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「変えたいんだ、服を、髪を、この顔を!」と叫んでいたイギリスの僕。
「おおお……これは僕自身の物語じゃないか。。。」
この映画を観ながら、何度も赤面し、繰り返し胸が苦しくなった。主人公の青年に同化しすぎてしまったのだ。
なぜなら僕も、80年代半ばに同じような田舎町で悶々とした高校生活を過ごし、同じように「言葉の持つエネルギー」に撃たれていたから。同じブルース・スプリングスティーンの歌によって。
鏡を見るたびに思う
変えたいんだ。この服を、この髪を、この顔を!
火をつけることもできない、火種がなけりゃ。
だれか俺を雇ってくれないか。
ただ暗闇で踊っているだけだとしても。
(Dancing In The Dark)
違うのは、主人公がイギリスに暮らすパキスタン移民ということだけ。居場所のなさや、やりきれない思い、自分自身を持て余しながら何もできないどん詰まりの毎日……などは、そのまま当時の自分そのものだった。
しかも、ほかの生徒たちから「ブルースなんて古い、ダサい」と言われるのもそのまんまだ。僕も周囲のBON JOVI ファンや、Gunsフリークから、散々バカにされ、相手にされていなかった。だから、一人で部屋に籠もって彼の歌を聞き続けるしかなかったのだ。
国や人種を超えて響く言葉
実話をもとにしたこの映画では、パキスタン移民に対する露骨な偏見や差別なども描かれている(カフェで席を移れと言われたり、玄関におしっこを掛けられたり、右翼グループに暴行されたり)。
そうした厳しい環境に生きる青年の心にも、ブルースの言葉が深く刺さり、救いになっていたことに驚き、嬉しくなった。アメリカンロックの象徴として、「Boss」とまで呼ばれるブルースだが、その歌は人種や国籍に関係なく、届く人には届いていたのだ。
それを可能にしているのは、なんといってもブルースの語り部としての力量だ。まるで短編小説を読んでいるかのように物語性が豊かで、しかも人物の心情が映像的に細かく描かれている。さらに、そこで語られる時間軸の幅広さも比類ない。真夜中の一瞬の感情の揺れを歌ったかと思えば(Meeting Across The River)、親子三代にわたる故郷への悲しみを語りかけてもくる(My Hometown)。
そして最も大切なのは、やり場のない思いを抱えた「普通の人」の心を一貫して表現しているということだ。
映画のなかでは、ブルースのインタビューも流れる。
「妹が早くに結婚してね。義弟は建設労働者で、不景気で仕事がなくなってつらい時期をすごした。子供がふたりいて大変だった。いまの世界に英雄がいるなら、彼らだよ。世界を動かしているのはこういう人たちだ。
こうした地に足の着いた揺るぎない信念こそ、彼の歌が世界中で支持される理由なのだろうと感じる。
誰の中にもある「叫び」
その想いは、一番メジャーな曲「Born In The U.S.A」にも色濃く滲んでいる。力強く、乾いたビートに載せて拳を振り上げながら熱唱する姿から「強いアメリカ」を讃える愛国者ソングのように捉えられがちだが、内容は真逆。ベトナム帰還兵のどうにもやり場のない心のうちを、その生い立ちも含めて「本人の一人語り」として綴った悲哀に満ちた叫びなのだ。
ここで描かれている男性の心情は、夢を求めてパキスタンからイギリスに渡りながら、差別に苦しみ、職も誇りも失っていく映画の中の父親のものとほとんど変わらない。
目がくらんだままだった、「僕」
主人公と僕が異なる部分が、ひとつだけある。
彼はどんどんブルースにはまり、自由を求めて権威的な父親に激しく反発。けれど、そのまま単純に「明日なき暴走」に突っ走らないのが、この作品の素晴らしいところだ。最終的には父親の苦しみ、悲しみも受け止められるまで人として成長していく。
「最初はブルースと僕のことしか見えていなかった。でも、僕と父は同じだと気づいた。光で目がくらんでいた(Blind in the Lighit)のは僕だった」
恥ずかしながら、映画の彼のように僕自身は成長はしなかった。僕はずいぶんと長い間、父とわだかまりがあった。というか、こちらが勝手に高い壁をつくっていた。そしてあるとき、何の理由もなくその壁は消えた。いまでは自分が父親の何に対して怒っていたのか、さっぱり思い出せない。本当に何かに目がくらんでいたとしか思えない。
国境を越えて人々の心にドラマを生み続けてきたブルースはいま、71歳。昨年末に発表した「Letter To You」では、先に逝った友の思い出や感謝の歌で満ちている。コロナと政治的対立で分断されたアメリカを憂いながら、もう一度「人を大切に思う心」で繋がれないものかと願う、祈りのような言葉であふれていた。
……このまま綺麗に終わるつもりだったが、そういえば、映画と僕自身との間にまったく違う部分がもうひとつあった。
映画の主人公には、途中でかなりカワイイ彼女ができるが、当時の僕にそんなことは起こらなかった。そのような火種すらなく、ニキビ面を変えられないまま、暗闇の中、ずっと一人でくすぶり続けていただけでした。はい。