down the river 第三章 第一部〜False revolution〜
土曜日の朝、清々しい程の晴天だ。
何度かのミーティングを経てボランティア活動の本番を迎えた。
この時期では珍しいくらい雲一つ無い晴天の中、ブスッとした顔でユウは始発から2番目の電車に揺られていた。
『眠いなぁ…俺は部活やってねぇんだぞ…しかもなんで皆休みの日に俺らだけ学校集合なんだよ。第1土曜か第3土曜の午後にやりゃいいじゃねえかよ。そしたらお前、学校行ってそのまま昼飯食ってボランティア活動やりゃいいんだろ?先生もその方が楽だろうが…。生徒会も少し頭使えよな…ったく。』
(この時代は隔週で週休二日制であった)
朝からユウの心の中では愚痴が止まらない。
しかも自分よりも明らかに色々な部分が優れているであろう生徒会役員に向かってつく悪態にしては度が過ぎている。
『あぁもう、真理さんもあれからあんまり話しかけて来なくなっちったしなぁ…まぁあれは仕方がないよなぁ。まぁね、あんな美人さんとどうこうなれる程俺の魅力は無い。だからまぁせいぜい目の保養に使うって感じでいいんじゃねえかな。ハッキリ言ってうざいとこあるからね。眺めてるくらいがちょうど良いわな。あの、ほら、水着とか着てさ、雑誌とかに載ってるじゃんか。あんなんでいいんだよな。あの人は。』
ユウは1人でベラベラと訳のわからない事を心の中で呟きながら流れていく景色をぼんやりと眺めていた。
週休二日制が導入されてまだ間もない土曜日、早朝の電車にユウのくだらない話を聞いてくれる人は100%いない。
元々ほぼ100%ではあるがこの状況ではよりクリアな100%であると言わざるを得ない。
未来への貢献など皆無な時間は過ぎて、ユウは気が付くと第2生徒会会議室に座っていた。
生徒会役員とこの文武両道を要とする進学校において落ちこぼれと呼んでも差支えないメンバーは全員席に着いており後は生徒会担当の教員を待つだけという状態だ。
世間一般は休日である中、ここにいるメンバーはその休日を半日献上してボランティア活動に勤しむわけである。
生徒会役員以外のメンバーはどの角度から見ても皆不機嫌にしか見えない。
「先生遅いなぁ。」
生徒会長である尾田の弟、和志はボソッと呟くと壁掛け時計に目を向けた。
誰も和志の呟きに反応する事なく、空虚な時間がぼんやりと流れていく。
『本当遅ぇよな、ったく。生徒が遅刻したらもうお前殺しちまうくらいの勢いで詰め寄って来んのにてめぇが遅刻しても罪に問われねぇってどういうこったよ。』
「遅いですよ。先生。皆揃ってます。生徒が遅刻したら怒るでしょう。生徒の模範である先生が遅刻してどうするんですか。」
ユウは自分の心中を代弁した和志の強い口調にハッと気が付くと、第2生徒会会議室の入り口にみすぼらしいジャケットを羽織った小柄な中年がバツが悪そうに立っていた。
「いや、申し訳無い、尾田。言い訳のしようが無ぇや。犬塚、プリント刷ってきたぞ。ほら。」
真理は満面の愛想笑いをその教員に向けた後、受け取ったプリントを無言で全員に配り始めた。
「頼みますよ。今日お邪魔する保育園と約束している時間だってあるんですから。それに遅れた原因が教員の遅刻なんて言ったら先生だって困るでしょう。」
和志の追撃は止まらない。全部言い切るまで気が済まないといった感じの勢いだ。
「あぁ、尾田、悪かったよ。説教は後で聞いてやる。それよか始めよう。」
その教員は1番端に座っていた真理の隣の席に腰を下ろした。
立ち振る舞いや座った場所等を鑑みるとあまり干渉しない教員の様だ。
「相変わらず反省の色が無いなぁ。まぁいいでしょう。皆さん改めておはよう御座います。」
和志の挨拶に落ちこぼれグループはまばらで気の抜けた挨拶を返した。
「今日はしっかりボランティア活動をしていきましょう。今日は火曜日のミーティングで話した通りS保育園の園庭掃除です。犬塚が配ったプリントを見て下さい。各グループに別れてやります。えぇと、1年生はAってエリアね。で、2年生はBって書いてるとこ。僕と中村会計が2年生のエリアに入ります。後、森副会長と、犬塚書記は1年生を手伝って下さい。細かい事は生徒会役員か宮本先生に聞いてください。よし、じゃあ早速行きましょう。先生軍手は?」
「あ、俺の車に積んであるよ。現地に着いたら渡すよ。あぁっとそこの2年女子、長袖あるなら着てこい。虫にやられても知らないぞ。」
宮本という生徒会担当であろう教員はぶっきらぼうに吐き捨てると、さっさと席を立ち会議室から出て行ってしまった。
「はい、じゃあ行きましょうか。」
和志の言葉に全員席を立つと、S保育園へ歩いて向かった。
列を成して生徒会役員以外は肩を落とし、学校指定の体操服、ジャージという同じ姿でトボトボと力無く歩くその様子は囚人そのものだ。
ユウは列の真ん中でそう思いながら眠い目を擦り、歩みを進めた。
この集団の気持ちとは裏腹に、太陽は明るく、暖かく輝いていた。
・・・
「おはようございます。今日はわざわざすいません。助かりますよ。今日は私、三木と園長先生の2人しかいないんです。本当でしたら職員総出で出迎えないといけないところを…本当に申し訳ありません。」
あまりにも明確な社交辞令と言える台詞にユウは軽く吹き出してしまった。
「申し遅れました、私職員の三木と申します。今日はよろしくお願いします。」
三木と名のるその職員の年齢は20代後半か30代前半といったところだ。
左手の薬指に傷だらけの結婚指輪が鈍い輝きを見せている事から、かなり若い頃に結婚して今に至るという事が推理出来る。
育ちが良さそうな仕草や立ち振る舞いは、わざとらしく見えず、ぶりっ子と呼ばれるそれとは明らかに一線を画している。
「休憩時間になりましたら私にお声をおかけください。」
三木はそう言って一礼すると職員室へと戻っていった。
職員室の扉がパタンと音を立てたと同時に和志が仕切り始めた。
「それじゃあ早速園庭の掃除…と…聞いていたんだけど…どうやら花壇と園廻りの雑草抜き、草刈りがメインみたいだね…。なんか話と違うな…まぁいいや、学年とエリアで分けていたけど全員でやっちゃおう。すぐに終わるよ。宮本先生から軍手をもらったらすぐに取り掛かろう!」
『なんでこいつはこんな元気なんだ…。土曜日だぞ?休日の土曜日だぞ?頭おかしいんじゃねえのか?兄弟揃って変わり者だな、こいつら。』
ユウは心の中で悪態をつきながら軍手を受け取るとしぶしぶ奉仕作業を開始した。
『暑い…虫もいないし上着…脱ごうかな…。』
作業を開始して10分経過したところでユウはあまりの暑さに上着を脱ごう、脱いでもいいものか、他の人間はどうしているのかとしゃがんだ状態からゆっくりと立ち上がり、辺りを見回した。
そこでユウは衝撃の光景を目の当たりにする。
『ま、真理さん…。』
ユウから数メートル程離れた位置で半袖の体操服にハーフパンツ姿の真理が輝く短髪を揺らし作業をしていた。
額には薄っすらと汗が光り、体操服の下にはブラジャーが透けて見える。
肩紐は体操服に凹凸が出る程のフリルが付いていた。
『透けるのを分かってて?こんなん着けてんの?だとしたら相当やらしいか、相当なバカかどちらかだな…。』
ユウのいやらしく、粘り気のある視線に気が付いたのか真理はユウの方向をクルリと向いた。
「ま、真理さん、あ、暑いですね。ホント…タハハ…。」
「う、うん、暑い…ね…。新田、汗、…汗凄いけど大丈夫?」
ユウが真理を怒鳴り上げてからまともに口を聞いていなかった為か、会話はたどたどしい。
火照った顔色の真理はより爽やかに見えた。
見方によっては情事を終えた表情にも見える。
「はい、大丈夫ですよ。真理さんは?大丈夫ですか?」
「ん…。元々身体動かすの好きだし。私は大丈夫。」
「そうですか…。」
ユウはこれ以上会話の広がりを期待出来ない事を悟ると再びしゃがんで作業を再開した。
それを見た真理も黙って作業を再開した。
『俺はこの高校で孤独だ。そしてこれからも変わらないだろうし変えるつもりもない。白い目で見られるのも慣れた。ならば俺はどうする?どう生きる?ヒデも、さと美もいない、いるのは幼馴染のタカちゃんだけ。俺の特技…魅力…タカちゃん…哲哉…神…栗栖…俺の…俺の…俺は…』
ユウは思考の中で結論に達する事なく、ぐるぐると数々の経験を思い起こしていると勝手に身体と口が動いた。
「真理さん。」
「ど、どしたの?新田。」
ユウは腰に巻いたジャージの上着を解くと、バサッと広げてしゃがんでいる真理の背中にかけた。
「ち、ちょ、な、な?え?あ、暑、暑いっの、は?え?」
真理の顔は一気に紅に変化し、慌てふためいて立ち上がろうとした。
しかし慌てた事が災いし、足がもつれそのまま尻もちをついてしまった。
尻もちをつき、大股を開いた状態の真理をユウは見下ろして歩み寄ると真理は再び顔を紅に染めて、小さな口をポカンと開けた。
「臭くないですか?臭かったらすいません。」
「そ、そ、そ、そんな事ない…ヨ…デモナニコレ…ナニ…あたし暑いのに…。」
真理は片言になった日本語を小さな口から放つと下を向いてしまった。
『暑いと言いながらも真理さんはジャージを剥ぎ取らないな。これは…ちょうど良い。試させてもらうかな。でも本当に勝手に身体と口が動いたな…ちょっと怖いな…これから気を付け…』
ユウは身体と口はまたもや思考の途中で勝手に動き出した。
ユウはしゃがみ込むと下を向いている真理の耳元に顔を近付け、小声で何事かを呟いた。
「はぁっ!あ…ん!」
真理はまるで感じてしまった様な声を上げるとユウのジャージに包まり、胸を隠した。
そして体勢を変えずに怯えた様な顔でユウを睨み付けた。
「すいません、びっくりさせちゃって…でも、皆に見られたくなかったんです。」
「でも、…新田は見た…でしょ?」
「でもって…放っといた方が良かったですか?」
「それは…」
「放っといた方が良かったってんなら返して下さい。」
ユウは真理が包まっているジャージを掴むと軽く引っ張った。
返さないのを分かって、わざと軽く引っ張ったのである。
「それは…ダメ!」
真理は身を捩り、ユウの手を払った。
予想通りの反応にユウはニヤついた。
「真理さん、そのジャージを羽織ってて下さい。真理さんのジャージ取りに行ってきます。どこに置いてあるんです?」
「三木先生がいる…職員室…。」
「わかりました。取ってきますよ。」
ユウはゆっくりと腰を上げると真理に背を向けて職員室へと歩き出した。
その顔は醜い満面の笑顔を携えている。
「新田…見た…でしょ?こ、こた、答えて!」
ユウは真理の声に足を止めると、醜い笑顔を真顔に変化させて振り向いた。
「ねぇ…新田…答えて…。」
「見たというか見えました。彼氏が羨ましいです。そんなかわいい下着姿の真理さん見れるんですからね。」
「いないよ!彼氏なんて!」
「そうですか。じゃ、取ってきます。」
「あの…ありがとう…新田…」
ユウは真理のお礼に反応せずにその場を後にした。
『ハハハ!これはこれで楽しいな!ハハハ!なるほどね!なるほど!恋愛話とかでバカ騒ぎしてる連中の気持ちはわからなくもないね!ハハハハ!』
ユウは再び醜く歪んだ笑顔を作り上げると職員室へと向かった。
・・・
「新田…本当にありがとう…。」
真理はユウが取ってきた自分のジャージの上着を着てペコリと頭を下げた。
「いえ、びっくりさせてすいません。」
「いいの。ありがとう。私、ブラジャー丸見えで草抜きしてたんだ…。へへへ…バカみたいね…かわいいブラ買っちゃったもんだから…嬉しくて…。」
『お?やっぱこいつこうなるか…。わかる。わかるぞ?俺…女の子の気持ちがわかる!やっぱり思った通りだ!顔が赤い…息が荒い…。フフフ…。俺は女だ。女扱いされてたんだ。そしてこの女は…今…こんな気持ちでいるはずだ…。』
「真理さん。」
「ん?」
「凄くかわいかった。真理さんによく似合ってると思いましたよ。恥ずかしかったでしょうけど本当に素敵でした。かわいい真理さんによく似合うかわいい下着でした。元々真理さんはかわいいんだけどあの下着を着けてたら何倍もかわいいです。」
「そ、そんな…。」
真理は顔を斜め下に向けて目を閉じてしまった。
『でしょ?そうだよね?どんな相手だろうとかわいいとか言われたらそうなるよね。ハハハ、俺もそうだもん。タカちゃんからかわいいとか言われたら本当に嬉しいもんな。そう…俺もタカちゃんの女になってる時はかわいいって言われるのが1番嬉しいもんな。やっぱ正解だった。俺は女にもなれる、だから女の気持ちがわかるんだ。』
ユウが饒舌に気持ちを語っていると意を決した様に真理はユウに目を合わせた。
「ん?どうしたんです?」
「…。」
「真理さん?」
「み、見たい?」
「何がです?」
「分かってるだろ!?言わせるな!新田!」
ユウは勝利を確信したかの様な恍惚の表情を浮かべると、語気を強めた。
「何が?ちゃんと言って下さいよ。僕は出来損ないなんで。ちゃんと言わないとわかりませんね。」
「私の…下着…。」
「もちろん。僕は男ですから。ハハハ。真理さんみたいなかわいい女の子の下着姿なんて見たいに決まってます。」
「じ、じゃあ、その…今日この後…見せてあげる。」
「見せてあげる?」
ユウはわざとらしく片眉をぐぃっと上げて、怒りとも取れる表情を見せた。
自分は上、真理は下なのだと思い知らせる意図があるのか、口調も先刻のものよりかなり強い。
「いえ、…その…見てほしッ…見てください…」
「わかりました。楽しみにしてます。かわいい姿を見せて下さいね。」
「…はい…。」
ユウは満足気に真理に背中を向けて草抜きを始めた。
そしてこの瞬間ユウと真理の主従関係は出来上がった。
出来上がってしまった。
『目覚める事が出来た…俺は選ばれし者…男も女も…全て愛せる…真理さん、実験成功だ。やっぱりそう…』
ユウは数メートル離れた位置で草抜きをしている真理に目をやると目を細めて口角を不気味な角度に上げた。
『女として抱かれてきた、女扱いされてきた男は女の気持ちが分かる。フフフ…手に取る様にね…。これで…これでBlue bowも、男も女もみんな手に入れてやる!!』
間違いだらけ革命はユウ自身の中で完遂された。
不浄なる革命は見事に完遂された。
穢れの中でもがき、苦しんだ末に辿り着いた答えは自身をより穢れたものにするというあまりに幼稚なものだった。
後にユウは語る。
この間違いだらけの革命こそが、本当の覚醒であったと。
醜く焼け爛れた翼は
猛毒の雨を受けて
黒い天へと舵を切る
孤独と破滅を意に介さず
濁った風を受けて
白き地へ別れを告げる
全てを溶解するその蒸気は
氷点下の悪夢に触れて
赤い真空を作り出す
頬紅の乗る
その偽物の柔肌を
想像する事すら許されないその牙で
汚らしく噛みちぎる
別れを告げるのだ
もう輝いた翼はここにはない
激痛がうごめくその翼を羽ばたかせ
飛んでいくのだ
ありもしない理想郷を目指して