!ゆ、百合子!?な、何!?」
川下りの演奏は続いている。
「あなたは…真理は小さな意味をくれた…出会って歩き始めた…私は生まれ変われると思ったわ…でもあなたは消えた…体温と思考だけ私の元に残してね!!新田優の元へと!!そのまんまの歌詞ね、これ!アハハ!真理…あなたが好き、大好きよ?」
「止めて…百合子…い、痛い!手首痛いよ!」
百合子はそのまま真理をトイレへと引き摺り込んだ。
「ここならちゃんと話が聞こえるわね…真理。」
「ま、待って、百合子、全然わかんないよ…。何?私…何かした?」
百合子はそのまま真理との距離をゼロにして、身体を密着させると、唇同士が触れる寸前のところで話を始めた。
「全然聞こえてなかったの?」
「本当に止めて…何も、…何も聞こえてないよぉ…。止めてよぉ…。」
「新田くんの話を聞いて分かったの。分かっちゃったの。私…何も見れてない。何も得てない。なんの努力も頑張りも実を結んでないわ。我慢してきたの、何もかも。それなのに何も我慢してない新田くんが色んな景色を見て、色んな世界を見てきた。そんなのあまりにも理不尽だわ。だからそれを解放するの。真理…かわいい真理…あなたが好き…前からずっと…。」
「嘘よ…百合子は違うよ!新田さんに嫉妬してるだけ!百合子は普通に男の子が好きなはずよ!?私だって新田さんが好き!百合子は友達!自分を偽ってまで見れない景色を見ようとするなんておかしいわ!?そしてその為に私を利用するなんてあんまりだわ!?友達でしょ!?」
「真理…好き…。」
「止めて…よ…百合子ぉ…」
・・・
「お疲れ様でした!モッさん、花さん、ヤムさん!今日はありがとうございました!」
「はいよ、お疲れさん。今日も凄かったね。なんかこう…宗教…うん、教祖みたい。日に日に凄くなってんな、内容が。」
元田は心底そう思っている様だ。
冗談で言ってる顔ではない。
「気を付けて帰ってね。彼女ちゃんと送ってあげな?ね?」
矢村はユウの肩にポンと優しく手を置き、優しい口調でユウに語りかけた。
花波は相変わらず無愛想だ。
無言でその様子を見つめている。
しかしその目はどこか穏やかであり、決して険悪なものではない。
その花波が突如ユウの後ろに視線をやった。
そしてその表情は不安気なものへと変化していく。
それに気が付いたユウは花波へ何事かと尋ねた。
普段無愛想であまり表情の変化が見られない花波の表情が、距離のあるユウにでさえわかる程変化していたのだ。
「花さん?どうかしたんですか?」
「彼女…お前の…なんか変だぞ?行ってやれよ。ユウ。」
ユウは花波が指差す方を見るとフラフラと妙な足取りで明後日の方向へ歩く真理が見えた。
「え?真理?えぇとあの、皆、今日はありがとうございます!じゃ、俺行きますね!」
ユウはメンバー達にもう一度軽く挨拶をすると、急いで様子のおかしい真理の元へと駆け寄った。
「真理!真理。どうした?何でこっちに来ない?」
「なんか…その…うん…」
「真理?」
「確かめてほしいの、私を。」
「真理の何を確かめるんだよ。」
「私っていう人間が新田さんの隣にいてもいい女なのか。それを確かめてほしいの。」
「何を言ってんだよ。隣にいてもいいもクソもない。いてほしいんだよ。確かめる必要なんか無い。」
ユウの言葉を聞いた真理は嬉しそうにニカッと笑うと自らの股間に人差し指と中指を添えた。
「濡れてるの…新田さん…。」
「ま、真理?どうしたんだよ。」
「悪い子でしょ?だからおしおきしてほしいの。濡れてる理由はおしおきしてくれたら話をするわ。」
「そんなんで悪い子だなんて思うわけないだろ?それでお前が悪い子だってんなら俺は大悪人だ。」
「傷付けてほしいんだ…。新田さんに…私の飼い主に傷付けてほしいんだよ…殴ってもいいし蹴ってもいい。新田さんに傷付けてもらって、その…確かめたいんだ…自分の性ってものを…。」
「…。」
真理は元々マゾヒスティックなところがある。
ユウもそれは理解しており、それを満たしてあげようと合意の上でSM行為の様なものをしたりはしていた。
しかしこれほどまでに切実に傷付けられる事を望んだ事はいまだかつてはない。
「真理…。」
ユウは真理の細い首に手を当て、ゆっくりと首を絞めていった。
汗でヌルリとした真理の首にユウの指が食い込んでいく。
「ウッ…クッカ…ハッ!グ…ゥ…もっとぉ…ゲックッ…新田さん…」
「真理…何があったんだ?真理…」
「カハァ!せ、性…クフッ…性別…性って…むず…むず…難しいね…教えて?あ、らた…さん…」
ユウは何かを悟り、首から手を離すと、真理を連れて町へと消えて行った。
※いつもご覧いただきありがとうございます。down the river 第三章 第二部〜飛翔④〜は本日から6日以内に更新予定です。
(今回も6日期間をいただきます。ご了承のほどよろしくお願いします。)
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今後とも、本作品をよろしくお願いします。
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