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down the river 〜雲上の記憶④〜
卒業式当日、ユウは眠い目を擦りながら起床した。
朝自習に取り組んでいた起床時間と変わりは無い。
1度習慣になると中々人間のそれは抜けないものだ。
『来月からもうちょっと早起きしなきゃいけねんだっけか…。はぁ…いくら早く寝ても眠いもんは眠いや…。どうしよう…もう少し寝ようかな…。』
目覚まし時計を30分後にかけてユウは再度眠りについた。
そして短い夢を見た。
星空の下でユウは数本の男性の象徴に囲まれ、恍惚の表情を浮かべている。
そしてユウはそんな自分を第三者の目線で見ている。
『うっわ…気持ち悪い顔だな…』
自分の恍惚の表情に嫌悪感を抱いていると星空がガパリと箱を開ける様な音と共に明かりが差し込み、自分が寝ている時にいつも見ている部屋の天井が見えた。
するとその瞬間、上から母親、浦野、美沙、彩子が一斉に覗き込んで来たのだ。
男性の象徴に囲まれていたユウは慌てて我に返るも、ユウを囲んでいたそれは同時に体液を放出し、ユウの顔を覆ってしまった。
そして体液はユウの鼻を覆い、息苦しさを感じたと同時に目が覚めた。
「あぁそっか、鼻を詰まってたんだ。」
ユウは気怠そうにハァハァと肩で息をした。
「なんちゅう夢だ…まったくよ…。」
ユウはブツブツと独り言を呟きながら中学校最後の朝を過ごした。
・・・
卒業証書授与式は何のハプニングも無く、滞りなく終了した。
ユウにとってのハプニングは敬人が卒業生の席にキチンと着いていた事と、練習もろくにしていない筈の敬人が起立のタイミング、着席のタイミング、卒業の歌等をしっかりとこなしていた事と、卒業生退場の時に、ユウの母親が目頭を押さえている仕草が目に入り少し驚いた程度だ。
後は何も変わりは無い実にあっさりとした卒業証書授与式であった。
「ふぅう…。こうやってお前らと煙草吸うのも終わりかな…。」
橋の下の秘密の喫煙所で敬人が煙を吐き出しながら迫島とユウに語りかけた。
「んな事言わないでよタカちゃん。見ろよこの卒業アルバムの最後のページ。真っ白だぜ??なぁんか教室でさ、泣きながら寄せ書きとかしてる連中見てたらちょっと羨ましかったりしたんだけど。まあそんな青春を分かち合う仲間なんぞ俺にはいねえからな。」
ユウは火がついている1本目の煙草を新しい煙草に押し付けて火を点けながら、若干苛ついた様子で敬人に言った。
「まぁまぁユウ、そんな苛つくなよ。いるじゃんかよ。ここに。仲間ってのがさ。」
迫島は煙草の火を消して笑いながらユウをなだめた。
ユウはフンッと鼻で笑うとまた寂しい表情に戻った。
「タカちゃんは定時制か…。本当に中々会えなくなるな。」
「ユウ、別に週末は会えると思うけどな。そんなに悲観する話でもないだろ。」
「ヒデはヒデで高校若干遠いんだよな。」
「しょうがねえよ。そんな頭良くないもん。」
「あ、いやそういう意味じゃなくてだな…。」
「じゃん!と!ホラ見ろよお前ら!…書きゃいいだろ。迫島、ユウ、そして俺の3人で。」
敬人がポケットから新品の細い油性マジックを取り出してユウと迫島に自慢気に見せてきた。
「タカちゃん、どしたの?随分準備がいいじゃんか。」
「有田くん、やるな。ユウが拗ねるのを予想してたって感じだな。」
「そ。迫島の言う通り。ユウはきっと寄せ書きページは真っ白だろうって思ってたんだ。だからよ、新品のマジックを1本盗んできたんだよ。」
「ハハハ!タカちゃん、卒業式の日に盗みかよ!ハハハ!」
「ユウ、お前の為だよ、お前の。」
敬人はマジックの封を破りながらユウの卒業アルバムを取り上げた。
〈3年間ありがとう!!またすぐ遊べるさ!でも今だけさよなら。今だけな。有田敬人〉
敬人は中々の達筆だ。
「はいよ、ユウ。お前には本当に迷惑かけた。でも、ありがとうよ。迫島も書いてやれよっていうか俺のも書いてくれないか?俺も実は白紙じゃ少し寂しくてな。」
鼻を擦りながら敬人は自分の卒業アルバムもケースから取り出した。
「なぁんだ、有田くんも寂しいんじゃん。いいよ。貸して貸して、書くよ。」
迫島と敬人のやり取りを聞きながらユウは1人機嫌を損ねていた。
『なんだよ…タカちゃん…。』
〈でも今だけさよなら。今だけな。〉
このフレーズに感嘆符が書かれていないのがユウは気に入らないのだ。
感嘆符が無いその文章からは本当の別れの様な深刻さ、そして今生の別れの様な寂しさが滲み出ている感じがしたのだ。
形は若干歪んだかも知れないが、お互いの身体を貪り合った仲である。
そして最近も身体を重ねたばかりだ。
恋人とは違うが、身体の関係がある分確実に普通の友人関係よりも強固な関係であると言える。
そんな敬人からこの様な文章を書かれてユウは今になって別れが現実であり、これから生活が変わるという実感が出てきてしまったのだ。
今は気怠さも虚無感も全て悲しみへとその形を変えてしまい、ユウの心の中で実体化したその悲しみは手放しで突っ込んで来る。
ユウは涙を堪えているが、堰き止めている目という器も限界だった。
〈もっと早く有田くんと友達になりたかった。高校に行ってからもユウと3人で集まろうね!3年間ありがとう! 迫島秀徳〉
〈優は最高のパートナーだ!今までも!これからも!! 迫島秀徳〉
『こんなの…限界だ…限界…』
「うわはあぁぁぁ…離れたくないよぉ…うぅわぁ…タカちゃん…ヒデ…お前らと…うぅ…ずっと一緒にいたいよぉ…うぅ…」
ユウは全てのしがらみを捨てて泣き崩れた。
すると、その様子に驚いた3人の中で1番高身長である敬人がユウと迫島の2人に近づくとフンと呆れた様にため息をつきながら微笑んだ。
そして敬人は迫島とユウの首に腕を巻き付けて顔を引き寄せた。
「おい、ユウ。確かにお前はこの3年間で色んなモンを失ったかもしれない。でも色んなモンを失った中で、俺と、この迫島が残ったんだ。だから心配すんなよ。この絆は確かなモンだ…。だと…思う。なぁ迫島。」
敬人と迫島の煙草臭い吐息がユウにかかる。
そして互いの内臓を吸い出すかの様な接吻を交わした敬人の口が目の前にある事にユウは赤面すると、自然とその涙が止まった。
「そうだよ、ユウ、そんなに泣くなよ。俺達はユウの篩に掛けられて残った友なんだ。有田くんの言う通り、俺達の絆は絶対だ。違うか?」
迫島の目には薄っすらと涙が浮いている。
「約束だよ?タカちゃん、ヒデ…。高校に行ってもちゃんと俺と会ってくれよ?」
「大丈夫だ。お前が嫌でも遊びに行く。な?」
「ユウ、俺とこれから先も音楽やるんだろ?違うか?」
ユウは首を縦に振った。
「もう少し…もう少しだけ…ここでタカちゃん、ヒデと話をしていたい。いいか?」
〈3年間本当にありがとう。俺達はずっと一緒だ。今までも、これからも、大人になっても、ジジイになっても。新田優〉
〈これからもヒデの作る曲を1番早く聴いて、それを1番最初に演奏する人間でいたい。今までも、これからも、大人になっても、ジジイになっても。新田優〉
・・・
「おかえり。」
ユウが家の玄関を開けると母親の声が聞こえた。
『今更だけど…おかえりって言葉が聞こえて来るのはやっぱいいな…。安心して家の中に入っていけるぜ…。』
ユウは靴を脱ぐと声がした奥の部屋に向かって大き目の声で「ただいま」と言い放った。
「ユウ、手洗ってうがいしたらちょっと来て。」
「はいよ。ちょっと待って。」
母親に言われた通り手洗いうがいを済ませると奥の部屋に足を進めた。
「なぁに?どした?」
母親はテレビの前に座っていた。
ユウの姿と声を確認した母親はテレビを消して、ユウに座る様に手を振って促した。
「なんだよ、改まってよ。」
ユウはあぐらをかいて座るとゆっくりとした口調で言った。
すると母親はユウの目を真っ直ぐに見据えた。
「まずは卒業おめでとう。そしてよく頑張った。S高校にお前が入るとは今でも信じられない。」
「ありがとう。ハハハ…でもさり気なく酷いこと言ってんぞ?信じろよな。ハハハ。」
「その先は考えてんの?」
「その先?」
「高校の先だよ。」
「あぁ…そういうこと…。」
「どうなんだ?」
ユウは母親の言い方でピンときた。
『進学するってぇと金がかかるんだろう。ばぁか。そんなんお見通しだ。』
「進学なんてしないよ。」
「なんで?こんなに一生懸命勉強してきたのに。」
「進学してほしいの?」
「そ、そりゃそうだろう。」
『は?どういうこっちゃ。金が無いんだろ?ウチは。』
「でも進学しねえよ。」
「なんで?」
「夢…。夢があんだよ。俺には。」
「夢?なんの?」
「まだ教えないよ。ハハハ。まだナイショだナイショ。とりあえず進学しねえで働く。金の心配はしなくていい。」
「進学したくないの?」
「したくねえ。」
「無理してない?」
「してねえ。夢を追う。それだけ。」
「わかったよ。ユウ。お前、家に帰ってきた時、妙なもん見たり感じたりしてない?」
「…!」
「どうなの?」
『なぜ?なぜ?で、でも、でもだ。物凄い悪意を感じるお母さんの幻を見たとか言えないよな。』
「知らん。何言ってんだよ。」
ユウは焦りを誤魔化す様に強い口調で返した。
「そう…。お母さんね、パート辞めようかなって。」
「お?そうなの?」
「お前が進学しないなら、家にいて、お前が帰って来るのを出迎えてあげるのもいいかなってね、なんとなく思って。」
「お、おぉ!おぉ!そりゃいいよ!そうしなよ!いいじゃん!」
「お前がその方が良いって言ってくれるんならそうしようかな。」
「うんうん!いいよ!そうしようや!」
「随分嬉しそうだね。」
『ぐっ、あの恐ろしい幻を見なくていいと思うとそりゃ嬉しいだろ…なぁんて言えねぇやな…。』
母親の幻は決まって誰もいない家に現れる。
母親本人が家にいれば幻など現れる筈がないとユウは確信していた。
「タハハ…だって飯も炊かなくいいし、風呂掃除もしなくていいんだろ?最高じゃん?」
ユウの言葉を聞いた母親は、クスリと笑い下を向いた。
「あぁ、そうだね。お前には苦労かけたね。これから帰ってきたらおかえりって言ってあげるから安心して帰っておいで。」
「ハハハ!ありがとう!最高だよ!ハハハ!」
ユウは大声で喜びを表現したが心の中では何か引っかかるものがあった。
『安心して帰っておいで…?こいつ…まさか全部知ってんのか?知ってる?自分の幻…?幻影?こいつ…。アレ?お母さんが…お母さんの…お母さん…いや、まさかな…。』
ユウは考えを巡らせて1つのあるまじき答えに辿り着いた時、全身の毛穴から冷たい汗が吹き出てきた。
そしてユウはその答えが誤りである事を信じてもいない神へ祈りながら時を過ごし、初ライブの日を迎えた。